OJerBlog
 
息栖神社・鹿島臨港線終点 2009年11月8日

→補足と訂正 2009/11/12

ひさびさに浜風を駆って、神栖市の常陸利根川右岸にある息栖(いきす)神社を訪ねる。調べたわけではないが、相当な由緒のある神社のようである。国道124号→県道44号が最短距離だが、延々と車と並走することになる。北浦→鰐川→常陸利根川と右岸通しの堰堤道路を使うことにした。

マップ

北浦沿岸はずいぶん走っているが、右岸下流域は始めて。後半は堰堤道路が砂利道になり快適とはいえない。最後に「爪木ノ鼻」が半島状に水域に突出しているが、それもショートカットせずに忠実になぞった。なにせはじめてだから、まずは見ておかねば。

北浦も徐々に狭まり、最後にJR鹿島線の鉄橋、新神宮橋、神宮橋と3本の橋が並ぶ。

残骸中空

北浦の下流の植生保護区域。本来、この構造物の中には石が詰まっていて、波が沿岸を洗うのを防ぐはずなのだろうが、もぬけの殻。わずかに根付いたアサザが黄葉していた。

左は神宮橋、右は新神宮橋ここで北浦は終わり鰐川へ 神宮橋東詰

鰐川とは面白い名前を付けたものだ。往時は海水がこのあたりまで遡上しただろうから、もしかしてワニ(サメの古名)が出たのだろうか。

鹿島コンビナートの煙突は終始はるかに見えているが、今日は風向きがこちらへ向いているせいで、鰐川沿いまでくると、かすかだが排煙の臭いがした。鳩ヶ谷にいたころ川口近辺へ行くと漂っていた、あの硫黄成分を含む臭いだ。

鹿島神宮 大船津の一の鳥居堀割川??

鰐川沿いに走っていると急に川幅が狭まった。本流がこんなに狭くなったら、とたんに洪水になりそう。どこかの分流にさそいこまれたようだ。しばらくして「堀割川←→鰐川」の標識があった。とはいっても橋がないのだから渡りようがない。初めての橋で対岸を引き返せば鰐川に戻れるが、大分きてしまったので、橋の通りを鰐川方面へ走った。水郷有料道路に出会ったところが鰐川橋南詰で、そこから鰐川に戻ることができた。鰐川橋からすぐ下手で、鰐川は外浪逆浦に流入する。

外浪逆浦(そとなさかうら)は、名前も変だが形も変だ。膀胱のような形で、右の尿管が鰐川(北浦)、左が常陸利根川(西浦、いわゆる霞ヶ浦)。北浦と霞ヶ浦のおしっこの溜まるところだ。標識の書き方では(河川管理上は)常陸利根川の一部らしい。海からの潮の影響で、流れの向きとは逆に波立ったのだろうか。

昔、外浪逆浦周辺が河川交通の難所だった名残という「九人坊」。この辺りは賀(が)という一音の地名。以前、里(さと)という地名の所に住んでいたことがある。今度が和(かず)で、友人から短い地名が好きのようだが、この次はどこにするのかと問われ、墓(はか)と応えたが、賀には負ける。

九人坊由来九人坊

常陸利根川に入ってからは、ときどき地図を確認して行きすぎないように注意したが、その心配は要らなかった。堰堤道路の左手に大きな鳥居が見えて、気付かぬほうが難しい。

常陸利根川堰堤から息栖神社の鳥居逆に鳥居から堰堤

鳥居の前が舟溜になっていて、釣りを楽しむ人もいる。

忍潮井 女瓶男瓶

この鳥居の脇に2つの湧水がある。この辺りが汽水域だったころから真水が湧いていたそうだ。石碑に記された伝説がなかなか面白い。

息栖神社稲荷社脇 タブノキの面白い木瘤 松毬状
風祭が水上交通の神らしい

いまだ周囲に十分な鎮守の森が残る大きな神社だ。しかし、社屋はコンクリート製。当方の趣味としては、とたんに興味を失う。

息栖神社拝殿本殿

しかし、神域の雰囲気はそれなりのものがある。参拝客はほとんどなかったが、季節柄、七五三装束の子供を連れた家族に2組ほど出会った。古びた社に華やいだ幼児が訪れるのもいいものだ。

