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西蓮寺常行三昧会 2009年9月24日

シルバーウイークとやらの連休は、秋の畑仕事で忙しかった。わずかな面積でも天地返しとなると大事であったが、まあなんとか終わった。今日から30日までの7日間、西蓮寺で常行三昧会(文化遺産ポータル行方市商工会)が開かれる。初日の今日の儀式は正午から始まるが、間に合いそうにない。平日なので午前中はわずかながら仕事があるのだ。11時頃にそいつを片付けて、浜風で西蓮寺まで飛ばした。秋風は爽やかとはいえ、向かい風はきつかった。

マップ

初日は籠行列を組んで当山住職が客殿(法華堂、釈迦如来)から常行堂(阿弥陀如来)へ参拝し、常行三昧が始まる。籠行列は12時出発で、残念ながらそれにはわずかに間に合わなかったが、初日の行事のあらましを見ることができた。例によって裏側から入ったが、山門から見ていこう。

西蓮寺山門山門右手のヒガンバナ 最初の時はアジサイだった

初日は平日でもあり、夜店などの賑わいもさほどではない。

参道の夜店参道から左側の短い階段を上がる

参道の夜店を過ぎて、左側の短い階段を上がると、正面が薬師堂、左手が三昧堂。

三昧堂

三昧会は始まったばかりで、お堂の中は混んでいた(といっても有名観光地の目玉寺院ほどではない)。内部はよくみえないので、回廊を一巡した。お堂の左側に蔀戸があって採光のために開いていた。そこから撮ったのが次の2枚。

これまで供養した日碑内陣裏の様子
林立する白木は今年の日碑

内陣の奥には、これまで供養した何千枚もの「日碑」がほこり被っていた(あとで見た資料では、このお堂の明治の再建以来20万霊!以上とあった)。日碑とは、その年に亡くなった人の命日を書いた位牌のようなものか。このお寺の「仏立て(ほとけたて)」というのは、この日碑を常行三昧会の仏壇に納めて供養することをいうらしい。神道の霊璽に似ている。

さらにお堂の裏に回ると、紅殻の籠が置かれていた。これで、当山の住職が客殿から、ここまで、まさに来駕したわけだ。

お堂の裏に置かれた籠
日傘と挟箱籠の上に置かれた拍子木

一回りして正面へ戻ると人混みも少なくなり、ちょうど、賽銭箱の脇で内陣の様子を見ることができた。ちょうど常行三昧会の縁起を述べる件であったようだ。中央、金襴の装束が住職。その読経が始まり、途中で住職が手元の紐を引くと、するすると幕が上がって、阿弥陀如来の像が現れる。

住職は座し、まだ阿弥陀像の幕が下りている住職が起立し、幕が上がって阿弥陀像が見える

一連の儀式が終わると、住職が立ち上がり、四方に向かって南無阿弥陀仏を幾度となく唱える。文化財ポータルの動画に登場するのがこの住職だが、映像より大分歳をとられた。

南向き、参拝者に向かい南無阿弥陀仏本堂脇で仏立ての受付

そろそろ終わりそうになったので、出籠を見ようと裏に回った。籠行列に参加する白装束の地元の人たちがたむろしていた。

お堂脇にたむろする白装束の人々
籠を担ぐのだろうか
上下を着けた先導役がお堂から出てきた
上の写真で仏立ての受付の奥に座っている人
籠行列の先導 檀家総代であろうかさてそろそろ
お堂から住職が籠に乗る

籠行列の行きは見られなかったが、帰りは見ることができた。

お堂の裏から籠行列が出発白装束が拍子木を打ち、先導役が続く
法螺貝を吹く僧これらの僧が交代で常行三昧を勤める
住職の乗った籠
籠の奥に見えるのは千年杉客殿(法華堂)へ帰る

これで初日の主な行事は終わり、あとは常行堂で7日間不断の立行誦経(たちぎょう)が続く。つまり、この行に参加する僧侶が交代で、7日間昼夜の別なくお経を唱えながら阿弥陀仏像の周囲を巡るのだ。本来は本山延暦寺の行事だったものを、西蓮寺が引き継いだらしい。参加するのは、宗派を問わない近隣の寺の僧侶だというのもユニーク。

