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| 鹿島神宮提灯祭り 2009年9月1日鹿島神宮の9月の月初は、1日の例祭(月次祭、つきなみさい)のあと、2日にかけて一連の祭事が続く。一連の祭事とは、神幸祭、行宮祭、還幸祭だ。そして、それらに先行して「提灯祭り」がある。 なんだか祭りが多くて混乱するほどだが、神社の神職(多分見習い中)や地元の世話人のような人々にあれこれ訊ねた結果、こういうことらしい。例祭は、毎月1日の恒例だが、あとの3つが普通の神社の秋祭りのようなもの。神幸祭は、この神社の祭神タケミカヅチの出発式にあたる。これは本殿で夜の8時から行われる。神輿の渡御である。そのあと町内を一巡した神様は、本宮へはもどらず、当日は行宮(あんぐう)へ一泊する。普通のお祭りでは御旅所になる。翌日に行宮祭が行われる。そのあと多分また神輿の巡行があって(未確認)、本宮に戻るときに還幸祭となる。 で、提灯祭りは、その一連の祭りの冒頭に、これは神社ではなく、地元主催の祭りとして行われる。昔、神輿の先導をする提灯行列がもととなり、その行列が儀式化して、多数の提灯を柱に取りつけて稲穂をかたどった祭りの象徴ができたらしい。見かけは異なるが、秋田の竿灯のようなものか。
本当は、浜風で神社裏の社叢を抜けて、奥宮方向からアクセスしたのだが、順序として鳥居から写真を並べる。
さて、ここまでは神社の境内。ずーんとバックして、鳥居の外、表参道に沿って、色とりどりの提灯が乱立している。連というのか、講というのか、そうしたグループごとに一竿の提灯を作成するようだ。これを神輿のようにもみながら、提灯群全体が参道を進んでゆく。最後は、楼門手前右側に広場があって、そこで燃やされて奉納完了となる。この提灯すべてが燃やされるのだ。
提灯は、柱の上部から伸びた紐(棒も)と、基部の短い取っ手で支持される。これによって、提灯をぐるぐる回したり、餅をつくように上下に揺すったり、はては左右に大きく振って周囲を驚かせたりする。若さの勢いもあるが、相当酒も入っているので、危ないあぶない。
1キロ近い参道にびっしり提灯が並んでいる。 境内に提灯を燃やす(奉納する)広場がある。かたわらに大量のワラがストックされている。このワラで火床を作り、盛大に燃やす。これを担当する部会があるようだ。 「赤提灯」が、参道から広場に近づいてくる。祇園祭の長刀鉾と同じで、ここでは「赤提灯」(袢纏には‘鯰’)がつねに先陣を切る。
広場に入ってからも延々と提灯もみが続く。なぜか「鳩ぽっぽ」を歌い出すかと思えば、1、2、3から始まって100まで数えたりと意味不明だがにぎやか。独特の節回しの歌もあるようで、それも何回か。 さんざんじらされて、こっちは携帯の電源が心配になってきた。半ズボンだったので足も蚊にねらわれてかゆい、かゆい。最後に、ワラ火の上に提灯が倒される。
炎の上に提灯を倒すと、紐をもったグループがぐるぐる回り出す。火の車だ、ははは。
ほぼ燃え尽きると、炎のたったままに、外の火消し場へひきずられて、いっちょうあがり。神様は聞こし召されたか。これが何十とある提灯のすべてを焼尽するまで続くようである。
すべての提灯を燃やし終わって、本祭り「神幸祭」が始まる。 そろそろ、お腹もへってきた。本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||