OJerBlog
 
眞浄寺 2010年2月14日

府馬の大クスに味をしめて香取市のサイトを調べてみた。そのなかの眞浄寺は、伝鑑真開基とあり、枝垂れ桜の名所だとする写真がなかなかいい。決まりだ。

眞浄寺は府馬の大クスから西へ10キロほどのところにある。それなら少し遠回りだが、前回見つけた東関道の歩道をもう一度渡ってみたい。そこで、行方→潮来→東関道を経ることにした。しかし、東関道沿いには道がない。地図を拡大してみると、側道はあるが途切れた部分をどうするか。それをしのいで県道16号にたどりつけば、あとは県道44号経由で目的地へ行ける。

マップ

昨日まではぐずついた寒々しい冬日だったが、今日は晴れるという。しかし、気温が少しあがったせいで、いつまでも霧が立ちこめ視界は開けない。北浦大橋を渡って右岸沿いに大賀へ。そこから丘陵地帯へ上がってさらに南下する。大生神社から田舎道を縫って国神神社へでる。

大生古墳群の一つ(白幡八幡塚古墳大生神社の杜

国神神社から潮来の稲荷山まではほぼ一直線で、車道だが車は少なく自転車には快適。稲荷山を下ったところが潮来大橋だ。車だと、潮来大橋を渡った道路は利根川に突き当たり、北上して水郷大橋を渡るか、南下して小見川大橋を渡るかしかない。

八代の大椎潮来大橋から潮来市街 左は稲荷山

浜風は、潮来大橋から広大な田圃地帯を抜けて鹿島線に行き当たり、鹿島線沿いに利根川左岸へ。

鹿島線 十二橋駅付近利根川を渡る東関道

利根川左岸の堰堤道路を下ると、東関道にぶつかる。

東関道利根川橋の歩道入口東関道の橋梁にぶら下がる歩道

利根川を渡って、行く手を見ると東関道の高い橋脚に沿って舗装道路が見える。しかし、この道を進むとすぐに利根川に並走する国道356号とJR成田線の軌道にぶつかる。その背後は崖で、その上部を東関道が貫いている。さしたる理由もなく国道を右へとると、200mほどで側高神社の大きな看板があった。その先に、JRを越える踏切があり、崖を登る切り通しが見える。あとで地図を見ると、逆に左側から回り込んでも、同じ程度の距離に登路があって、そちらは東関道佐原PAの周縁に出る。

側高神社

意外に広い切り通しを、えっさかえっさか浜風を漕ぐと、上りきったところに側高神社があった。今日は本命の眞浄寺以外に予定はなかったが、意外にも格式の高そうな神社である。解説板によれば、香取神宮の第一の摂社とある。地図を調べているとこの名前の神社はほかにも見かけるが、どうやらここが本社らしい。同名(側鷹)の神社は以前にも訪れたことがある。

側高神社 拝殿

観光地の神社のように売店はなく人の気配もないが、拝殿の戸は開け放たれ、灯明が見える。参道の階段の脇に住宅があったが、神職のそれであろうか。

だれもいない 拝殿から素通しで本殿が見える 本殿

拝殿が吹き抜けで本殿が見える様式は、この地方では一般的らしい。通りすがりに道路脇の神社をいくつか見たが、拝殿が舞殿をかねて舞台になっていて、その奥が開け放ちで本殿になっているものがいくつもあった。

社務所と拝殿 

社の建築自体は平板な造作で見るべきものはないが、神域を取り囲む杜がすばらしい。

神木の杉神木の根元 この迫力はただものではない
神木の上部拝殿背後の杉の木立
ナギの大木

それにこの神社には面白い行事や遺構がある。

降水で豊凶を占う四箇の甕

こんな面白いお祭、ほかにあるかな。

髭撫祭由来境内脇の土手 昼飯場

髭撫祭か、これは来年の目標が一つ増えた。神社を出るとちょうど12時だったので、ここで昼とする。予報通り空は晴れ渡ったがほんの短い時間だった。このあとまた雲がどんどん増えてきた。

昼食後は難行苦行だった。とにかく方針は県道16号にぶち当たるまで、東関道に絡んで進むのである。ところが、東関道に沿って素直に走れる側道などわずかしかない。一般道に交差すると、側道はそれに飲み込まれて消え、高速に隣接してPAがあれば大きく迂回する。とにかく引き離されないように、つねに高速道を視界に入れるように軌道修正しながら走る。しかし、何度となく目標を見失い、見つけ直すのにえらい距離を走らされた。これは東関道を中心に左右方向への振れだからまだましだ。

