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厳島神社など 2009年9月13日

厳島神社といっても、もちろん、入道清盛のそれではなく、このあたりの神社。これを目玉にして、今日は鉾田市旭地区(旧旭村)の神社や古木を訪ねる。

マップ

国道51号に並走する農道をひたすら北上する。滝浜で51号に県道2号が合流する手前で農道は途絶え51号に押し出される。そこから1キロほどで、樅山から徳宿へ脇道が抜けている。樅山神社はその途中にある。

樅山神社。七郷の総鎮守ということで長い参道をもち、広い社叢を残している。七郷が具体的にどの地区にあたるのかはわからないが、この辺りの神社の元締め。

 樅山神社 参道入口

参道周辺の花。最近、新しい携帯で、写真は簡単に撮れるのだが、どうも植物の写真がつまらなくなった。まだ、コツがつかめないみたいだ。

キツネノマゴヤマジノホトトギス?

参道を進もうとしたら、行く手を塞ぐように大きな倒木があった。このあいだ接近した台風によるものか。

倒木が参道をふさぐ(神社側から)参道は長い
 
樅山神社拝殿
本殿側から

祭神は、アメノコヤネ、タケミカヅチ、フツヌシ。タケミカヅチが主たる祭神なら、この近辺では鹿島神社となるのが普通だが、ここは地名を冠している。

本殿切り妻の装飾が変わっている参道を振り返る 入口の倒木は写真では見えない

古い神社でも本殿のすぐ脇を車道が通っていたりするが、ここはたっぷりと広い鎮守の森が残されている。ちょうど、近所の人がキノコ採りに入っていた。どんなキノコが採れるのか訊ねると見せてくれたが、そのなかで「キセルダケ」が印象に残った。あとで調べると煙管茸は標準和名ではないらしく、マンネンダケ科のマゴジャクシのようだった。図鑑などでは不食となっているが、これを焼いてから焼酎に漬けると話していた。漬けたキノコそのものをどうするかは聞かなかったが、焼酎の風味付けが目的か。

この森の主のタブノキを紹介しておこう。

タブノキ反対側から

樅山神社と国道51号の間、路傍の小塚の上にヒサカキの古木がある。

石塔は庚申塔

玉澤稲荷神社 。樅山から北へ海岸へ寄った冷水(ひやみず)にある。地方道からいったん谷に降り、さらに登り返した丘のうえだ。神社の位置としては変わっているが、おそらく神社の脇に地方道が盛り土で構築されたせいだろう。あとで、Googleの地図の航空写真をみて納得した。

地方道から見下ろした玉澤神社

社屋の柿葺は老朽し波打っているが、相当手の込んだ造りだ。

玉澤稲荷神社 拝殿
社前に御饌本殿 往時の彩色はさぞかし
社から振り返る 右手の古木は?

振り返えると、参道右手に、龍が飛び立たんかのごとき老木が。階段を上るときは、足下に目がいって気づかなかった。水平に張りだしているので、支柱がなければ倒れそうだが、葉を見るとスギ?。そんなバカな?。横様のスギなんぞ、見たことがない。階段を下って改めて見直すと、鳥居の両門にスギが植えてあり、その枝先が、スダジイの幹に被っているのだった。

本日の目玉、厳島神社は子生の国道51号沿いにあって場所はきわめてわかりやすいが、樅山神社よりもさらに広大な鎮守の森をもつ。その森の中央の窪地の湧水のなかに、おそらく人工島を設け社殿が置かれている。湧水池自体が、古来のご神体なのかもしれない。水に浮かぶ神社の連想から厳島神社を勧請したものか。

鎮守の森全体が保全地域になっている。子生はコナジと読む。

厳島神社 国道側からの表参道長い参道 深い木立

表参道がいったん車道で途切れて、その先から窪地へ下ってゆくと、すぐ右手の木間に、池に浮かぶ赤い社殿が見えてくる。

三の鳥居 ここから階段を下る木間隠れに池と社が見える
階段を下って池に浮かぶ社殿

まわりの仕掛けはたっぷりなのだが、拝殿正面は住処の玄関のようで気が抜ける。

拝殿

社殿の周囲に歩道が設けられているので一周できる。

本殿 華麗な装飾

写真では分からないが、柱に絡む龍の彫刻などにはびっしりと苔がたかっている。窪地の池の中というのは木造建築にとっては苛酷な条件。本殿を囲むガラス張りの囲いは沼気を防ぐためのものかもしれないが、かえって通風を悪くしているような印象がある。

