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白亜紀の地層など 2010年12月11日

先週、浜風がぐずって流れた計画だ。那珂湊の北に白亜紀の地層が見られる場所があるという。地層を見たって、どうってことないのだが、まあ行ってみようとおもう。どうせだからほかに何かあるかと地図を漁ってみると、その先に酒列磯前神社という大きな神社がある。“しゅれつ”かと思ったが“さかつら”と読むらしい。いい名前じゃないか! これも見てみよう。さらに、那珂湊には水戸藩の最後の藩主徳川斉昭 が建造した反射炉があるという。伊豆の韮山の反射炉は教科書にあったが、こちらは知らなかった。

マップ 高度補正 −約40m

GPSにセットしたルートに従って最短距離で目的地へ。51号に並行する、お気に入りの裏道を走っていて、以前から気になっていた古墳(多分)とまた出会ったので撮ってみた。この古墳の北側にさらに小さい古墳がある。ここ数日ニュースになっているが、斉明天皇稜(推定)の脇にその孫を葬ったように、これも近しい係累か家臣の陪塚(ばいちょう)であろうか。

畑の真ん中 古墳? 右奥に陪塚?も見える 

サンマも道を泳ぐ港町

大洗も那珂湊も町中を突っ切って、海岸へは近寄らない。やっと海岸へ出るのは白亜紀の地層の見られるすぐ手前で、そこで国道245号へ合流する。 海へ出る直前の交差点で信号が赤になったので待っていると、那珂湊のほうからきたトラックが水をザーザーこぼしながら走りすぎていった。港町だなあと思いながら見ていると、流れた水のあとに立派なサンマが2匹道路の中央に投げ出されていた。ますます港町っぽい。車の多い道だから拾いに飛び出すのは危ないかと見ていると、赤信号で最前列に止まっていた車からお年寄りが降りてきて拾っていった。してやられた。オジイサンはいい昼のおかずができた。 もっともこっちは拾っても生臭物をザックに入れて家まで持ち帰らねばならないからと、イソップのキツネのようにつぶやいた。ははは。

イソギク もう海には白亜紀の地層が見える

酒列磯前神社

地層見物は後回しにして神社を目指す。地図を見て、広い松原の真ん中にあると勝手におもっていた酒列磯前神社は、実は海に突き出した小高い丘のうえにあった。海岸沿いの上り坂をぐるっと回り込んで神社の正面へ出る。

蚕食の感はあるが…………おおなんと簡明、直裁な!!

鳥居の奥に、タブノキや驚くほど大きなヤブツバキに覆われてトンネルのようになった参道が続く。

 

深い社叢に囲まれて…と書きたいところだが、左(北)側は海へかけての斜面林になるが、右側は木漏れ日で分かるようにあまり森林面積がない。すぐに道路があって人家がせまり、境内の一部も駐車スペースとして伐採されている。

蛸も吃驚のタブノキ

参道を見ただけでも来た価値ありだが、このタブノキには蛸はおろか、ハリポタの暴れ柳も、吃驚。

 
酒列磯前神社 拝殿
本殿入口に唐三彩様の唐獅子本殿

都会の神社に阿吽の唐獅子はつきもののようだが、この神社の本殿入り口に置かれているのを見て、そういえば?と思った。本来、日本の神社に“唐”獅子などあるわけがない。神の依代(よりしろ)、あるいは神籬(ひもろぎ)から発生した祠に、こういう様式が付帯したのはいつからだろうか。

ずらりと末社 稲荷神社など有名処を揃えて斉昭の座った石

比観亭跡

神社の一の鳥居から道路を隔てて「比観亭跡」の史跡案内があったので行ってみた。

比観亭跡から見る磯前魚港
左(北)側の湾入部は阿字ヶ浦 最奥は日立製作所?

