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ヒヨドリ巣立ち?

2009/06/24 昨日からヒヨドリの親たちが急に姿を見せなくなった。いままでひっきりなしに餌を運んでいたのに。気になって朝方覗いたら、巣はもぬけの殻。狼藉のあとは見られないので、襲われたわけでもなさそうだ。目も見えない雛の写真を撮ったのが17日。少し早すぎるような気もするが、無事に巣立ったことを願っておこう。それにしても飛び立つ前の雄姿ぐらい見てみたかった。これで気兼ねなく庭に出ることができるが…………

麻生藩旧跡・小高のカヤ 2009年6月20日

北浦の対岸、行方市に麻生という土地がある。いつものことで、散歩先を探していたらそこに「羽黒山公園」があることに気づいた。羽黒山といえばまず月山、湯殿山の出羽三山が思い浮かぶ。名前に惹かれて興味がわいた。調べると、麻生藩1万石の城下町で、羽黒山は城趾公園。地図で周囲を見ると、アサザの自生生地とカヤの古木がある。これで決まりだ。

マップ

昼食後浜風で家を出て北浦大橋へ。県道2号で北浦と霞ヶ浦の間の丘陵地帯を横断する。県道といってもセンターラインも引けないほどの幅員で山中を蛇行している。毎度のことながら起伏が多い。その起伏の最高点に石神の熊野神社があった。

  
熊野神社 拝殿本殿 日常の手入れがわかる掃除道具
熊野神社脇に咲いていたヒメヒオウギズイセン

新原の稲荷神社も同じ2号線沿いにある。麻生藩ゆかりの神社。明治期の創建で(架構はさらに新しいようだが)、鬼瓦を戴き唐破風があるなど建物の形式がこの辺りに古くからある神社とまるで違う。

稲荷神社

次は麻生市街の間近にあった大麻神社

常陸国風土記にあるとう麻生の由来
ちょっと読みにくいか
大麻神社 拝殿

町の有力な氏子からバックアップされているのか設備が整っている。

本殿

麻生の町に入ると城下町らしく「麻生陣屋大通り商店街」の看板が目を引く。まずは麻生藩家老屋敷記念館を訪ねる(無料)。現在の麻生小学校が陣屋跡で、畑家など重臣団の屋敷は陣屋周囲に配置されていたようである。

時代劇で見慣れている江戸の武家屋敷とは大分様子が違う。家老宅とはいえ、普通の農家とあまり変わらない。切り妻面の藁葺きの曲線とその奥の懸魚が目立つくらいか。

家老畑家 屋敷
…だそうである
簡素な厨房

敷地の奥に管理棟があって、一巡して屋敷を出ようとしたらそこの女性に呼び止められ、家老屋敷の説明書のほか、町の案内図などを頂戴する。小さな町の重要観光スポットなのか資料が充実している。その「江戸時代の麻生陣屋散策地図」などを見ると、もう一度訪れてじっくり史跡をたどってみたくなる。今日の目当てはカヤの古木なので、また次回。

羽黒山公園(麻生城趾)

城趾だけあって立地は最高だが、周囲が高い木立に囲まれ眺望はあまりよくない。霞ヶ浦がもう少し広く見えるとよいのだが。公園から坂道を下るとき、寺の屋根が見えたので訪ねた。曹洞宗常安寺

羽黒山下にある常安寺 麻生氏菩提寺
煉瓦の門塀が寺には珍しい
ナギの大木

麻生の街に再来を期し、霞ヶ浦のアサザの自生地を目指す。地図では2キロほど下流だ。向かい風を受けて堰堤上の道を行くとすぐにそれらしきものが見つかった。意外に早かったと近づいたがヒシであった。

防波堤の内側ヒシ

このヒシの生えていた場所のように、陸側に水域を囲って防波堤で守っていいる場所は多々見られるのだが内部に植生が発達しているところはあまりない。

なにもない

富田舟溜りに近づくと水辺にアシの群落が現れるようになり、周囲の水面に変化が見られる。今日は風がややあって、水面に漣がたっているのだが、その一部に凪いでいるように見える部分がある。それがアサザの群落だった。おびただしいアサザの葉叢が波の細かい周波数成分を吸収するようだ。

アサザを自然回復の指標として霞ヶ浦全域で市民活動を展開している「アサザ・プロジェクト」によると麻生地区の群落が、霞ヶ浦では最大だという。麻生のアサザは9月末が見頃だそうで、そのころ是非再訪せずばなるまい。それにつけても、北浦の渚地区のアサザは、通るたびに気にしているのだがいっこうに姿が見えない。

アサザ群落も確認できたので、北上して最終目標を目指す。こんどは順風、尻に帆掛けてである。

この辺りの花を少々。

サンジャクバーベナ(ヤナギハナガサ)園芸植物だが河原に多く野生化している
アメリカノウゼンカズラ 今年初めて見たセンダン 花を見ないうちに実になっていた

引き返す途中気づいた八坂神社。旧麻生藩二十四カ村の総鎮守。霞ヶ浦の堰堤に沿って境内は細長い。

松並木の奥に八坂神社
八坂神社 拝殿
 本殿
境内にあった「茨城百景 水郷麻生」の碑神社のある天王崎の説明

麻生を通過して堰堤を北行し、地形を見計らって並走する県道へ出る。南坂下で県道と別れ小高地区までひたすら登る。もうじき目的のカヤがあるかという辺りで小高の側鷹神社があった。

本殿神木 スダジイ

小高のカヤ。このカヤは見つけるのに苦労した。持参した地図が粗すぎてたどりつく道が表示されていない。小高小学校の近くであることを目標に周囲を徘徊し、ちょうど畑仕事からあがる老人(ぼくからみても)に出遭って尋ねた。目やにを浮かべ歯の抜けた老人の言葉はよそ者にはわかりにくかったが、懇切に教えてくれた。往々にして地元のひとの説明は感覚的で客観性に欠けるが、このひとの説明は要を得て正確だった。外見では判断できない。

目的のカヤは「行方市小高地区館」の敷地内にあった。門標を外した門柱から偲ばれるように、ここが元の小学校だったとは、先ほどの老人の話。

このカヤは圧巻。大概の古木がそうであるように、原初の本体はとうに逸失してしまい、根本近くから伸びた枝かひこ生えが束生したかのような外観を呈している。

元の小学校、現行方市小高地区館
大地から噴出するかのよう
枯れ枝といえども力動感がある
養生の行き届いた根周り

古木だし、一部枯れている枝もあるが、若々しい精気を発している。広大な敷地にこの木だけが孤立しているという条件のよさもあるだろうが、見応え十分だった。

この時点で6時に近く、戻りに一時道を失って走り回ったせいもあるが帰宅は暗くなった。帰りに寄ったヌカガストアで霞ヶ浦のワカサギがあったので買った。小さいのでかき揚げにしたが、美味。

本日はこれまで。

  
   
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