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| 麻生八坂神社馬だし祭り 2009年7月26日この25、26日に麻生の八坂神社で馬だし祭りという珍しい催しがあった(祭りの内容はここ、ここ参照。ただし、馬は8頭ではなく3頭だった)。26日の馬だしを見ようと出かけた。アサザの様子も見てみたいので、朝9時過ぎに浜風で家を出た。快晴でやや風が強いが、祭りとしては絶好の日和。前回と同じ道はつまらないので、ルートを変えミッドウエイファームという競争馬の牧場を覗いてみた。場内立入禁止で馬も出ていなかったが、あらかじめお願いしておいて、訓練中に来れば面白いかもしれない。どこにでも追っかけはいるもので、それらしきギャル集団が通用門の辺りにたむろしていた。馬の追っかけなのか、騎手の追っかけなのかは知らないが。その後、例によって道を間違え、前回と同じ道に出てしまったが、帰りには目的を達した。アップダウンは相当あるが、車はほとんど通らないので田舎の風景を楽しめる道だった。 11時前に八坂神社に到着。参道の松並木の両側に縄が張られていた。参道が馬だしの祭場になるのだろう。境内の道を隔てて東側に御旅所が設けられ、そこに神主と世話人らしき人々がたむろしていたので、馬だしの時刻を3時からと確認した。 今日は地元の写真家主催の撮影会があり、その参加者らしいオジン・オバンが縄の中に立ち入ってモデル撮影に余念がない。馬とモデルにどういう関係があるのかは不明だが…。もっとも世話人達の話しでは、縄の内は神聖な場であり、縄は一種の結界だから、むやみに立ち入ってはならないとのこと。かといって、追いだすわけにもいかずと苦笑していた。 早すぎるのは勘定のうち。今日の昼は行方名物ナマズバーガー『なめパックン』と決めていたので、世話人の一人に訊いて、ナマズバーガーがある麻生商店街の旭屋へ向かった。ここも地方小都市の例に漏れず商店街はほとんど締まっていて人通りはない。食堂とばかり思い込んでいたので商店街を往復してしまったが、旭屋とは食品スーパーで、その食肉コーナーでお目当てのパックンを販売していた。店の一番奥まった場所にある肉のショウケースを見ると、ならんでいる肉はなかなかのレベル。さすが城下町(関係ない?、でもうちの近所にこのくらいの肉屋があればなあ)。人通りからしても時間からしても並べて置いておけるものではないので、その場で揚げてくれるのを待った。ナマズだけでは物足りないので、ブタパックンも頼む。近くのコンビニでロング缶も買い込んで、霞ヶ浦の岸辺で早昼とした。日差しはきついが、風も相当あるので思ったほど暑くはない。なめパックンの評価は、“ネーミングの勝利”とだけいっておこう。
食後は時間つぶしにアサザの様子を見に行き、途中、いくつか名所史跡を訪ねた。 町指定の天然記念物モッコク。モッコクがこんな巨木になるとは。
旧道が国道に合流してすぐに上羽(うはは)神社がある。この神社の辺りは、霞ヶ浦の佃煮創業の地とかで創業者の顕彰碑もあった。
祭神はオオナムチともう一柱(?)。本殿が並置されていた。
国道沿いにアサザ群落地に接近する。アサザ群落の国道を隔てた山側に一乗寺がある。解説に光圀が一帯の天台宗3寺をまとめて一乗寺としたとある。黄門さまは庶民の人気が高いが、国学者としては硬派である。神道を重視する結果、明治時代の廃仏毀釈に先んじて、神仏分離を推進している。多分この一乗寺もその被害者?だろう。
一乗寺の少し奥に入ると。道路の反対側に羽黒神社。祭神は七面大明神。
本殿の彫刻などを見ると水戸徳川家の庇護があったのだろうと思うが、こうした明神系統は明らかに仏教の影響下に発生した神格。はて、黄門さまはどう考えていたのか。 元に戻って国道を越えアサザ群落へ。西蓮寺の売店のアサザは咲いていたが、自生地ではまったく咲いていなかった。
