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駒ノ湯回想 2008年6月16日

岩手・宮城内陸地震のTVで“こまのゆ”の名前を聞いてもしやとおもった。駒ノ湯という名前自体はそれほど珍しくはないから、報道される住所を聞いて地図で確認すると、栗駒山の麓の駒ノ湯だ。それなら、以前、栗駒山へ登ったときに泊まっている。報道されている写真では、ぼくの泊まった部屋がもし残っていれば、完全に押し潰された階下の一室であったはずだ。

山の会の会報にもそのときの記録は載せてある。読み返してみると、けっこう細かく描写しているのでその部分を引用してみよう。このときは、駒ノ湯で一泊し沢通しの登山道を辿って山頂を踏み、須川温泉に下りて一泊している。登山というより山旅といった感じの山行だった。

栗駒山 ほどほどの山と素晴らしい硫黄泉

'88/09/23〜25 『梓会報3号』より 一部抜粋

 9月23日 曇り。 JR一関駅前からバスで栗原電鉄の栗駒駅へ。そこでバスを乗り継いで駒の湯まで。栗駒駅でイワカガミ平行きのバスに乗り換えると、地元の人達はみな降りてしまい、登山者ばかりになった。といっても4パーティほどしかいない。運転手は中肉中背で、白髪。温厚な面だちで、その雰囲気のとおりのんびりと優しい話し方をする。しかし、運転は思いもかけず乱暴で、乗用車がやっとすれちがえる狭い山道を急ブレーキをものともしないで、積極的に走った。

イワカガミ平への幹線を耕英十字路というところで右折し、枝道を大分奥に入った行止まりが駒の湯である。十字路から道はすぐに下り急勾配になり、蛇行しながら緑の濃い谷間へ延びて行く。その道はバスが上り下りできる限界ではないかと思われるほど急だった。谷底には駒の湯の旅館とそれと向き合って土産物屋がある。それだけである。バスは玄関の前の車寄せまでつけた。ぼくと一緒に男1人、女3人のパーティも降りる。残りの2パーティ、といっても年配の女性の単独行が2人だが、彼女らはイワカガミ平まで行くのだろうか。

フロントで予約してある旨を告げて、受け付けを済ませる。旅館の間口が普通の住宅ほどしかないので、狭苦しい間取りではないかと心配になった。従業員に案内されるままに進むと、うなぎの寝床のように廊下が先へ先へと延びている。谷底を切開 いた傾斜地だけに平坦とはゆかず、何箇所かで折れ曲り、その都度階段を下りながら進む。廊下の両側には部屋が多数並んでいる。結局、ぼくの部屋は廊下の行き当たりの角部屋であった。広くはないがまだ新しい部屋だ。2面に窓があり、近くの谷川まで広々とした庭園が見渡せる。庭園といってもとくに手入れをしたものではなく、建物の先に広がる山の斜面をただ刈り込んだだけのものだが、山間の出湯にはふさわしい。せせらぎの音だけで姿は見えない谷川の先はもうブナ林がたちはだかっている。林の縁には背の高いクルミの木が数本佇立し、茶色くなったシデのような花のなごりを多数たらしていた。

部屋の印象に気をよくして、荷を解くと早速浴場にいってみる。浴場は、部屋よりさらに階段を下がったところにある。冬季の積雪を考えてか、窓が小さいために浴場の中は薄暗い。古くからの温泉によくあるように、本来一つの浴槽で混浴だったものを、強引に仕切ったらしい。やや狭苦しい感じがしたが、慣れてしまえば気にならない。流し場は、がっしりした分厚い木材で組み立てられている。長年使い込まれて表面が黒ずんでささくれている。おかげで浴室の印象はますます暗いものになる。流し場の一画に一段低い浴槽が仕切られている。湯は、太い蛇口から絶えず豊かに流れ出し、深い浴槽に満々とたたえられている。透明度の極めて高い硫黄泉である。窓からわずかに差し込む光線がその透明な湯に反射して輝く。硫黄泉の成分が析 出して浴槽の表面は美しい青黄色に覆われている。そのために暗い風呂場のなかで浴槽の一画だけが明るく際立っている。融け出した水晶のような湯の中にゆっくりと身を沈める。熱すぎずぬるすぎず、気持がほぐれて満足感がじんわりと広がって行く。ここの温泉は気にいった。

  
   
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