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| Sidewalk投稿 → キツネノタイマツの全貌? (10/28)、ツワブキとヒキ (10/27)、無惨やな、タルト・タタン (10/25)、快適、改良スモーカー (10/20)、2日見ぬ間の畑かな (10/17)、病気のアスパラは? (10/13)、炭循農法の秋の畑 (10/13) ●山仲間のHP特別編 山仲間と九州旅行 九重連山中岳登頂 2011年9月25日山仲間で作った会が去年で創立30周年を迎え、記念旅行をすることになった。旅行は諸事情で今年に延びたが無事に実行できた。10名ほどの会も、いまや現役はわずか。山へ登れるものは登る、登れないものは観光をするというスタンスである。 観光をかねるとなると幕営は無理。かといって旅館に泊まって観光旅行は味気ない。現在のわが会に一番適しているのは、自由に使える小屋で自炊して、そこをベースにあちこちでかけるスタイルである。たまたま、仲間のひとりが、九州の九重連山の近くに親戚の山荘があって、そこなら利用できるという。目的地は一決した。 大分県有珠郡の宝仙寺温泉の山荘をベースに、福岡空港近くで借りたレンタカーで国東半島、阿蘇山、小国町、竹田市などを観光した。山行としては九重連山の中岳に登ったので報告しよう。中岳は九州の最高峰である。 国土地理院の地図ではこの山域は「くじゅう連山」とひらがなになっているが、漢字は九重あるいは久住のいずれも用いるようだ。山巓としては「久住山」と書き、地図の区画名も「久住」、「久住山」となっているが、町としては「九重町」と書いて“ここのえまち”と読むからややこしい。 →マップ (長者原 1,000m、牧ノ戸峠 1,333m、中岳 1,791m) 山荘のある宝仙寺温泉から車で長者原へ向かい、そこに車を置いて、バスで牧ノ戸峠へ。そこから縦走を開始した。快晴無風、お天気は申し分なし。 コースは牧ノ戸峠→西千里ヶ浜→久住分かれ→御池→中岳→坊ヶツル→雨ヶ池越え→長者原だ。
今日のコースは牧ノ戸峠から中岳までほぼ西→東に縦走する。登山道はよく整備されて幅も広く斜度も緩やか。この状態は、15分ほど登った最初の展望台まで。あとは普通の山道になる。
さほど斜度のない山道が延々と続くのでゆっくり花を見ながら登れるが、時期的にあまり花は多くない。
この縦走で一番目に着いた花はリンドウだった。われわれが通い慣れている関東以北の山ではオヤマリンドウとエゾリンドウが多いが、ここのはただのリンドウ。
フクオウソウ(福王草)は初見参。三重県の福王山がその名の由来だという。
初めての山で、多発的火山噴火地帯だった地形は複雑で、どの山がなにやら自信がない。あとでWebの地図や写真と見比べて山名を入れた。
星生山(ほっしょうざん)の麓のコルへ向かって少し登りになる。
星生山の麓のコルを越して久住分かれの避難小屋へ下る。山間の盆地といった感じだ。
久住分かれの広場は登山客で賑わっていた。 下の写真は、広場から中岳へ向かって登りだしたところで北に向かって撮った。左の白い稜線は星生山から派生し、中央右の三俣山へ連なっている。ここからは見えないが、星生の白い尾根と三俣の緑の斜面のあいだの峠が、すがもり越え。くねって見える登山道は長者原→すがもり越え→久住分かれを結ぶ。距離的にはこれを使うのが長者原から中岳への最短ルートになる。
久住分かれから御池→中岳への登りが始まる。途中、15分ほどで久住山への道を分けると、登山客はぐっと数が減る。最高峰より「九重連山=久住山」を目指すひとが多いようだ。
御池への途中で天狗ヶ城への道を分ける。天狗ヶ城は御池の西にそびえる小さなピーク。右下の写真で、一番奥の三角のピークが目的の中岳、御池の左側から下る稜線は天狗ヶ城から来ている。る。
もう昼近くで御池の周辺では多くの登山者が昼食をしていた。御池の右側を巻いて中岳へ。ここまでくると、わずかの急登で中岳へ至る。
昼は過ぎていたが、込み合う狭い山頂で昼食をする気にもならず、記念写真だけ撮って通過する。
坊ヶツルへの分岐で昼にする。われわれは山での昼食をプチ宴会と称している。慣れた山なら氷詰めのビールを持参するが、ここでは冷やす手立てがないのでビールは諦めた。ワインを2本にパン類と缶詰。九州の食べ物は関東人にはなんでも甘く、普通のパンも菓子パンのようでワインが進まない。ドライバーがいるにしても、珍しくワインが少し残った。 長者原のビジターセンターでは、中岳下の分岐から坊ヶツルへのコースはたびたび土石流に遭い、ルートを見失いやすいので避けてくれといっていた。少し下ると看板にもこのコースは“遠慮”してくれとあるが、本当に危険なら“禁止”すればいいのだ。実際下ってみると、沢通しのルートに崩壊個所があり、慣れないと迂回するときに道を間違いやすい。しかし、この程度で“遠慮”していては大半の日本の山は登れない。歩きやすい道ではないが登山道としては普通。
この時期の坊ヶツルは一面のススキ野で、その中央を舗装道路のような登山道が延びている。尾瀬のような湿原のイメージとも「坊ヶツル賛歌」のメロディーの印象ともまるで違う。正直なところ、いささかがっかりした。
坊ヶツルを半分ほど進んだところで長者原への登りが分岐する。この辺りは九州自然歩道の一部になっているらしく、それなりに整備が進んでいる。まったく同じ規格の立派な看板が繰り返しでてくるのだが、「坊ヶツル←→長者原」とある以外は何の情報も示していない。分岐のない一本道に始点と終点の表示がくどいほどあって何の役に立つのか環境省に訊いてみたい。 このルートの登りが終わるころにマツムシソウやママコナなどの花が現れてくると、雨ヶ池越えの湿原に出会う。乗越に池があるのでその名があるのだろう。小規模ではあったが、ここはなかなかよい。
なかでも印象的だったのは、その雨ヶ池の一面にラッキョウのような紫の花が咲いていたことだ。牧ノ戸峠からの登りですでに写真を載せてあるヤマラッキョウだが、それが池の中に群落をなしているとは思いがけなかった。常時水中ならヤマラッキョウは絶えてしまうが、雨ヶ池は、その名の通り雨が降ったときだけ池になるという。
乗越を過ぎるとまた林間の単調な下りになる。もうそろそろ終わりになるころ、自然観察のために樹木に名札が掛けてある森を通った。そのなかにミズメが数本あったことは記念になる。これぞわが会名「梓」の別称である。アズサにはミズメのほかにヨグソミネバリなどと有難くない呼び名もある。樹皮にサリチル酸、いわゆるサロメチール香があるからのようだ。わが会名の木ながらいまだに目視だけでは判別できない。
わずかに咲いていた秋の花。
そうこうするうちに森を抜けて一面にススキの生えた草原へでた。長者原だ。
お天気に恵まれて、のんびり九州の山旅をすごすことができた。 本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||