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舟塚山・三昧塚古墳 2009年8月29日

鹿行地方には古墳が多い。なかでも最大級が行方市北部の三昧塚古墳。そして、鹿行より広域でみると東国第2位の規模といわれるのがJR常磐線の高浜駅近くにある船塚山古墳。いずれも霞ヶ浦の北部沿岸に位置する。今日は、その2つが目標。あとは成りゆき。

マップ

北浦の左岸の田圃を鹿行大橋へ向かって北上していると、ハスの畑の一部に魚が群がっているのが見えた。近づいてみるとフナだった。ハスの畑でフナの養殖もしているらしい。魚がこれだけ群れるのは餌があるからだろう。しかし、だれもいない。しばらくして、写真の白い箱をみて気付いた。これが給餌装置らしい。こぼれた餌が台に付着している。でもなあ、餌ぐらい見ながらやったらどうかね。フナの群れが健康に育っているかは、このときに一番わかるんじゃないか。

餌に群がるフナちょっと不気味

今日はちょっと距離があるので間道はやめにして、なるべくむだがないように鹿行大橋から国道354号で玉造へ向かった。しかし、車と並走は閉口。途中、大和名で北へ分岐する大きめの道があったので、そちらへそれた。目的は玉造ではなくそれより北だからね。行きは気付かなかったが、この道路は1997年に廃線となった、石岡-鉾田を結んでいた鹿嶋鉄道鉾田線と並走していた。道が鉄道に合わせたのか、鉄道がちょうどいいからこの道沿いを選んだのかしらないが、緩やかで単調な傾斜が続く、自転車にはいい道だ。偶然だが、これが大場家住宅の前を通って玉造の市街へ入るの道だった。多分、昔はこれが街道だったのだろう。こういう偶然はうれしい。

玉造からは霞ヶ浦の堰堤道路を北上する。国道355号とほぼ並行している。沖洲で国道へ出てしばらくゆくと、道路右(東)脇に三昧塚古墳があった。今年の2月10日の朝日夕刊に、この古墳の発掘を若くして担当した大塚初重氏の回想が載っていた。

場所は国道脇。周囲は広い公園になっていて、四阿などもある。古墳本体には南北に縱走?する通路が設けられている。

南西から北西から
前方部から後円部を望む。右手に霞ヶ浦。後円部の中央に出土品の陶製解説板が
棺内部 「見事な透かし彫りの冠だった」(大塚氏)副葬品 武器が目立つ

この首長の家系も、さらに広域の権力構造のなかでは、船塚山古墳の被葬者の支配下にあったのだろうか。

次は小美玉市民家(旧玉里村小松家住宅)。下山眞二氏のブログにも紹介されている。三昧塚古墳から堰堤道路へ戻ってそのまま水際を進むと大迂回になる。この辺りで、周囲の山地が霞ヶ浦へ半島状に張り出しているからだ。ショートカットして山越えで小松家へ向かった。

外から写真を撮っていると、家の中で話し声が聞こえる。小屋番代わりに近辺のひとが詰めていて、常時、火を絶やさない。木材や茅葺きの屋根を守るためだ。当番の男性に、内部を詳しく案内してもらった。開口部が少ないので、前回の椎名家住宅より内部はさらに暗い。

旧小松家住宅屋根に巡らせた紐はカラス除け
間取り図 部分
蔀戸
ざしきかまど
さんべや織機
松材の床板 塗装はしてないのにこの照り濡れ縁

雨戸の戸袋がなく、2枚のうち一枚分に重ねると障子が現れる仕組み。手抜き、無精、節約?

農家に帳場がある 年貢の取り立てを代行?か細いほどの小屋組

民家の前の駐車場から少し奥にはいると権現山古墳がある。ここからも霞ヶ浦は間近に望める。

権現山古墳 全体像 

西宮神社。えべっさんである。古民家から沿岸の車道へ出て走った。うっかり通り過ぎるほど小さな神社だが、この辺りで西宮神社は珍しいので寄ってみた。仕事で西宮に長く詰めたことがあり、えべっさんにはよく行った。小規模ながらも参道の並木もあって、個性的な雰囲気である。

西宮神社

途中から県道144号に出て、高浜駅に近づいたところで、高浜中央三叉路という交通の要所がある。この辺りはすでに霞ヶ浦から恋瀬川の沿岸に入り込んでいて、三ツ石森林公園を目指して恋瀬川サイクリングコースを遡行したときは対岸を通過している。三叉路は恋瀬川を渡る橋の北詰にあたる。セブンイレブンがあることは地図でわかっていたが、高浜神社という古い神社もあった。こちらは予定外だが、最初から目標にしてもよいほどの風格ある神社だ。

