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| Sidewalk投稿 →シャンプーの量 (09/17)、ナイツのジュゲム (09/01)、 ひたちなか海浜鉄道 2011年8月6日わが鹿島臨海鉄道(KRT)は7月12日に全線が復旧した。それに続いて茨城県では最後にひたちなか海浜鉄道が同23日に全線開通した。いままでこの鉄道は乗ったことがなかったので、これを機に初乗車してみることにした。1日券800円也があるので、那珂湊から乗ってまず勝田へ向かい、勝田から阿字ヶ浦まで全線を乗って、阿字ヶ浦から那珂湊へ戻るという計画にした。ま、逆でもいいのだが、なりゆきで。 →マップ
左上の写真、撮っても見えないかとは思ったが白い小さなゴミのようなものはすべてモンシロチョウであった。異常な数のモンシロチョウがこの畑の土の上を乱舞していた。なぜだ? どうも、収穫しなかったキャベツを機械ですき込んだあとのようである。キャベツはモンシロチョウの食草だから、土に埋もれた切り刻まれたキャベツから彼らの大好きな匂いが立ち上っているのだろうか。 右上の写真は一抱えもありそうなカボチャ。お化けカボチャのコンテストにでも出すつもりか。この場所は堆肥の山で、とても食用に育てているとは思えない。 浜風で通い慣れた道をひたすら北上する。大洗の町を多分往時の本街道とおぼしき道を通って突っ切り、そのまま北上すると自然に那珂川を越える海門橋へ出る。那珂湊駅は海門橋の真北にあるのだが、正面に湊公園の山が立ちはだかるので、東か西から迂回することになる。自然な流れとしては東回りを取る。 ひたちなか海浜鉄道、全線走破!!!全線走破はいささか大げさ。全線といっても14キロと少々。30分もかからない。
駅に着いたのは10時半ころだった。電車は11時58分までない。駐輪場らしきものがみあたらないので、駅入口脇の電柱に浜風を縛って構内に入ったのだが、どうやらこの駅のホームが駐輪場のようだった。ホームの幅がたっぷりあるので邪魔にはならない。
沿線の景色はKRTと似たようなものだが、こちらは田圃が多いが、あちらはほとんど畑。
勝田駅を下りて周囲の様子を見てみる。わーあ、都会!!! 乗ってきた列車は20分ほどで引き返すので、町中を見物するほどの時間はない。
以前、筑波で仕事をしていたころ、家から通うのに勝田行きの常磐線はよく乗った。どんな町かなあとおもいつつも、一度も訪れたことはなかった。よもや、こんな形で来るとは………… こっちの終点勝田から、那珂湊を通過して、あっちの終点阿字ヶ浦駅までトコトコ。この鉄道はいろいろな車両のコレクションが売りのようで、カメラを手にした結構な年配の男どもが徘徊している。駅や駅舎の様子も、花壇のある庭に可愛い小屋を建てたようでほほえましい。いかにも鉄道ファンが支えている鉄道という感じが漂っている。その点、KRTには鉄道ファンの姿はほとんどないし、もともとJRが設計したためか駅も駅舎もあじもそっけもない。 わたし同様、ただこの列車に乗るためだけという客もいたようだ。わたしと同じ列車に行きも帰りも同じ親子を見かけた。
下りてみてもほとんど見る物はないのだが、一応周囲を歩き回って戻る。阿字ヶ浦というと、似た響きの地名、鰺ヶ沢を連想する。あちらは青森の岩木山の北麓、舞の海の故郷である。連休の八甲田から遠征して、岩木スカイラインの終点から鰺ヶ沢スキー場へ滑り込んだ思い出が懐かしい。
さて、那珂湊まで戻るか。
当方、“撮り鉄”でも“乗り鉄”でもないのだが、はじめての鉄道ではじめての景色を見るのは楽しい。今回乗った列車は、運転席の横に立つことができ、沿線の光景を堪能できた。 反射炉那珂湊駅へ戻って、近くのコンビニで泡とサンドを仕入れて、反射炉へ向かった。昼場にするためでもあったが、あの地震で炉のレンガ組みがどうなったか気になっていた。
どうやら反射炉はまったく地震の影響は受けなかったようだ。通りかかったご婦人が、この山の一帯は地盤がよいのか地震の被害があまりなかったが、山から外れている自分の家は大分やられたと話していた。 華蔵院反射炉の山に沿って小道を進むと那珂川土手の道路へ出る。そのまま下流へたどると海門橋の下をくぐって市場へ抜ける。その手前を山側へ入るとすぐに華蔵院がある。わたしの寺社趣味にはあわないが、大きなお寺だ。
湊公園華蔵院から仁王門を抜けてそのまま山を登ると湊公園。那珂湊の市街、太平洋、那珂川などを一望できる絶好の立地。さすが光圀の別邸跡である。建物自体は天狗党の乱で消失したそうだ。
公園を下って市場をのぞいてみた。かろうじて人出はあるものの、売り子の呼び声だけが響き渡って、往時の活況は夢のようである。風評被害は恐ろしい。
那珂湊から大洗へ抜けるのに便利な道が見つかった。車は通れないが、浜風ならなんとか海岸沿いに抜けられる。一山越さなくてもすむので楽ちんであった。
あとは「めんたいパーク」で明太子を仕入れて、ひたすら浜風を漕ぐのみ。今回はナビは持参せず、51号の浜風バイパスを探索してだいぶ手間取った。ログを眺めて次回の作戦を練らずばなるまい。 本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||