いやあ、この景色を愛でながら一杯、もとい、一服茶を喫するなどは、お殿様ならではの贅沢ですなあ。「たれかある、あれに見ゆるは日立製作所か? あそこはたくさん上納金を納めてくれるのお、ほっつほっつほ」。あいや、失礼を。

白亜紀の地層

神社の南側にホテルニュー白亜紀(連れ込み宿のような名前だがひたちなか市営)があって、そこから海岸へ向かって落ち込む急な崖を階段で下りる(もちろん浜風は片手でかかえて)。下りたところが先ほど浜風で通った国道245号で、それを渡った先が白亜紀の地層が露出しているという海岸だ。何の案内もないのであてずっぽうで海へ下りて、以下の写真を撮った。このあと、大分那珂湊寄りに戻ったところに解説の地図があり、それによると、神社下から南へ1.5キロほどの海岸線全体が白亜紀の地層であるように色分けされていた。

傾斜地層の末端  ふーむ、大型草食竜の脊梁のようにも…………関係ないか

1億年ほど前からここにあったわけではなかろう。だいいち、そのころ日本列島がどのような形だったか伊能忠敬も知るよしはない。何度かの浮沈を経て、いまここに姿を現しているはずだ。

ま、やっぱり見たって、地質・岩石の知識のないものにはなんてことないのだが、白亜紀といえば恐竜がイメージされる。中世代の地質時代区分は、古い順に……

カンブリア、オルドビス、シルル、デボン、石炭、二畳(ペルム)、三畳、ジュラ、白亜

……となる。男の子なら大半そうだろうが、小学生のころから恐竜には興味があった。そのころはブロントザウルス(→現アパトサウルス)、ステゴザウルス、トリケラトプス、ティラノサウルスくらい知っていれば十分だったが、だんだん恐竜研究が詳細になると、中生代の時代区分くらいは憶えていないと話が通じない。いまのように、先カンブリアのエディアカラ生物群やカンブリア紀のバージェス頁岩の化石は一般には知られていなかった。アノマロカリスがテレビ番組の扉の映像に使われるなど夢にも思わないころだ。なんとかこの時代区分を頭に入れようと、次のような語呂合わせを考案した。

冠の古いビスから汁がどぼんと落ちて石炭層へ、その広さは二畳か三畳あった。

そのあとの“ジュラ、白亜”は呪文である。ははは、懐かしいね。

昼食は例によってコンビニのサンドと泡で済ませる。コンビニの前が広い砂浜で、クジラのオモチャのような船が浮かんでいた。その尾びれに「大ちゃん」とある。これでやっとこの辺りの国道の愛称が「大ちゃん通り」である意味がわかった。まさか、朝青龍のダメ師匠だった元朝潮の生まれ故郷ではあるまいなあと思っていたのだが。

今日の昼場クジラ船「大ちゃん」

反射炉

昼食後は那珂湊の町へ入り込んで反射炉を目指した。そこは小高い丘のうえにあって、周辺が公園になっている。反射炉の高い煙突2本は遠くからでも見えるのですぐ見当がつく。

山上門(薬医門)
反射炉

恥ずかしながら、この反射炉の説明を読んでもさっぱり原理がわからない。反射の意味を太陽光を凹面鏡で反射・収束させて高熱を発生させると勝手に思い込んでいた。家へ帰って調べて納得したが、この場合の反射は燃料を燃やした熱源の放射を耐火レンガの壁面の反射で炉に導くという意味で使っている。多分、精錬する金属が燃料の排出物で汚染するのを避けるためだとおもう。人間いくつになっても無知の死角は残るものである。

これで目的は達した。大洗は海岸通りをいって、かねふくの「めんたいパーク」に寄る。工場直売の売店で明太子ならぬタラコを買う。かねふくは九州の会社だとばかり思っていたが大洗に工場があるのだ。鹿島臨海線にも、列車の側面にめんたいパークの大々的な広告を描いたディーゼルカーが走っている。

ここまではすべて順調だったが帰りの逆風には参った。この時期だというのに真南から風が吹きつける。路傍の広告のぼりが一斉にこちらを尾にしてはためいている。まるで壁に向かって力比べをしているようで消耗することおびただしい。ギヤを日頃より4〜5段落としてやっとの思いで長距離をしのいだ。

季節外れのトリトマ普通は梅雨のころ咲く

やっと家に近くなった畑の脇。なんでこんな時期にトリトマが咲くのだろう。この夏の猛暑で栄養が貯まりすぎたかなどとトリトマもなく考えながら(われわれの仲間ではこういうダジャレをS18年式と呼ぶ)、もうの一漕ぎ。

本日は、これまで。

  
   
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