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レイアウト変更  2010年3月1日

この土日は浜風散歩どころではない荒天だった。まるで台風接近のよう。ご近所ブログの漁師さんの話では、太平洋側を低気圧が通過すると、鹿島灘沖で急激に発達するそうだ。外出できない退屈まぎれにブログのレイアウトを変更した。モンドリアン風の色遣いはExcite!ブログのパクリだが、気に入っているので概要は変えなかった。ご覧のとおり、左側にバーを付けてメニューを置いてみた。

この画面のように、左側と上部が一定のフォームで、記事の部分だけを日ごとに書き換える方法はブログでは一般的だ。その場合は、その日の記事を追加するだけでいい。しかし、今回のようにフレームの部分を変更すると、これまで掲示した全ページを差し替えることになる。

このサイトはブログと称しているが、通常のホームページをブログ風に構成しているだけで、記事をアップするごとにナビ関係のリンクは自分で張っている。結構面倒なのである。アップには相当時間も掛かるので、その途中で覗くと新旧入り交じっておかしな状態になっているかもしれない。

ご容赦!

北浦・白浜 2010年2月20日

今日は近場にして、昼食後に家を出て、北浦大橋の西側にある白浜周辺を回ってみる。いまの北浦はすべてコンクリートの護岸で固められているが、白浜や渚という地名が残っているから、昔はこのあたり砂浜だったのだろう。遠出をするときはいつも通過してしまうが、「白浜ふるさと自然のみち」という散歩コースが設定されていて、古墳、城趾、古寺などがある。行方市の「白浜ウォーキングセンター」、県立の「白浜少年自然の家」やレークセンター(「鹿行生涯学習センター」「女性プラザ」)などの施設も集中している。というと賑やかな観光地を想うが、純然たる田園地帯だ。

マップ

(マップにある白浜ウォーキングセンターは以前Mapfanに記載がなかった。所在を投稿してから載るようになった。コホン)

北浦への長い下り坂/当然、帰りは上りになる北浦大橋の西側 正面の丘陵地帯を巡る

光りは春。長い坂の行く手に北浦の湖面が輝く。今日の浜風散歩コースは、橋を渡って正面に見える丘陵地帯。右手の一番高い丘に、最初に訪れる愛宕神社がある。

白浜愛宕神社

愛宕神社 鳥居参道の階段

簡素な拝殿と、本殿も覆堂もなく野ざらしのままだが、周囲の末社を見ると新しい幣としめ縄が懸かっていた。

愛宕神社 拝殿

神官が行方氏というから、この地方の領主の係累なのだろう。その祖が修験者にして権大僧都鏡恵というのだから、神仏混淆の最たるもの。

幣としめ縄も新しいいくつもの末社野ざらしの本殿

自然のみちは、この神社を北側から巻いて白浜台へ向かう。途中は、周囲を丘に囲まれた田圃の畦道。しばし、人家をまったく見ない風景が続く。

オオイヌノフグリ 畦道にて

白浜台古墳群(少年自然の家)

しぜんの道は田圃と別れて林に入りしばらく登りが続く。北浦大橋から登ってくる県道186号に出会うあたりに白浜台と宇崎台の古墳群がある。白浜台は県道の北側、宇崎台は県道の南側で、その間200mくらいしか離れていない。出会いのすぐ下手で県道はトンネルとなっているので両古墳群は車道を横断しなくても行き来できる。

少年自然の家の庭から北浦
白浜台畑古墳群 1号墳(前方後円墳)2号墳(円墳)

宇崎台畑古墳群(レークセンター) 

レークセンターから北浦

レークセンターには広いキャンプ場があり、その周囲に古墳がある。

宇崎台古墳群 1号墳2号墳

しぜんの道は、古墳群から丘陵地帯の畑と農家の間を縫ってゆく。車道だが気持ちのいいコースだ。

寿福寺と雷神社(相鹿の丘前の宮跡)

しぜんの道は1キロたらずで県道185号へ行き当たる。そのT字路の左手に「相賀の丘前の宮跡」の案内板あり、そばに寿福寺の門柱があった。弘法大師とヤマトタケルの足跡と称するものは全国にあるようだが、相賀の宮跡のいわれはなかなかもっともらしい。

  

