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椎名家住宅 2009年8月15日

寺社を漫然と見歩いているうちに、建物の形式に興味が向くようになった。学生時代に寺社建築の研究サークルに属していた山仲間がいて、いろいろ説明をしてもらったのもきっかけかもしれない。最近見つけた日本建築関係のサイトで霞ヶ浦沿岸に東日本最古の民家『椎名家住宅』があると知った。訪ねてみずばなるまい。

朝7時半出発。不順なこの夏で一番くらい天気がよい。霞ヶ浦大橋までは何度かいっているので、今回はなるべく幹線道路を通らずに北浦と霞ヶ浦の間の丘陵地帯を浜風で走った。

マップ

北浦沿岸の田圃そろそろ穂が垂れて

北浦と霞ヶ浦の間の丘陵地帯を斜めに横切って、大橋近くで霞ヶ浦に降りたところに養徳寺があった。

この寺が菩提寺とある手賀城主も佐竹に謀殺されたとされる。手賀城跡、鳥名木館跡などの標識を何度かみかけたので、帰途、探してみたが見つからなかった。帰ってから調べるといまは薮の中らしい。それにしても所在も定かでない城趾を探し出す趣味の人が結構多いのには驚く。いろいろな趣味があるものだ。人のことはいえないか、ははは。

養徳寺
タカサゴユリ 国道354号

霞ヶ浦大橋からは、いやだが国道354号を使う。間道を縫うことも可能だろうが、初回は到達優先。

椎名家住宅着は10時半。国指定の史跡であり霞ヶ浦側からアクセスすると案内標識があるが、今回取った山側(国道354号)からのルートだとまったくない。いったん霞ヶ浦側の県道197号へ出て、そこの標識で場所を特定して到達した。

入口の看板と対して、エノキの古木がある。

この家屋の間取りと構造の解説は、前掲のリンクに詳しい。

椎名家住宅

左手どまの入口を入ると左手に机があり記名帳と注意書きがある。記帳して保存協力費200円を箱に入れる。ここに所有者が住んでいるわけではないが、北西の奥に住宅があり、子供の声が聞こえていた。

どま 入口げんかん

普通、農家には玄関はないが、椎名家は 農家だが、牧畜(馬?)などもやっていたらしく、また村役も務めていたという(ゆえに「げんかん」がある)………「げんかん」から「ざしき」へいざなわれるのは、村々を見まわる武士である  とのことだ。

どまよこざ
ひろま 奥がざしきひろま 右奥がげんかん
仏壇神棚 ひろま 東側の鴨居上

室内の写真はAFの所用時間がとたんに長くなり、どこでシャッターが切れるのかタイミングにとまどった。結果、ありあり。

屋根裏 どまの上部屋根裏 中央
ざしき ねまはこの奥で閉じていたざしきには天井がある
どまとげんかんの間ざしき 東側
横からみると葺き替えた部分がよく分かる

本日の目標は達成した。帰りは適当にぶらぶらする。最近、浜風の走行距離が伸びるにつれて、尻の皮が厚くなったようだ。以前のようにすぐに痛くなることがない。今回も、最後まで痛くならなかった。もっとも、鬱血するのでときどき風通しをよくしてやる必要はあるが。

ガガイモ 県道197号

帰途は県道197号から霞ヶ浦沿いの118号に出る。

197号(左)と118号の合流点の案内

その合流地点の左手に池があり、なんとオニバスの特徴的な葉が見える。絶滅危惧種だ。対岸のほうが近寄れそうなので回り込んでみた。あとで調べると自然保護団体によるオニバス保存池であった。

オニバス対岸から

118号や霞ヶ浦堰堤道路を適当に走って霞ヶ浦大橋へ。

加茂神社(赤塚公園)。

参道の途中が児童公園になっている

牛渡石塚古墳

のどかな由来 
古墳頂上から見ると周囲は一面蓮畑

歩崎(郷土資料館)

歩崎付近は崖が霞ヶ浦間近まで迫っていて、低地を通る旧道沿いに水族館や公園が、崖の上の新道沿いに資料館や観音堂がある。

どういう趣味か有料につき却下

歩崎観音は、霞ヶ浦を望む崖の上にあり、展望台からの眺望は抜群。

仁王門
吽像阿像
鐘楼観音堂

歩崎観音の展望台。まだ、たいして巡ったわけではないが、霞ヶ浦屈指か?

霞ヶ浦屈指の眺望?
北東側 
南西側眼下の公園 今夜からお祭りらしい

田伏鹿嶋神社。和算家の奉納額があるとか。解いた算法は、現代風にはどんな計算に相当するのか。多元方程式の特殊解のようなものだろうか。

拝殿
本殿スダジイと祠

子安神社(田伏)。小さな神社だが、木造の社屋の佇まいがよく、背後のご神木であろう壮年のエノキの大木が見事。エノキの多い水辺では、周囲が開けていても低めのこんもりした樹冠をなすが、これまで高く伸びるとは、この辺りは昔、鎮守の森に囲まれていたのかもしれない。

電信柱が無粋だが背後のエノキの見事なこと
子安神社 地図には出ていない神社の背後から見たエノキ

エノキを撮ろうと神社の裏にまわったところに、偶然、ナギの大木を見つけた。

ナギナギの全容
樹皮葉と実

もうとうに12時を回っていたのでコンビニを探しながら走り続け、結局、行きに使った国道までもどってしまった。地図でみると田伏あたりで霞ヶ浦堰堤へ出ないと大きな迂回になるが、店がなくては勝負にならない。国道との合流点でやっと見つけて弁当と泡を仕入れる。場所を探しながら霞ヶ浦大橋を越えて、結局、東詰脇の高須崎公園まで走ってしまった。万福寺・大場家住宅のときは、岸辺で食べたが、今日は日陰が欲しい。ゲートボール場の脇の木立に、絶好のベンチがあり、木陰でやっと昼飯にありついた。

午後は、来た道を戻る。といっても最後の養徳寺は予定ルートを南に外しているので、修正しながら戻った。霞ヶ浦沿岸の広い田圃を横切って丘陵の方へ向かうと、突如、人工壁で守られた高い崖がみえ、一直線に階段が付けてある。興味をおぼえて近づくと、バス停「富士下」とある。この上に浅間神社系の神社があるに違いない。

崖を一直線に富士神社?浅間神社?

真夏の日射しに灼かれた階段を登り切ると、深閑とした木立に囲まれ、涼風が吹き抜ける。カナカナの蝉時雨。

神社より 眺めよし 

前述のように、このあと手賀城趾など探して大分時間を費やしたが見つからなかった。来がけに外した道を、予定通りに逆行する。森の下をくぐり、畑中の道を曲折して、見覚えのある広い道に出て振り返ると、いま来た道の出口は見過ごすのもやむをえない(小座山)。

稲荷山随願寺 虚空蔵菩薩(行戸北根)。

運慶の作風を感じさせるとあっては…………見られるとは思わないが、上がってみた。

お堂虚空蔵菩薩は奥の逗子の中?

稲荷神社(行戸)。車道から分岐し、少し坂を登った右奥にあった。

来がけに気づかなかった神社が立て続けに2つもあったので、地図を見直すと、左折すべきT字路をかなり行き過ぎていた。戻ってやりなおし。間違ったのはここだけ。あとは無事、5時少し前に帰着。

本日はこれまで。

  
   
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