ヒツジグサ今年はじめてのヒガンバナ

田崎の紅葉。厳島神社から鹿島臨海鉄道沿い寄ってさらに北上。駅でいうと「鹿島旭」と「涸沼」の中間、やや涸沼寄りが目的地。ここが本日の最遠地点。地図でほぼここという辺りで、孫連れの老人に出遭ったので訊ねてみたが、知らない。近くの自販機のある店を指し示し、その屋の主なら詳しいという。自販機でお茶を買って、中に入るとうずたかくゴミが積もって、廃屋状態。屋内に照明はないが、奥の居間に外光が差し込んで様子が分かる。半開きの破れ障子の向こうに、コタツにうずくまった老人がいる。もう住まいにも容貌にも手間を掛けるのが億劫といった様子。声を掛けると、上目遣いにこちらを見た。たじろぎながらも「田崎の紅葉」を訊ねてみたが知らぬ風。しかし、ややあって、そうそう、前の坂の上になんだか看板が立っているとの返事。礼を言って店?を出ると、さきほどの孫連れ老人(なんだか自分も込みで老人ばかり)がいたので、この坂の上だそうですよと声をかけた。そうなると、ああそういえばあったなあと……。だいたい、古木なんぞは、地元の人にとっては水や空気と同様で、意識にないことが多い。

のっぽの紅葉

ヤマモミジとなっているが、葉叢があまりに高くてよく確認できなかった。紅葉がこれだけ伸びるからには、昔はこの辺り、深い森だったのだろう。

主幹の内部は空ろ左手にも一本、カエデの枯木がある

根元に庚申塚があって、周囲はよく手入れが行き届いてる。古木の根元にヤブコウジやキヅタの幼生が絡まっていた。

ヤブコウジキヅタ

ここからは帰途になる。もう昼をまわっているので、昼食を仕入れるコンビニの所在も勘案しつつルートを選ぶ必要がある。しかし、人家がまれで田畑ばかり、ときどき森林では、コンビニのあるわけがない。地図では、最後の目標の「飯田のもち」まで行けば、その先に店がある。とにかく目標物が少ないので現在位置の確認がむずかしい。そこでやっと携帯を思い出した。MAPボタンを押すとたちまちに地図が出て、現在位置が示される。いやいや、これは便利だ、多用せねばなるまい。

県道116号鹿田玉造線の飯田付近に「大溜池」があり、そこから南東へ500メートルほどに飯田のもちがある。地図では手前に十字路があって、そこから斜めに畑を横切る小道があり、そのさきに飯田のもちがあるはずなのだが、十字路はあるが、肝心の小道がない。訊ねようにも周囲は畑ばかりで人家も人通りもない。周辺をうろうろしていると、ちょうど通りかかった軽自動車が脇の農道へ入って止まった。これ幸いと近寄って訊ねてみると、“ああ、それなら、うちだ”との返事。地図にはあっても消えてしまっている道の方向を指さし、経路を詳しく教えてくれた。奇遇とはこのことか。もっとも、ここら一帯の農地が、この農家のものなのかもしれない。

飯田のもち。この木は、教えてもらったひとの住居の庭先にあった。路傍に案内板はないし、屋敷は森の奥だから、通りすがりではまず見つからないだろう。邸内に入るとイヌが激しく吠える。なだめに出てきた奥さんに挨拶して、拝見。

主幹は失われ支枝が茂る

老樹であろうが、環境も手入れもよく、健康そうに見えた。中央の主幹上部はすでになく、周囲は、脇枝かあるいは実生が結束してしまって一樹をなしているよう。

脇枝か実生が結束か

このモチノキの最大の特徴は瘤だ。モチノキの名前はその樹皮の粘着性からきているのだろうが、それがまたこのような奇っ怪な容貌をつくる原因なのだろう。アルチンボルドの描く人面さながらである。

奇っ怪なりアルチンボルドのルドルフUも真っ青

116号と110号の交差点のファミマでハンバーグ(1時過ぎでサンド皆無)と泡を入手。この交差点だけ、大型店舗が集中している。昼は適当な神社ででもと、鹿島臨海鉄道方面を目指す。結局、食事ができたのは2時近く、徳宿駅の待合所であった。むろん無人駅。待合所といっても、畑のど真ん中にぽつんとトイレと並んであるばかり。このあたり鉄道は上部の開けた地下溝を通っているので、軌道は見えない。

待合所はよく言えば開放的、有り体には野ざらし。戸も窓ガラスもない。冬は大変だろうが、いまどきは風が通り抜けて快適。空中では、近くの百里基地を飛び立った自衛隊の戦闘機が数機、銀色の腹を日に輝かせて旋回していた。まだ訓練中なのか、隊伍に乱れはあるが、見物であった。

今日は、あちこちの道路で暴走族らしきオートバイに頻繁に出遭った。聞こえよがしにアクセルをふかす騒音が静かな田舎町を席巻する。昼食後、徳宿駅から樅山神社前(偶然に)を通って51号へでるとおびただしい数のライダーが集結していた。車道も歩道もオートバイと若者で埋め尽くさんばかり。普通の車両は行く手を阻まれて渋滞している。こちらも、その一群を通過しないと帰れない。嫌だなあとは思いつつ、若者達を縫って歩道を走った。しかし、都会で遭遇するそれとは違って、凶暴な感じはしない。多分、独りになればこの辺りの平凡な若者たち(少なからず女性も)なのだろう。これが現代の“お祭り”なのか。

本日は、これまで。

  
   
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