坂をのぼりきると墓に囲まれた広場があった。周囲の様子を見れば廃寺だろうと見当がつく。隅に社が3つある。

相鹿の丘前の宮跡 ほぼ寿福寺境内に相当する

広場だけで寿福寺の姿はない。昨日、検索していてWebで廃寺の写真は見たのだが、建物は見当たらない。広場の中央に焼けた木材が積まれていた。わずかに焼け残った木塊を眺めていると何かの形が見えてきた。これは獅子の顔ではないか。廃寺は焼失してしまったのだ。残念。Webで瞥見して、これは雰囲気があると期待していたのだったが。

焼けた木材獅子の顔が焼け残っていた 木鼻だろか
雷神社
道鏡を祀る社

なぜここに道鏡がと思ったのだが、失脚した道鏡が下野(栃木)薬師寺の別当に任じられたと知って納得。この薬師寺はいまは史蹟として残るのみ(行ったことはない)だが、当時は、筑紫戒壇院、奈良東大寺とならんで大和朝廷から正式に授戒の権限(僧侶の任命権)を与えられた有力な寺。左遷されたとはいえ道鏡のこの地域への影響力は大きかったのだろう。鑑真は授戒の権威を高めるために朝廷に利用され、最澄は延暦寺が授戒権を獲得するために生涯をかけた。

道鏡大明神社流石に道鏡を祀るだけある

3つめの新しい社は観音堂?。真新しい畳が敷かれ、実際に人々の集いに使われているようだ。

観音堂?

相賀城跡

雷神社からほぼ水平に小道をたどると相賀城跡に至る。といっても畑が広がるだけ。周囲の森で地形は判別できないが高台であることは推察される。ここも佐竹義宣に滅ぼされた南方三十三館の一つらしい。

畑が残るのみ

ナウマン象発掘現場跡

相賀城趾から坂を下りきったところにあった。ここも看板だけ。

今は路傍の空き地

根子屋の八幡神社

根子屋の八幡の鳥居参道の階段

拝殿
拝殿内部 ここも真新しいゴザが垣根は塗り直したばかり

境内のスダジイは、この辺りではまだ若造だがいずれも一癖ある枝振りで、将来の大物ブリをうかがわせる。ハリポの「暴れ柳」(『アズカバンの囚人』)を思わせる。

境内のスダジイまた別のスダジイ

高台にある神社はどこも見晴はいいはずだが、実際には境内が森に囲まれているので視界はあまりない。ここは、その点別格。そのために伐採したわけではないだろうが、絶景の展望台がある。

境内の一画に展望台展望台から北浦

稲荷の森古墳

八幡神社の展望台からの写真で右の奥に位置する。何度も近くを通っているので“古木の茂る”場所などあったかなあと周辺をうろうろしたが見つからない。立ち話をしているご婦人に尋ねてやっと小学校の校庭にあることがわかった。この地の人は稲荷の森とはいわず、また別の呼び方をしていた。発音をただすと、ご当人らも正確にはわからないらしく、漢字でどう書くかも知らない。自分たちの出た小学校だけど、といって笑っていた。

稲荷 → とうか 2010/03/24
先日、ご近所ブログのKura氏からメールをいただいた。この“別の呼び方”は“トウカ”ではないかとのこと。稲荷は音読みならトウカとなる。そうだそうだ、ご婦人らもたしかそう言っていたと、このメールで思い出した。自分で撮った写真(左下)の説明にもそう書いてあるでははいか。ははは。
太田小学校の校庭に古墳

嬪野(よめの)神社

太田小学校からUターンする。途中に、相賀山龍翔寺という相賀城主の菩提寺といわれる古刹もあるが、ここは門前から見るだけにして、本日の最終目標、嬪野神社へ向かう。この神社も遠出の行き帰りに何度も通っていて、いつかは訪ねるつもりだった。北浦大橋を通る県道は白浜台・宇崎台の辺りで山越えになるが、北浦寄りの旧道を回り込めばこのあたりを上り下りなしで通過できる。その途中にあるのだ。

御頭(おとう)勤番帳とや……林のなかを行く長い参道

宇崎の集落センターの向かいに一の鳥居がある。鳥居の奥の階段を過ぎると、あとは林のなか参道を200mほどゆるやかに上る。

二の鳥居参道を振り返る
嬪野神社 拝殿本殿

課題の神社だったが、道ばたの鳥居をくぐって少し上がれば社があると思っていた。これほど懐が深いとは。今日の散歩の締めくくりに相応しい神社だった。

神社の前の畑にロウバイが咲いていた。もう盛りは過ぎている。

ロウバイ
夕陽を浴びた北浦大橋

わが家の周辺にはあまり散歩向きの道はないが、この辺りまでひとっ走りきて、浜風をどこかに置いて散歩するのも悪くない。

本日はこれまで。

  
   
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