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by ojer |
この数日、深夜番組で「にっぽんの仏像100選」の再放送をやっていた。ゲストのコメントはなくもがなだが、登場する仏像はなかなか変化に富んでいて興味深い。時間が時間だけに、まともには観ていられず、断片的にしか記憶がない。 昨夜、ふと目が覚めると、船形山の習俗を取り上げていた。懐かしいね(舟形連峰は '93/07/16~18、20周年記念号のバックナンバー「山行記録'90~'93・通巻第4号」)。あそこでは、日本にはもはや2体しか残存しないという、6世紀頃の百済伝来の金銅仏を山中にまつっている。その仏像がいつからどうしてまつられるようになった由来もわからないそうだが、そのおまつりが面白い。毎年、冬の間は山中の秘密の場所に保存し、夏の間だけ、それを取り出して、社におまつりするという。その仏の管理は、地元の神官が行っていて、保存場所は一子相伝。現職の神主以外は場所を知らない。映像を見ていると、山中に結界された区域があり、そこへ神主が一人で入ってゆき、30分ほどして仏像を抱いて戻ってくる。像の丈は20cmほどだろうか。東博法隆寺宝物館の飛鳥諸仏像より古拙である。それを社に納めると、集まっていた麓の集落ひとが参拝する。まあ、その様子はどこにでもあるお参り風景である。 そこで、ふと思ったのだが、祭司がなぜ神主か? 相手は仏像だよ。これについては、宗教学者を含め、並み居るゲストから何の疑問も呈されなかった。要するに日本の神仏習合は、それほどまでにこの国の風土に浸透しているのだ。明治維新の廃仏毀釈の嵐が吹きすさんだ頃、この土地の人たちはどう思い、どう行動したのだろうか。彼らがあの風潮を真に受ければ、この習俗は絶えたろう。あるいは、隠れキリシタンのように、密かに祭祀はつづけられたのだろうか。もしかすると、神仏分離の対象であると気づきもせずに、営々とつづいてきたのではないか。 Tags:雑文 by ojer | 2007-12-07 11:15 |