今日は、薬師堂もご開帳。そちらも覗いてみた。

薬師堂ご開帳

これまできたときは閉じていた薬師堂が、今日は、ご開帳。表から写真を撮っていたら、そこではよくわからないだろう、なかへどうぞと声をかけられた。ご開帳だから、間近でご覧くださいと。もちろん、「撮影禁止」の札など、どこにもない。係の人は、郷土の秘仏を、このときばかりは見てもらおうと誇らしげである。

 
 秘仏 薬師如来座像

写真では、薬師如来は同じ堂内にあるように見えるが、実際には、奥に防火造りの別棟があって、そこに安置されている。境界の扉を開くとこのように拝見できるようになる。神社の拝殿、本殿のような構成。

薬師如来の左右の座像(上の写真のさらに外側)に名前はなかった。薬師本尊となれば、日光、月光となるかと思ったが、座像だし螺髪だから菩薩ではない。となると、開口部左右の立像のほうが日光、月光かな?

日光菩薩月光菩薩

籠行列が戻ると、たちまち境内は静かになる。

三昧堂に戻ると、立行誦経が始まっていた。暗くてうまく撮れなかったが、当番の僧侶が誦経しながら右側から歩み入り、中央で本尊に向かい低頭し、左へ歩み去る。この繰り返しだ。もういまは、ぼく以外、堂内にはだれもいない。

左下の写真が客殿。右下の写真。振り返ると、千年杉の奥に三昧堂がある。この2つのお堂が、境内の東西軸の両端にあって、籠行列はこれらを往復する。

法華堂 つねの法事はここで千年杉の奥に三昧堂

これで常行三昧会の一端をかいま見ることができた。最初に、三昧堂の参拝者に並んで堂内の賽銭箱の前に立ったとき、ふしぎな懐かしさを憶えた。都会や観光地で社寺の行事といえば、必ず警備線が敷かれ、ガードマンが立ち、数々の制限事項や禁止事項がある。やれ、ここは撮影禁止だ、この先は立入禁止だ、ここでは静謐に…………。マナーは守るべきだが、他から明示的に強制されるとわずらわしい。まして、入場料を払ったあとでは腹立たしかったりする。しかし、ここ西蓮寺の常行三昧会にはそうした雰囲気はいっさいなかった。おのずから自制はあるが、どこへ立ち入ろうと自由。何を撮ろうと自由。お経を上げている最中でも、知り合いが出遭ったりすると、おおらかに談笑がはじまる。

千年以上の歴史をもつ常行三昧会も大切かもしれないが、だれもが参加でき、だれもが受け入れられるこうした行事のあり方が残っていることの方が、新鮮で貴重に思えた。金ピカ衣装の小太りの僧侶がガードマンに守られてお経をあげても、なにが有り難かろう。

帰りは風はあってもおおむね順風。時間に間に合わせようと急ぐ必要もなし。のんびり、浜風のペダルを漕ぐ。

次の写真は、北浦大橋東詰めで撮ったモンキアゲハ。いままで、これほど間近で見たことがなかったので、はじめて“紋黄”の意味が納得できた。ただ飛びすぎるこのチョウを見ると、白い紋が目立つ。手元の図鑑やWebの写真などでもだいたい白く写っている。ところが、ここで実物をじっくり見ると、紋は白ではなく黄色であり、下部はオレンジを帯びていた。やっと腑に落ちた。この写真でも白っぽく見えているが、肉眼で確認したので間違いない。

ボタンクサギで吸密するモンキアゲハ

次の写真は、ヒガンバナに囲まれた墓地。北浦大橋の信号から一直線の登りをのぼりきったところの跨橋の左手眼下に見える。前にも書いたが、おの辺りはお墓を自分の土地の中に作る。ここもそうだろう。墓は新しいし、ヒガンバナも最近定植したようだが、あまりに見事なので寄ってみた。

西蓮寺も最近、境内にヒガンバナを増やしているそうだが、これほど壮観ではなかった。ま、時間の問題かもしれないが。

中央はヤマザクラ

本日はこれまで。

  
   
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