舟溜まりの中にもアサザが多い。場所によって、ヒシも混じっている。舟の出入りがある悪条件にもかかわらず、アサザが残っていたことから、波の直撃から守るという保護の方法を考えついたか。 舟溜まりの水揚げ場に箱が並べてあった。蓋がずれていたので開けてみた。外来種のナマズ(アメリカナマズ?)だった。駆除の費用がでるのか? これがさっき食べたなめパックンの原材料である。もちろん、蓋は戻しました。 さて、3時にはまだ早いが、八坂神社へ戻ることにしよう。
2時にもなっていなかったので八坂神社はまだ人出は少ないが、参道の霞ヶ浦側は撮影会の居残りメンバーか、座席を確保しつつレンズの砲列を敷いていた。
西側、霞ヶ浦寄りにはあらかじめ席を取るカメラマン(まともな写真機を持っている人の意味)が列をなしているが、東側にはほとんどまだ人がいない。東が立入禁止のわけではなく、逆光を避けるためのようだ。
時間つぶしに周囲をぶらぶら歩き回る。本格的なカメラを手にあちこち撮り回っている同年配のカメラマンが多い。登山と異なりカメラマンは女性が少ない。
御輿の屋根に鳳凰を差して赤い太紐で担ぎ棒に括り付ける。なかなか紐結びが難しい。結局、四隅を担当した各人各様にできあがった。落ちなきゃいいっぺと、のどかである。 そのうち、氏子を回っていた(多分)馬も帰ってきた。馬は3頭。
御旅所では祭壇の用意が整い、3時過ぎに祝詞が始まったようである。そのころになると、境内も賑やかになり、場所を空けると席がなくなるので、動けない。
結局、馬だしが始まったのは4時近かった。 次第を推察するに、まず馬に乗った稚児が3役を引き連れて拝殿前へ進み、次に大小の神輿が入場して拝殿前に据えられる。ところが、稚児を乗せた馬が参道の真ん中の辺りまでくると、立ち止まって進もうとしない。引き手の若い者が押そうが引こうがダメ。鳥居まで戻って何度繰り返してもダメ。結局、次の写真のように、稚児は肩車での入場となった。子供とはいえ、ほろ苦い思い出となったろう。
詳しく訊ねたわけではないが、3頭の馬はどこかの厩舎から借りてくるらしい。しかし、その都度馬が変わるわけではなく、毎年の祭りの手順を憶えていて、馬が神社に近づくのを嫌がるようなのだ。
稚児が拝殿に入り、その前に神輿が据えられると、鳥居から馬が登場する。馬は引き手に連れられて神輿の前へ進み、担がれた神輿(スサノオ)と馬(八岐大蛇)の対面となる。神輿の前で馬は一回りして尻を向けると、それが合図で馬の尻がはげしく叩かれる。これを機に、神輿の担ぎ手は喚声を上げて神輿もろとも馬を追うのである。馬が鳥居から退散すると、神輿を練って参道を戻り拝殿前で気勢を上げる。 馬を引き出しては神輿と対面し、尻をはたいては追いかける。大人、子供の2つの神輿で、この繰り返しである。側で見ていた近所の子供が、母親に馬が可哀想だと話していた。子供たちは馬を個体識別しているようだった。昔のように身近にいて気持ちの通じている飼い馬ではないから、嫌がるのも無理はない。最初に稚児を乗せていた馬も現れたが、決して参道中ほどから前へ進もうとはせす、とうとう諦めて以後は使われなかったようだ。 あとは適当にご覧いただきたい。
何度繰り返されたか憶えていないが、最後に馬を追った神輿は鳥居から出て霞ヶ浦へ進む。
なかなか面白いお祭りだった。しかし、馬と人間の関係が変わってしまったいま、このままの形で祭りを続けられるのかどうか。ぼくの脇で“馬が可哀想だ”と話していた子供たちがこの祭りを担う頃はどうなるのだろうか。 本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||