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| 三福巡礼 2009年3月29日自転車散歩をどこにするか調べていたら、大儀寺の先に光福寺があり、さらに探すと福泉時、永福寺があった。合わせて三福。こいつあ、春から縁起がええわい。まず一番わかりやすい福泉寺を目指す。大洋駅から遠くない、旧大洋村の中心地にある。
浜風で県道を飛ばしていると(もっとも終始向かい風で楽ではなかったが)、巨大なハクモクレンが目に飛び込んできた。道から少し奥まった農家の脇にあり、周囲の木々から一頭抜きんでている。ハクモクレンのこれほどの巨木は珍し。記憶がさだかでないが、六義園にもたしかこのくらい大きなハクモクレンコブシ(→友人から指摘があった)があったとおもう(興禅院のハナモクレンはもう終わったろうなあ)。隣に生えている杉の木に負けなかったから15mくらいあるか。
旧大洋村の官庁街?を西にすこし走ると、道路脇に福泉寺の門柱があった。楊貴妃観音の泉涌寺ではないが、参道は坂道を下ってゆく。 参道を下ると左手に池がある。さして人手の入っていない自然のままなのがいい。 本堂前まで降りきると別世界。小さな盆地に境内がすっぽり入り込んでいる。音といえば周囲の森のざわめきと、けたたましいまでの小鳥たちの鳴き声のみ。奥に庫裏はあるが人影はない。文句なし! しばらく、境内を散策して、風情を味わう。 釈迦如来像は秘仏で4月8日にご開帳。光圀の裏書があるという維摩像もそのとき見られるのかな。 次は光福寺。この寺は大儀寺より北にあって、今回は家から一番遠い所にある。 光福寺への途中に、吾妻原神社の標識があったので脇道にそれてみた。
鎮座50年というから、神社としては新参?。広い境内は芝に覆われ、鳥居から社までの両脇は桜並木、社の周囲は常緑樹の森で、なかなかの佇まいだった。
吾妻原神社から光福寺へ向かう途中に三叉路があって、そこ脇のお宅にこの巨木が二本。門柱代わりに門の左右に生えていた。恐ろしいまでの存在感。この三叉路では大分迷ったが、庭の手入れをしていたご婦人に尋ね、光福寺へたどり着いた。
光福寺から北浦へ向かう途中、偶然見つけた古墳。鹿行地方では希な規模だという。
最後は永福寺。距離的には我が家から一番近い。いったん西へ下って、北浦沿いの県道を大分戻る。現在位置は鹿行大橋より北の鉾田市内だが、永福寺は鹿島市に近い。 この寺探しが難関だった。地図にあった県道脇の「小見鉄工所」を目標にしたが、そんなものはない。あちこちでひとに訊ねたが誰も知らない。ただ、小見という姓は旧大洋村のはずだと聞いて、旧大洋村と旧大野村の境ありで訊ねてやっと見当がついた。それでも近くで訊ねても寺の名前はだれも知らない。確かお寺があるとの答えを得て、周辺を探し、あきらめかけたところでやっと見つかった。ここもちょっとした窪地にあった。
永福寺は境内というより、草原に建物が散在している印象。これまでの二福は常住の寺だったが、ここは無人。しかし、荒廃の気はなく、手入れはそれなりにされている。
永福寺の目玉は薬師堂。右上の写真では、山門の左側に薬師堂の屋根の先端が見えている。
格子の間から内陣を覗いてみた。中央に内堂があって、左右に十二神将らしき立像がある。
屋根裏の木組みを見ると、光福寺の山門とは比較にならない技術をもった職人が造ったことがうかがわれる。垂木の構成のリズム感、斗栱の出組の軽快な飛翔感など、各部のバランス感覚が心地よかった。右往左往した甲斐があったというものだ。 今日は、距離からしても、内容からしても充実した散歩だった。永福寺探索には2、3キロ余分に走ってしまった。帰宅してシャワーを浴び、昼飯のビールが美味かったことはいうまでもない。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||