本殿周囲の玉砂利
亀裂の克明な樹皮 神木は別の杉だがこれがいいその根の瘤
社務所前のサクラ 枝振りが秀逸菊祭
それでは失礼

例によって、近所のコンビニで弁当と泡を仕入れ、土手で昼食。午後はさて、どうするか。

まったく唐突に、鹿嶋臨海鉄道の臨港線の終点を極めようと決めた。いつだかWebで写真をみた憶えがある。コンビナートの最奥にあったはずだ。持参した地図には駅の記号はないが、路線がまだ残っている。その路線の途絶えるところまで…………。

常陸利根川沿いにさらに下流へ。地図を見て適当なところ(高浜→芝崎→萩原辺りか)から「知手(しって)」という交差点を目指す。知手交差点が、コンビナートの最南端の隅で、近くを臨港線の軌道が通っている。知手までが結構面倒であった。新開地らしく街路は升目に直交して刻まれているのだが、少し川沿いに南下し過ぎたせいで、行きたい方向とその升目が45度くらい斜めに交差している。阿弥陀籤のようで、道の選び方が難しい。結局、携帯の地図機能をフルに利用して、鹿島臨港線の軌道にたどり着いた。あとは、その進むままに浜風を漕いだ。知手交差点から先、軌道は直角に2回曲がるだけだが、その一辺が2キロくらいある。それだけでも6キロ。鹿島コンビナートは広大である。人間的なスケールが通じない。火力発電所、製油施設、化学プラントといった設備が林立し騒音と臭気が漂うなかをひたすら漕ぐ。自動車の通りはあっても、自転車なんか一台も走っていない。まして、人影はない。

深芝浜交差点 人影はなく車だけが行き交う

公道は最後に鹿島石油と三菱化学の間を南西に進んで、運河で行き止まりになる。地図でも実際でも、軌道の最終部分は三菱化学の敷地内を外周に沿って走っている。公道と構内は数メートルの樹木帯で隔たり、たまに木立が途切れたときしか軌道を確認できない。最後の直線道路で運河にぶつかる寸前、左側に三菱化学の北門が見えた。門前脇に駐車場が開けている。そのフェンスの奥に、あった、あった。ここで軌道が終わり、タンクを乗せた貨車が見えている。(事後調査の結果、ここは三菱化学の専用線の終点で、鹿島臨港線の終点は2番目の直線区間県道117号の中央近辺だった)。

心配だったのは、もしかして、すでに廃線になって途絶えているのではないかということ。とくに、途中、道路を隔てて隣接する他の工場からの引き込み線が、ことごとく薮に埋まっていたのでなおさらだ。さらにまた、三菱化学の敷地内で終わっていて、終点が見られないのでは、ということだ。なんだかゴーゴー、ブーブー鳴っている巨大設備の最中をえっさかえっさかペダルを漕いで、何も見えなかったは情けない。やれやれ救われた。

門は閉まっていて門番も居なかったが、工場は通常の操業を続けているようだった。こうしたプラントは生き物のようなもので、休日だからといって止めるわけにはいかないのだろう。

あれが駅舎 鹿島臨港線三菱化学専用線終点左端にタンク車の後尾が見える

補足と訂正

(1)名称

鹿島臨海鉄道株式会社が、旅客鉄道事業として大洗鹿島線(水戸駅−鹿島サッカースタジアム駅間)、貨物鉄道事業として鹿島臨港線(鹿島サッカースタジアム駅−奥野谷浜駅)を運営している。コンビナート内の軌道は「鹿島臨港線」が正しい。

(2)終点

上の(1)にある終点奥野谷浜(おくのやはま)駅の位置が不明だが、Wikiによると住所は東和田で、“三菱化学鹿島事業所、JSR鹿島工場への専用線が分岐している ”とある。電話で鹿島臨海鉄道に尋ねてみたところ、県道117号沿いの鹿島共同施設のある交差点近くで、駅舎はないとのこと。したがって、写真の駅は鹿島臨港線の終点ではなく、三菱化学の専用線の終点ということになる。

行き止まりの運河の情景も少々。

ちょうど三菱化学への船が到着運河 北方向 こんな所にも釣り人が

さて、帰りは、同じ道を通って、この運河の反対側へ戻るわけだ。あとで地図ソフトで調べてみたら、眼前の対岸の奥にある神栖市役所までの道路距離は約10キロあった。鹿島コンビナートは広い!!!

旧飯沼街道田谷付近 クサギの返り咲き(実)

本日はこれまで。

  
   
現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system