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出島の椎 2011年3月6日

今日は古木巡りシリーズ。霞ヶ浦の向こうの、素鵞神社のオガタマと出島の椎、それに両者の中間にある富士見塚古墳を訪ねる。これまで霞ヶ浦大橋を渡ったのは三ツ石森森林公園(あれ以上の長距離はいまだ走っていない)と椎名家住宅の2回しかない。高浜の先の船塚山古墳を訪れたときは霞ヶ浦の左岸沿いに行ったので橋は渡っていない。

マップ 高度補正−27m(2011/03/08 地図が表示できませんでした→直っています)

霞ヶ浦大橋へは勝手知ったる田園コース。今日はお天気よし、寒くもない。風も微に北風で止まっていればほとんど感じないが、向かって走るとけっこう押してくる。この時期としては贅沢はいえまい。

霞ヶ浦大橋を渡って右岸の堰堤道路を北上する。途中、昼の泡とサンドを仕入れるために国道沿いのココストアへ寄り道。この辺りはコンビニも希少でこれを逃すとその先にはない。しかし、意外にも店内にベーカリーがあって、焼きたてのパンがいろいろ並んでいた。生ベーコンと目玉焼きを挟んだマフィンがあったので迷わずそれと、ピザもどきに泡を仕入れる。

霞ヶ浦をワニが大口を開けたような形とすれば、ちょうどワニにがぶっと噛みつかれた陸地がかすみがうら市になる。普通、こうした半島状の地形だと中央に脊梁山地が走って、河川はそれを分水嶺として振り分けられるように流れるとおもう。しかし、ここでは半島が突き出す方向と並行して幾筋かの河川が流れている。その意味では筑波山塊からの地勢に沿うと見るのが正しいのかも知れない。ま、ともかく、“ワニがぶ”の部分を昔は出島と呼んだらしい。市町村の合併を繰り返して、昔の多くの村が出島村にまとまり、さらに霞ヶ浦町→かすみがうら市と変転している。その出島の北端を菱木川が流れるが、今日の目的地はいずれもこの流域にある。

素鵞神社オガタマ

最初の目的地素鵞神社は、菱木川河口の左岸にある。霞ヶ浦に着き出した岬状の部分を柏崎と呼び、素鵞神社はこの地域の中心的な神社らしい。神道信仰はいまも盛んなようで、社殿を筆頭に鳥居、旗竿、灯籠、唐獅子などみな新しい。

柏崎素鵞神社

説明板の絵馬を見る限り往時は相当栄えた部落らしい。

 絵馬
素鵞神社拝殿

ここの本殿はとてもカラフル。神社にしては珍しい色彩感覚である。

本殿 側面本殿裏
本殿脇のヤブツバキ

眼目の樹木を見てみよう。

オガタマの木

解説板にあるように「オガタマ」であって「オガタマノキ」ではない。ここでいうオガタマはクスノキ科のタブノキで、和名オガタマノキはモクレン科の別の木を指す。葉が似ているといえば似ているし、本家オガタマノキはサカキにも似ているので、そんなところからの連想だろうか。脱線するが、牧野にはサカキは代用であって、オガタマ(招魂→オキタマ)が本当の神樹だという説を載せている。

鹿行地方ではこのくらいのタブノキは珍しくない。むしろ、印象に残ったのは参道脇のケヤキだった。

強壮の気をみなぎらせるケヤキ

このケヤキが古木の風格を帯びるころにわれわれは存在しないが、それを思う楽しみはある。

富士塚古墳

素鵞神社からほとんど道なりに進めば、いやでも富士塚古墳の資料館に着く。これまで大型古墳として、舟形山古墳と三昧塚古墳を見ているが、どちらも発掘品を展示する付属資料館はなかった。

資料館 校倉風?二階の展示室

土器、鉄器、埴輪など多くの出土品が見られる。

胸が広いのではなく盾をかたどる何というヘアスタイル?

なんともやさしいフォルムの埴輪群。シカなどは狩猟動物だったのだろうが、ペットを造形しているような眼差しを感じる。

鏃(ヤジリ)や刀も出土状態の石棺

資料館を一巡して、その裏山へ登ると古墳群がある。霞ヶ浦を一望にする絶景の地だ。

最大の1号墳 南側から後円部同北側

前方後円墳のくびれた部分に階段があって上へ登ることができる。風がなくて日射したっぷり。これ以上の昼場はない。円形劇場の舞台に腰掛けて食事をする気分である。

昼場 後円頂部前方部より後円部を望む 遙かに筑波山

太子古墳

予定外だったが出島の椎へ向かう途中、道ばたにあったのが太子古墳。人家の垣根に潜り込んでいる穴蔵のようだった。

垣根の向こうは人家
玄室朱の丸紋の痕跡?

この手の遺跡は荒廃の気を漂わせているものだが、ここは集落のなかにあって、近所のひとが手入れをしているのか清潔な印象を受けた。

出島の椎

古墳群のある丘陵から菱木川流域の田圃へ下り、対岸の斜面の村落を登りきったところに出島の椎があった。森に囲まれた畑のなかに、山門と古木がぽつんと取り残されたように佇んでいる。集会所らしき建物はあるが伽藍ではあるまい。寺はなくても墓は残っている。偶然、墓前にお参りを済ませた喪服の老若男女とすれ違う。 周囲の自然と正装の人々との違和感が鮮烈だった。

長福寺周辺(GoogleMap航空写真)

 
 赤い山門
唯一残る長福寺山門 左に椎の古木
山門木組み屋根裏を見ると藁葺きだったことがわかる

山門は南面している。時計回りに回って見る。

山門の左が椎西側へ
真西から北(山門裏)側から
 
椎の正面に祠
冥加を祈る札が祠を覆う祠の主 めしいたる眼の威圧
左の柱は電信柱ではない これが枝を支える
蒼枯の巨木を囲む石仏の読経が聞こえる
札に何の功徳があるかは知らぬ椎の鱗に埋もれて札の黒白が目に染みる

宗教心のかけらもない身にも、この雰囲気には圧倒される。時の流れに埋没しつつも、ここには信仰が息づいているかにみえる。

山門脇 この地では銀杏は食べないのか?フキの薹

絵画でも仏像でもよいものを見ると、心がしーんと静まることがないだろうか。出島の椎を見た後、そんな気分に襲われた。

帰途は菱木川に沿って走りやすい道を戻った。菱木川の氾濫原がそのまま耕地になったわけではあるまいが、豊かな実りを思わせる田圃が続く。

最奥は霞ヶ浦浜風ものんびり
ウメ一輪

出島の椎に圧倒されて、言うことなし。

本日はこれまで。

  
   
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