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FG氏よりコメントがあったので文中に引用しました。 2009/05/03

新宮神社・沼尾神社など 2009年5月2日

→ 今日のマップ

つい数年前までは、連休のこの時期は南北八甲田の峰々をスキーで滑りまわっていたのに、などとジジイの回想を振り切って、今日も自転車散歩だ。目標は鹿島臨海線の徳宿駅近くにある沼尾神社。途中になにがあるかは出まかせである。地図で見たところすんなり行ける道はないので、大洋駅近くから地図を片手に適当に走る。途中の目星は美原球場と新宮神社だ。それで鉾田病院へ抜けられればあとは簡単そう。午後1時半に家を出た。

地図には美原球場と別格の地物のように記されていたが、いってみればなんのこと、草ぼうぼうのハラッパでお年寄り(失礼、同年配の方々)がゲートボールを楽しんでいた。

新宮神社鎮守の森は保全林となっている

分岐ごとに確認しつつ、新宮神社にたどり着いた。周囲は深い森に囲まれ、なんだかよさそう。

この辺りの林床にはウラシマソウが多い森のトンネルを進む

対の杉の巨木が楼門のようだ
 
新宮神社

FG氏:大杉の奥、「新宮神社」拝殿の明るい佇まい、左右にピンと張り出した屋根の線が美しい。

ここも鹿島神宮の末社になるのだろうと思ったし、昭和の改築の石碑にはここの宮司と鹿島神宮の宮司が連署していたが、由緒を見ると、熊野の新宮を勧請したとなっていた。

本殿北東の末社

FG氏:本殿は瑞垣の内に、大きな屋根には千木がのって、小振りなお社ながら格式が高い。 熊野新宮へは二度も訪れたが、たしかに雰囲気はそっくり。

石碑の下の七福神右が新宮保全林

新宮神社の案内図に、近くに寺の記号があったので訪ねた。曹洞宗長慶山寿徳禅寺。説明ではこのあたりの領主烟田氏(鹿嶋氏の分流徳宿氏のまた分流)の墓があるとある。烟田(かまた)と読むとは、鉾田市内の交通標識で知った。

 スダジイが門のようになっている ずっと奥が本堂

墓地には何の案内もなかったので自信はないが卒塔婆に烟田家とあったので、この墓だろう。

無事に鉾田病院へたどり着き、あとは広い車道沿いの歩道を走っていると、安祥寺の標識があったので、また脱線。

曹洞宗実雲山安祥寺

FG氏:安祥寺の門もいいですね。

本堂から山門を振り返る

秋田へ転封される前の佐竹氏から庇護を受け、鹿嶋氏からも寺領を得て、相応の寺格をもつとある。

右上の写真。山門の左右は杉のように見えるが、イヌガヤの巨木の並木だ。

安祥寺

目標の沼尾神社へは直行せず、徳宿駅に寄ってみた。とても駅には見えない。畑の中に自転車置き場とトイレだけある。駅舎はないし、鉄道は切り通しで下部を走っているのでまったく見えない。

徳宿駅徳宿駅ホーム
鹿島神宮方面水戸方面

駅から地元の人に訊ねたずね、沼尾神社にたどり着いた。

沼尾神社の鳥居イヌカヤの木に祠

車道から少しさがって苔むした道を進むと、参道は左に曲がって神社が見えてくる。

ケヤキ沼尾神社
拝殿本殿

ここはなんといってもケヤキの老巨木の存在感に圧倒されて、唯見上げるのみ。

ケヤキの基部
老残の樹皮のかなたに今年の若葉がまぶしい

FG氏:なんといっても、沼尾神社の大ケヤキ。写真でもこの圧倒する存在感、実物を見てみたい。

すべて同じケヤキ

本日の目標は達して、ここからUターン。途中にある徳宿城趾をたずねた。といっても、木立に囲まれた丘の上に、神社と石碑があるのみ。

徳宿城趾の解説にもあるが、穏和な気候にもかかわらず、このあたりの支配者達は、鎌倉時代から戦国へかけて、波瀾万丈の運命に弄ばれるのである。まっ、興味のある人はWebで鹿嶋、徳宿、烟田氏などを検索されるとよい。

徳宿氏の事跡を顕彰する石碑徳宿城趾の主はスダジイ

帰途は、鉾田病院の交差点を右折し鉾田・北浦寄りにルートをとる。北浦左岸に沿って県道18号を南下すると、途中に西光院の指示板があった。千手観音が有名らしい。県道から脇道に少し入って、さらに脇道から左折すると急な上りとなる。実をいうと、18号は鉾田市街から山越えをして北浦へでるが、山越えのピークで左折するとすんなり西光寺にでるのだった。いったん下って、大回りしてから上り返したことになる。

天台宗無量山西光寺 山門と右は鐘楼

新宮小学校(徳宿城趾の説明板では烟田氏居城跡)の脇に西光院はあった。新しい堂宇が建設中であった。

観音堂 このときお堂の真裏に太陽があった観音堂
ご愛敬 観音堂の仁王 吽像同左 阿像

FG氏:なんとも笑ってしまうのは西光院観音堂の仁王像  筋骨隆々ならぬメタボのお腹がかわいい。

本日はこれまで。

実はこのあと、二重作の息栖神社を訪ねたが見つからなかった。地元の人に訊ねて、2回ほど標高差20mほどを駆け上り駆け下りしたのだが時間切れとなった。あとで詳細地図をチェックすると真ん前を往復していたのだが案内板などなかった。これは次回の楽しみとしよう。二重作からは県道242号をひたすら南下して6時半に帰宅。やれやれ、結構、疲れたぜ。

  
   
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