OJerBlog
 
納涼祭のこと 2010年8月5日

旧居、鳩ヶ谷市桜町6丁目自治会の開催する納涼祭(夏祭り)が7月31日〜8月1日に開かれた。鳩ヶ谷市は人口6万人ほど、わずか数キロほど東京都足立区と接しているが、周囲をほとんど川口市に囲まれて埋没しそうなの小さな市である。(偶然、現在居住の鹿嶋市の人口も同程度。しかし、面積はまったく比較にならない)。実際、川口との合併協議も進んでいて、いずれ本当に埋没することになる。最近は、鳩ヶ谷も都会化して、自治会が開く夏祭りはしだいにその数を減らしている。旧我が自治会の納涼祭はいまや鳩ヶ谷でも希少価値を誇るまでになってしまった。

櫓で子供たちの太鼓実演、舞台では手練れの踊り手が

お盆は故郷へ帰省する人が多いので時期はずらしているが、自治会の納涼祭の実質は盆踊りである。ただし、自治会の活動の一端であり、宗教的な意味合いはまったくない。夏祭りにもいろいろなやり方はあろうが、旧わが町会のそれは、町内の公園の一画に櫓と舞台を組み、その周囲を巡りながら参加者が踊る。音楽はテープで流すが、櫓の上で子供たちの太鼓実演がアクセントを添える。舞台ではそれなりに練習を重ねた町内や他の町から招待された踊り手が模範舞踊を演ずる。公園の別のスペースにはテントを設営し、自治会の役員や関係団体が出店する売店(屋台)が並ぶ。焼きそば、かき氷とジュース、ポップコーン、各種飲み物、ビール、焼き鳥などが販売される。焼き鳥はとくに人気が高く、いつも行列ができて、早々に売り切れてしまう。ビールは内部消費が多いのが悩みだが、これも祭りの原動力、潤滑剤として不可欠である。

屋台の設営 その筋とは一切関係ありません

自治会活動としての夏祭りは、宗教的な基盤があるわけではないし、行政的な保護や補助があるわけではない(まあ、政治家は人が集まるとなれば集票に顔出しはするが)。労力はボランティアが基本。経費は売店の売上げと花(寄付)と町会費からの補助で賄う。すべて手作り、手弁当である。休日や勤め後の時間を割いて一月ほど前から打ち合わせを重ね、祭りの基本計画を決めて、係を割り振り、各自が分担した任務に従って、備品を手配し町内外へ開催案内を送る。祭りの初日は早朝から会場の設営にあたる。電気配線と櫓の骨格だけは資格や安全性の問題があるのでプロに依頼するが、それ以外は自分たちの仕事である。櫓に舞台を張り、無粋な鉄パイプに紅白のテープを巻く。来客用あるいは売店用に大小10張りのテントを立て、屋台のテーブルを作り込む。公園の外には花張り板を立て、花を貼り出す(伝統的に寄付金を“花”と呼び、奉加の掲示を“花貼り”と称する)。公園沿いの私道も会場の一部に繰り込まれ、ここにも金魚すくいやゲームの売店が出る。

納涼祭ちらし ポスター

花貼り 明るいうちはまだまだ

長い時間と多大な労力をかけた2日間の夏の夢も、あっというまに過ぎ去ってしまう。終われば、翌日、つまり月曜日は会場を撤収し、公園をもとの状態に戻さなければならない。片付けは平日になるので、日中は老人会が活躍するが、夜は仕事を終えてから懐電やカンテラで照明しながらの作業になる(公園には常設照明はない)。さらに、売店の売上げ報告に基づく会計の収支計算と監査などが後日に控えている。

これだけ手間暇のかかる夏祭りが、東京近郊のサラリーマンを主体とする自治体では衰退していくのは無理もない。大方の時間を会社で過ごし、寝るために帰ってくるだけの町に、さほどの愛着はもてないだろう。まして自治会の活動などにわずかの余暇を取られるなんて、たまったものではないと感じるかもしれない。かくいう自分も、サラリーマンでこそないが、やむを得ない義務として自治体役員を引き受けたのだ。それも、当初は、任期2年間だけで済ますつもりだった。しかし、夏祭りを筆頭に、春と秋の運動会とソフトボール大会、年末の餅つき、防災訓練などに参加するうちに、町会の仲間とこうした行事をこなして、そのあとで反省会と称して一杯やることが楽しみになってしまった。あげくは、遠く茨城へ引っ越してまで、納涼祭だけは泊まりがけで出掛ける羽目になったのである。

なぜ桜町6丁目の納涼祭がいまだに健在なのか。この町には、まだまだ古くからの住人や東北出身者が大勢を占め、手に職を持つ人が多いからではないかと思っている。地方での若い頃の経験から、地域の催しは自分たちの手で作り上げ、地域のみんなで楽しみを分かち合うという意識が根底にあるのだろう。それに彼らは、鍛えられた技がある。祭り会場の設営など、朝飯前だ。大工、内装、左官はもとより、習字の達人や会計事務経験者までそろっている。それになんとも気のいい連中が多い。もちろん仕事の段取りや運びで、もめ事や口論はあっても、最終的には同じ目的でまとまり、終わればニコニコと一杯である。自分は東京生まれ神奈川育ちで人生の大半はサラリーマンだったから、地域の人々と深く付き合いながら共通の目標を達成するという経験がなかった。だから、フリーになって以後、はじめて体験するそうした活動の楽しさにのめり込んでしまったのだ。

さて、前置きが長くなりすぎた。納涼祭初日の準備風景を紹介しよう。

テントの骨組みを並べ組み上げる
 
去年の配置図
舞台の設営紅白の垂れ幕
花貼り板を立てる組立は任せておけ

酒屋で借りたケースで座席の組立これを櫓の外周に配置
左側屋台 右側来賓席屋台の設定進行
ここ入口 右側受付 受付で寄贈者へみやげの用意
焼きそばもだんだんそれらしく味噌おでんとかき氷
飲み物各種ビールはこちら
焼き鳥はまず火床作り奉加の受付に余念ない
だんだん来客も増えてきて

夜になればお祭本番。残念ながら携帯カメラは夜景は不得意。

来賓席の賑わい輪になって踊ろう
こんなに花が貼り出され

というわけで祭りの夜は更けてゆくのである。

町会仲間のE.Y.氏の撮った写真で、その全容をお目に掛けよう。

納涼祭全写真

  
   
現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system