東関道は丘陵地帯を、ほぼ一定の高度をもって、その頂部を縫うように走っている。しかし、側道はフェンスの外にあって地形を忠実になぞる。つまり、高速道が高架で数十メートルの上空を通るときは、その橋脚の脇の畦道を走り、田圃が終わって丘にさしかかると、急登をあえぎ上る。そしてなぜか、地方道へ誘われてしばらく走り、軌道修正をすると、奈落の底へ落ちるように谷地の田圃へ入り込む。すると東関道ははるかかなたの上空を横切っているのである。

光明院阿弥陀堂

これも偶然に、佐原香取ICの手前で、側道の坂を駆け上って県道55号に出たところに、「源満仲ゆかりの光明院」の看板があり、訪ねてみる気になった。満仲をすぐには想い出せず、“まんちゅう”→“まんじゅう”の連想だけは頭に浮かぶ。鬼退治の逸話のある頼光の父で、清和源氏の実質的な祖。能にも「仲光」(観世)or「満仲」(他流)の演目があるが、観たことはない。

東関道の東側を元へ戻るように細い道を大分進んで、諦めてもう引き返そうかと思ったころ、右手の奥に異様な茅葺きのお堂があった。

光明院 阿弥陀堂
江戸初期の仏堂源満仲伝承地とある

満仲ゆかりというが、史実かどうかわからない。Webをかいま見た限りでは、このお堂のある多田の地名と、満仲の所領である兵庫県の多田が同音の“ゆかり”で、おとぎ話ができてしまったような印象がある(満仲は、多田満仲とも称す)。

光明院は光明ならず、その先も紆余曲折、アップダウンを繰り返し、もうこれ以上登りがあったら、浜風を押して行くかと思うほどしごかれたころ、やっと16号にぶつかった。

教訓、クロスカントリーならまだしも、目的地へ到達する手がかりに高速を利用するのは無謀である!

眞浄寺

県道16号から44号へ右折して、だらだらと長い坂を上る。その頂点で左折して側道(これが古道だろう)を下り、さらにもう一丘上り返したところに沢の集落がある。丘陵地帯のほぼ頂点付近に廃校となった小学校があり、その校門脇に珍しい枝振りのケヤキがあった。

旧沢小学校のケヤキ校庭に入って撮った

このケヤキを通り過ぎて急坂を右に回り込むように下ると眞浄寺がある。行きがかりで庫裏のほうから境内へ入ってしまった。

庫裏から本堂枝垂れ桜の陰に本堂
眞浄寺 本堂

“伝鑑真開基”で、具体的な資料はないようである。宝形造の頂部、露盤から宝珠にかけての階層は手が込んでいる。向拝の屋根、左右の装飾棟は何と呼ぶのだろう。遊離稚児棟?まさか。お堂の中は見ていないが、天水の近くに数台の老人用手押し車が止めてあり、正面階段下に履き物が並んでいる。近所のお年寄りが集まって、読経や掃除に励む日常があるようだ。

蓮寿山
こっちが参道 それでは失礼 

五社神社

さきほどの小学校の裏にある神社。数の具合がいいのか、五社神社は各所にあるが、本社があるというわけでもなさそうだ。

五社神社 鳥居 ここから下る上り直して
参道の奥五社神社 拝殿

掃除は行き届いて、荒廃の気配はない。

五社神社由来モチノキの根 参道脇

そろそろ3時。引き返すことにしよう。ここで素直に戻ればよかったのだが、少し遠回りをして県道44号を成田方向へ向かい、途中で右折して国道51号へ出るつもりだった。

澤大櫻 沢の集落から44号への出口にある両側は沢の集落への道路

44号をひたすら漕いだが、右折すべき分岐をうっかり通り過ぎた。少し経って気付いたが、ときすでに遅し。戻るのも億劫で、いずれ案内板があるだろうと漕ぎ続けた。

十余三(とよみ)の稲荷神社 拝殿兼舞殿形式?本殿

ちょっと来すぎたとは思ったが、なかなか分岐がない。そのうち行く手に旅客機が離陸する姿が見えた。どうやら成田空港の間近まで来てしまったようだ。そこでやっと右折51号の標識を掲げた交差点があった。

Uターンして帰途につく。あとはひたすら浜風にムチをふるう。もうこれ以上、何も観まいと思うのだが、好奇心に負けることもある。

51号の途中にあった長興院本堂

あとで調べると、県道44多良貝交差点→県道79号→吉岡十字路→国道51号とたどっている。しかし、20キロ以上も51号を走るのは辛かった。騒音、排ガス、危険の三重苦である。51号を離れて通行量の少ない県道へ入ったときは、心底ほっとした。もう少し帰りの時間にゆとりをもたせたいが、早朝は寒いし、日暮れはまだ早いし、しかたないか。

本日はこれまで。

  
   
現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system