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見沼通船堀 2008年7月12日

今朝は、自転車で見沼通船堀まで行って、そのあたりを散策する。

ノーゼンカズラ

ノーゼンカズラ。凌霄花をそう読めといわれれも無理だ。せいぜい読んでもリョウショウカくらいだろう。いろいろ転訛がいわれているがすっきりしたものはない。霄には空の意味があり、凌霄花は空を凌ぐ花ということになる。この写真では二階までノーゼンカズラが這い上がっているが、実際にはこんなものではない。写真を載せる機会があるかもしれないが、サワラに絡んだノウゼンカズラが近くの園芸農家の庭先にあり、支柱となる相手が高ければ高いだけ、絡まり登って木全体を花で覆う。それを見たときに、空を凌ぐ花の意味を納得した。

 
見沼通船堀 東縁側入口

見沼通船堀。見沼と芝川を結ぶ水路だ。このブログではただ見沼としているが、正しくは見沼東縁(ひがしべり)。芝川を中央に挟んで、その両側の台地ぎわを見沼の東縁と西縁が流れている。見沼のほうが水位が高いから、両河川を舟で結ぶには閘門式の水路が必要になる。

第一の堰補修されていた

この通船堀は史跡として残されているだけだが、東京でも、荒川と隅田川の間、また、隅田川と下町の水路を結ぶ閘門が現在でも稼動している。前者はここ数年にできたものでまだ舟で通過したことはないが、後者は江東区の水上バスで通ったことがある。

芝川(下流方向) エノキの古木芝川(上流方向)

通船堀自体は100mくらいですぐに芝川へ合流する。合流点から芝川の左岸を遡行した。両見沼が中間の田畑を潤して、排水が芝川へ流れ込む。悪水の所以である。右岸にこんもり茂る老木が点々としてある。エノキだ。

左岸のサワグルミサワグルミの実 栽培種のクルミのようにはならない

対岸にはエノキが点々と植わっているが、こちらにはあまり大きな木はない。このサワグルミがやや高木だった。

アレチウリ武蔵野線

木造の橋があって奥を武蔵野線が走っている。なんとなく懐かしい風景。たまたま、貨物列車が通過した。

左岸を遡行したのは失敗だった。武蔵野線で行き止まり。本来は潜るトンネルがあるのだが、調水池の工事で通行禁止。やむなく武蔵野線に沿って東縁へ戻る。

朝露の道 左武蔵野線土手
遠方が白いのは朝霧ではなくハレーション
ずぶ濡れ

この道が細くて両側から朝露に濡れた草が被さっている。たちまちズボンはずぶ濡れ。幕営の山行では珍しいことではなかったが、近頃久々の感触である。そこで、吟行。

道狭くして草木のび 結露わが衣を濡らす

衣の濡るるは惜しむにたらざれど

我が願いをして違うことなからしめよ

まあ長いのでこれだけにしておく。わが愛吟の陶淵明の「帰田園居」のごく一部。勝手に決めた陶淵明田園三部作の中でも、これが一番好きかも知れない。さいわい土手沿いの踏み跡は、だれも通らないから、気兼ねなく声に出せる。ここでいう“我が願い”とは、意に沿わぬ役人生活を辞して田園居へ帰り、南山の麓を開拓して豆苗を植えたが、それが霜霰にやられて雑草同然にならないように、との願いだ。

こんなサイトがある。 帰園田居五首:田園詩人陶淵明帰田園居五首その二: 陶淵明田園生活を歌う

ミソハギの群落
ユウガオの実(干瓢のもと)

周囲の風情に欠けるが、久隅守景の絵を思い出しますなあ。

クワの実イヌゴマ

薄曇りとはいえ6時半ともなると、だいぶ日差しも明るくなってぐんと気温が上がった。このくらい明るくなると携帯の液晶は何が写っているのかほとんど見えない。ま、言い訳まで。

ウドの花 もうじき大木に?ギャア、でかい オオバギボウシ
オオバギボウシの花ウイキョウ

オオバギボウシを仰ぎ見て撮ったのははじめてか。周囲の草木(手前はイチジク)が伸びたので負けじと背を伸ばしたのだ。

ウイキョウ(フェンネル)を食するアカスジカメムシ

アカスジカメムシの食草はセリ科のセリやヤブジラミとある。ハーブのフェンネルもシソ科だから当然好物なのだろう。はじめはゴミがたかっているのかと思って近づくと色鮮やかな昆虫だった。格好はカメムシで食草がセリ科となれば、簡単に検索できる。液晶が見えていないので他に交接中のペアがたくさんいたのだが撮れなかった。

イチョウ ギンナンが鈴生りキソケイ 

黄素馨。ソケイはジャスミンだが、これはあまり香りはない。まだほとんどまだ蕾で、わずかに咲いていた。

今日は、休日のせいか、ひさびさの場所を歩いたせいか、あるいは、たんに気分のせいか、やや饒舌であった。ははは。

  
   
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