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大儀寺 2009年2月15日

思ってもいなかったが芭蕉に『鹿嶋詣』あるいは『鹿嶋紀行』という一文があるそうだ。その句集では鹿嶋詣をかねて、芭蕉が敬愛する禅僧仏頂を訊ねている。ところで、その仏頂と芭蕉が会った寺がどこであったかで、二説あるらしい。ひとつは、鹿島神宮や鹿嶋城趾に近い根本寺。もうひとつは旧大洋村の北浦寄り、鹿行大橋よりやや北にある大儀寺だ。天気がよければ鹿嶋城跡と根本寺を見てこようかと思ったが、予報に反して曇りがちの天気では気分が乗らない。もうひとつの大儀寺のほうがやや近いので、こちらへ行ってみることにした。

近津神社

もうじき大儀寺というところで、近くに近津神社があった。この辺りの神社は放置されているものは見あたらない。堂守がいるのかどうかしらながい、近所の住人が自分たちの神様として、おのずと掃除などしているのだろう。

境内の四隅にこのような祠がある これは鬼門の祠道祖神

神社と道路を隔てて道祖神があったが、祠の造りは、左の写真の境内の祠と変わりない。

近津神社の森を振り返る大儀寺

近津神社の森を過ぎて、すぐに大儀寺の案内がある。近津神社とは道を隔てて反対側。上右の写真は、あとでわかったが裏門だった。三門は見えている森の奥にあった。

こちらが表三門
三門右脇から本堂と庫裏(右)三門脇の金比羅神社

寺の建物自体はさほど古いものではない。地元のご婦人達がにぎやかに話ながら通り過ぎる。手には鍋や醤油、調味料などを持っている。寺の庫裏で会合でもあったのだろう。この辺りではまだ寺が日常の文化の中心として機能している。

本堂月見寺とも

月見寺の呼称は芭蕉の「寺に寝てまこと顔なる月見哉」の句からきている。ただし、芭蕉が泊まったのがここか、根本寺かはいまだ論争があるらしい。

フクジュソウフッキソウ(富貴草)

スダジイの古木

仏頂がこの寺の住職となったときに手ずから植えたという月桂樹の二代目があったが、それも枯れているようだった。そのすぐ近くにこの仏頂塔がある。しかし、それより驚いたのはこのスダジイの古木。これは、安行の興禅院のスダジイもかなわないのではないか。都会周辺の寺なら、樹齢うん百年の古木と喧伝するだろう。

同じスダジイ

 

境内の竹林に句碑がずらり

安行にも俳句寺があったが、ここもそう。芭蕉所縁となれば、自ずとそうなろう。 

ソラマメの苗北浦

帰りは北浦へ下った。今日は川下へは逆風。どこまでいっても同じような風景のつづく堰堤と農道を、ひたすら浜風のペダルをこぐ。受験勉強で憶えたmonotonousという単語を思い浮かべながら。

板碑

北浦をあとに山手へ登ったところの追分に、鳩ヶ谷のブログで何度も取り上げた板碑があった。建立する思い同じなのだろうが、様式の共通性はあまり感じられない。説明にもあるように、こちらのほうが数も少なく貴重なもののようだ。

  
   
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