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ハマナス自生南限地帯 2009年1月3日

地図で見ると近くの海岸に「∴ハマナス自生南限地帯」の表記がある。鉄道ではわが鹿島大野の一駅北の鹿島灘駅の近くだ。駅名に“鹿島灘”と付けたのは、この辺りが鹿島灘の中央部だということだろうか。午後少し遅くなったが「浜風」でいってみることにした。地図によれば、国道51号と海岸線の間の、幅数百メートルの帯状地域に細い道路網が発達し、神社や寺が多く点在している。その地域に古くから人々の生活があったということだ。その道を辿ると、あるいは海岸で行き止まってしまったり、国道へ戻ってしまったりして、すんなり目的地へ着けるとは限らないが、それはそれで面白い。

南限自生地へ向かう途中、鹿島大野駅北の陸橋の西詰め近くに鎮守の森が残っていて、そこに戸隠神社があった。 → この神社が、鹿嶋神社の北の一の鳥居跡であることを後に知った。2009/05/05

近所の戸隠神社 正月のせいか境内は掃き清められてる
戸隠神社

次の神社は愛宕神社。こちらのほうが海岸に近い崖の途中にあり、やや規模が大きい。ここで携帯の電池が切れた。

愛宕神社
上の社の左側にあった不思議な結界

竹と藁縄の結界のなかに、小さいな石の造形物があり、その前にさらに藁葺きの小さな結界があって、幣が祀られている。どういう意味があるのか、興味深い。

今回は意外に簡単に自生地に到着したのだが、途中の神社で道草をしているときに携帯の電源が切れて写真は撮れなかった。自生地は海岸から数十メートル奥の、背の低い垣根に囲まれた300坪ほどの区画で、すでに周囲には人家が迫っていた。この時期のハマナスは、枯れた草地から棘だらけの枝がひょろひょろ伸びているだけで、最初は気づかなかったが、説明の看板と石碑でそれと気づく。大正時代に国指定の天然記念物になっていた。

偶然、帰りに慈眼寺という真言宗智山派の寺を見て、薄暗くなる頃に家へ戻った。これまで、海岸近くに何度か自転車でいっているが、帰りが結構きつい。はじめて、いまの家を見たときに不動産屋のKさんに、この辺りの標高を訪ねたら20mくらいとの返事だった。20mというのは鳩ヶ谷らくだ坂の旧宅と同じ標高だから、ああ、そんなもんかと思っていた。しかし、それにしては毎度のことながら、海岸からの帰りの自転車こぎがこたえる。北浦からの戻りもそうだった。それで、今日は、国土地理院の2万5000分の1の電子地図で標高を調べてみた。そうしたら、なんとわが家は40m標高線のすぐ近くにあった。海岸線から一気にこの標高をかせぐのだから、戻りがきついわけである。こんなに疲れるのは、歳のせいか引越疲れかと思いこんでいたのだが、少なくとも通常規模の津波を恐れる必要はないことがわかった。

  
   
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