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| 香取神社・又見古墳 2010年5月22日引っ越して2年目も半ばになるが、まだ香取神社を訪ねていない。だから今日は香取神宮にした…………のではない。ちょっと、ルートを誤って佐原近辺へ来てしまい、戻るのも面倒なので、思いついた。前回浜風散歩は4月4日の沖津のサクラだから、えらく間があいた。もちろん浜風散歩に飽きたのではなく、天候不順と諸般の事情が重なっただけ。サクラのときはまだ浜風は調整中だったが、いまは完璧。シフトはカシャカシャ決まるし、チェーンが外れることはない。いままでは、上り坂でシフトのタイミングを間違って、あわてて変速すると必ず外れたものだったが、そうしたトラブルはまったくなくなった。
まだ観光客のあまりいない佐原の町を通って香取神宮へ向かう。
浜風は土産物屋街の入口に置いた。香取神社は2度目だが、前回は表の参道をすなおに進んだ。今回は、赤い鳥居から少し歩いた左手に、奥宮、要石の案内が目についたので、そちらを辿った。
要石は鹿島神宮にもあり、同じような解説がある。これら神社の神話的な背景を考えれば、地震というより、平定した領土の安定、地鎮を象徴するのだろう。広辞苑を引いてみて意外だったのは、要石という比喩的によく使う言葉が、これら神社の要石から発しているようなのだ。 どちらも光圀が試掘を試み、掘ろうとしてみたが掘りきれなかったという説話があるが、本当か? こうした神話的なイメージのつきまとうものを、あの国粋主義者が掘ろうとするかどうか。もっとも、いまは有名なものでも、当時はその所在がわからず、探させたのかも知れないが。ははは、まったくの憶測です。
要石を過ぎると、すぐに本殿の脇に出る。
総門とは仏教伽藍で使うものとばかり思っていたが、この神社の案内図にそうあるからには、そうなのだろうが、他にあまり聞かないが。総門から直線的に楼門、拝殿と進むのではなく、総門の先には手水社があって行き止まり、右へクランク状に曲がって楼門、拝殿へ至る。この神を間近に至るまで直視しないという構成(かってな解釈)は鹿島神宮も同じ。銚子のサルタヒコ神社もそうだった。
本殿の奥にも緑地が広がっていて、古びた食堂があった。ここにも鹿苑があったとは。
香取郡市とは何か。香取市と、その近辺の香取郡の町を併せた呼称だそうだ。変なの。でもその町は香取市に併呑されたのだろうね。 本殿の背後に広がる緑地に散歩道が続いている。適当に歩いてみたが、深い森に農地、農家が入り込んで神俗の混合した景観をなしている。そのうち偶然に奥宮へ行き当たった。そういえば、最初の案内には要石と奥宮とあったが、要石のあとは道なりに総門へ出てしまったのだ。
神の魂にニギタマとアラタマがあるという考え方は面白いが、この奥宮はとても荒ぶる魂が祀られているとは思えない静謐に満ちていた。
香取神社の神域を一巡して浜風に戻り、この近くにあるという又見古墳を目指した。この古墳のことは、ご近所ブログで知った。香取神社から香取駅へ向かう道の途中を左折して、おおきくUターンするように上り下りした先に又見神社がある。古墳はその境内にある。古墳といっても玄室を構成していた石板がむき出しになっているだけ。
石室の中には、漬け物用のポリバケツ、ワラジ、ダルマなどが散乱。“大変貴重な古墳”と記す、総ステンレスの案内版を立てる予算があるなら、肝心の遺跡を保存処置したらどうか。ここの教育委員会は何を考えているのだろう。
香取神社一帯の丘陵地帯をおりて香取駅方向へ向かう途中、道路左手にこんもりした丘がある。神道山古墳公園の看板があったので、上ってみた。その丘全体が公園であり、ハイキングコースが一巡しているようなのだが、様子からすると“公”園であるか疑わしい。丘の上には神社があり、亭やキャンプ施設などがあって、ほどほどに手入れがされているが、公園設置者たる行政機関の表示がどこにもないのだ。あとで調べると、地域のボランティアが古墳を中心に周辺環境を維持しているのだった。 山頂から少し奥へ入ると、キャンプ施設らしいものがあり、そのまえに垣根に囲まれた前方後円墳がある。木立に覆われているので、肉眼ではかろうじてわかるが、写真では判別できない。
だれもいない。なんだかキツネに摘まれた様な公園だ。
時間も昼を回っていたので、眺めのいい亭で昼食にした。涼風が流れて快適。 食後は、以前訪ねたときに気に入った側高神社(ここの髭撫で神事は来年絶対見るぞ!)まで足を伸ばし、これも気に入りの東関道の側道を渡った。
利根川を渡ってから鹿島線に沿って北利根川へ出て、右岸を辿り、北利根大橋から麻生の味噌屋へ。しかし、留守で誰もいなかった。近所のひとに訊いたら、いつも店にいる老婦人はグランドゴルフに出掛けているとか。おまけに、あそこは、オジイサンが亡くなってから味噌を造っていない、買い味噌だとすげなくいわれ、がっかり。それで味噌の味が変わるわけではないが、せっかく気に入っていたのに。 ははは、本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||