拝殿
本殿本殿の妻飾りは尾羽を広げた鳳凰だろうが
この尾羽の奥に鳥の巣があった

普通、拝殿がおおきいが、ここは本殿のほうが立派。そのせいか、後ろ姿がなかなか。

後ろ姿がなかなか 手前のムクノキが効いている

JR高浜駅北の踏切から少し坂を上がると古墳群がある。昔は駅の辺りまで香取海(かとりのうみ)が広がり、この丘陵地帯には集落が……。坂を登りきって、左手へ入ると船塚山古墳、右手へ入ると府中愛宕山古墳がある。

船塚山古墳全景 左側後円部の森に鹿嶋神社

ちょうど時期だったのだろう、おおぜいのひとが古墳に登って草を刈っていた。

鹿嶋神社

後円部の先端に鹿嶋神社がある。神社脇の道が古墳の頂部へ続いている。

後円部から前方部を望む前方部から後円部を望む 木立はシラカシなど

まだ刈られていない部分に咲いてた花。

ツルボワレモコウ
ヒヨドリバナコナラ 整備以前はコナラなどが鬱蒼と

この古墳には陪塚(ばいちょう)がある。円墳だそうだが、周囲の畑に削られて四角くなっていた。

陪塚陪塚から見た船塚山古墳

道路を隔てて、反対側に府中愛宕山古墳がある。間近まで畑と人家が食い込んでいた。

府中愛宕山古墳

古墳の先では遺跡の発掘が進行中。

発掘中白い部分は貝塚か

道路標識には大きく、この古墳名に並んで、「茨城廃寺跡 2.3キロ」とあったので訪ねたが、わからない。よくあるやつで、遠方の道路標識がやけに立派で、近くには看板もなにもない。近所のひとに訪ねてやっと行き着いたが、果樹園のなかの民間アパートの脇に案内板が立っているだけ。跡形もなし。

昼はとうに過ぎていたので、三叉路まで戻ってコンビニでサンドとビールと水をもとめる。このとき気付いたのだが、このコンビニは、三ツ石森林公園を目指して恋瀬川サイクリングコースを遡行したとき、対岸に見えたコンビニだった。あのときは弁当を買おうかどうか迷って買わずに通過し、その後は、どこまでいってもコンビニがなかったので記憶にある。高浜神社の境内で昼食。ケヤキやムクノキの木陰に風が流れて気持ちが良かった。

帰りは県道144号をそのまま走って田木谷で国道355号へ入り、そのまま南下する。この辺りの地図までは用意していなかったので適当に走っていたが、思いがけず三昧塚古墳の前を通過したのだった。今回の携帯はGPS機能もあるので、地図の確認はできるのだが、まったく思い浮かばなかった。後の祭り。

鹿嶋鉄道は144号→355号のルートに絡んで敷設されていたらしく、あちこちで踏切やら高架やら駅の名残やらを見かけた。とくに、355号に並行する部分は、車窓に終始霞ヶ浦を眺めて田圃の中を走る。そこへ突然古墳が姿をあらわすなんて……乗ってみたかった。

自動車と並走はうんざりしたので、霞ヶ浦堰堤道路で玉造まで戻る。霞ヶ浦沿岸はいたるところ、自然復元の試みがなされているが、成功しているところは少ない。ここには珍しく、戻ってきた自然が見られた。

人工的な砂州の復元が成功している水の中にも木立が 高木はエノキ

堰堤道路から玉造の町へ向かう途中、浜というところで、偶然、東福寺を見つけた。

東福寺仁王門
吽像阿像

仁王門は粗末だったが、像はいい。この像の仏師は、東大寺南大門、運慶の仁王を見たのかな。

 
山門の脇に小さな丘 もしかして古墳?

今回も最後は北浦の田圃の稲穂だが、山の手前に4〜5mの高さの薮が見える。その薮がサギのコロニーになっているようだ。薮の稜線に見える多数の白点がサギである。いままで何度も通っているが、サギが群れをなすようになったのは、この一月ほど。この時期だけのことなのだろうか。

サギのコロニーができつつあるか?

神社仏閣は古いとはいえ人々の息づかいが感じられるが、古墳となるとどうも遠すぎる。近頃整形されて本来の姿のままとはいえない古墳は、今一歩、気持ちに響いてこない。古代のロマンに夢をはせるのなら別だが……。船塚山古墳で草刈りをしていた人に、今日は暑くてかなわないけど、春秋は絶好の宴会場じゃないですかと話しかけたが、ここへは地元の人間はあまりこないとのこと。なるほど。

本日は、これまで。

  
   
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