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赤山城趾・西福寺 2008年7月28日

昼間どんなに暑くても、夕立が来てぐんと気温が下がり、夜が寝苦しくないのは大歓迎。おかげで、今朝も涼しい。ただ、この季節、植物に変化がなくて少々ものたりない。歩いている距離はさほど変わらないが、撮る写真の数がだいぶ減っている。今朝は久しぶりに赤山城趾から西福寺まで足を伸ばした。

4mくらいあるかな?オーシャンブルー

西表朝顔、ケープタウンアサガオ、宿根朝顔といろんな名前が付いているようだ。宿根というからには、種を蒔かずとも毎年咲くのだろう。この写真は少し色が浅いが、もう少し濃いほうが一般的。九州大学のアサガオのサイト(「イポメア」→ 「外国産・ノアサガオ」)でも由来は不明となっている。

今朝の源長寺浄土宗宗祖 法然上人
赤山城趾へニガウリのトンネル
赤山城趾 中心部ミズキ
ムクノキ昨日の夕立でタケが枝垂れて道をふさぐ
西福寺 百観音三重の塔

今朝はじめて気付いたのだが、百観音堂の屋根がいやに尖って見える。よく観るとこのお堂は、寄せ棟造りの大棟(正面から見て左右方向の長い棟)がない。つまり、塔の屋根と同じ構造だった。こういう造りは、Wikiによると“方形造、宝形造(ほうぎょうづくり)”というらしい。

常念観世音菩薩

この菩薩は、観音菩薩、観世音菩薩、観自在菩薩といろいろな名前がある。観音は観世音の略だろうが、観世音と観自在は、以前FG氏がコメントしていた訳経僧の違いによる。観世音は、鳩摩羅什(漢音クマラジュウ、サンスクリットでクマーラジーヴァ)訳、観自在は玄奘訳。この菩薩はサンスクリットではアヴァローキタ・スヴァラで、アヴァは“広く”、ローキタは“観る”、スヴァラは“音”だから、“広観音”とするのが正確か。羅什がなぜ“世”を入れたかは分かっていないというが、広く世の中の声(音)を聞く(観)とでも解釈したのか。

ところが、アヴァローキタ・スヴァラが転訛したのか、多くの文献にはアヴァローキテーシュヴァラとなっていて、玄奘は、こちらを採ったらしい。その場合、後半のイーシュバラに自在者の意味が生じ、観自在となるそうだ。岩波新書『仏教入門』三枝充悳p140

なお、観世音菩薩普門品の普門のサンスクリットはサマンタ(普く方向へ向いた)・ムカ(顔)だという。

普門品供養昨夜の夕立で落ちたケヤキに絡んだツタ

植物が目立たないと、ゴタクが多くなる。ははは。

  
   
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