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筑波山 2011年10月29日

いかにも秋らしい天気が続き、発作的に筑波山へ登ろうと思い立った。東京からはつくばエクスプレスを利用して定番の観光ルートが整備されているが、我が家からは同じ県内でありながらアクセスが非常に面倒だ。KRT、JRと乗り継いで、鹿島大野→水戸→土浦へ行き、土浦からバスで筑波山口(旧筑波鉄道の筑波駅跡がバスターミナルになっている)、筑波山口から沼田というバス停まで徒歩で移動して、筑波センターからくるシャトルバスに乗り換える。最後の筑波山口から徒歩のところは、Webの案内ではそうなっていたが、実際には土浦ー筑波山口のバスがシャトルと同じ沼田バス停に止まるので乗換で済む。

もうひとつの選択肢として、石岡と鉾田を結ぶ旧鹿嶋鉄道の代替バスを利用する手がある。これには土日限定で1000円の1日券がある。これを使うと通常の片道運賃1040円より安く往復できる。しかし、茨城空港開設で輸送の主力が新しいバス路線へ移ってしまったせいか、土日は行の鉾田6:45発→石岡が朝1本、戻りも石岡17:00発が1本しかなくなってしまった。このバスの利用は不可能ではないにしても、時間にせかされての登山などしたくないので諦めた。

土浦から筑波山口へのバスは初めて乗る。土浦駅西口のバス停へ向かうともうバスは停車していて、すぐに乗ることができた。がらがらで数人しか乗客はいない。9:15発のこのバス、中村メイ子の田舎のバスのようにじつにのんびり走る。それはいいが、トップギアのトルクぎりぎりで駆動するのでいつエンジンがノックするかとはらはらする。おかげで景色はゆっくりながめることができた。何度か見ている町並みだが、駅も新しくなり駅前も開発されて昔の面影はあまりない。はじめて土浦の亀城(きじょう)跡をバスの窓越しに見た。近くに市庁舎もあり土浦の官庁街といったところか。土浦は、江戸時代には領主が何度も変わっているが、鎌倉・南北朝時代を通じて小田氏の領地であった。小田氏なんて昔は何も知らなかったが、神皇正統記と北畠親房のおかげでずいぶんなじみになった。もっとも、親房にとっては最初はもっとも頼りにしていたのに最後は裏切られるのだが。バスがしばらくとことこと市内を走っていくと、左手に小田城趾800mの標識が見えた。小田氏の居城であり、親房が神皇正統記を記した場所である。あれだけ、正統記とはつきあったのだから、いずれは訪ねてみたい史跡である。

7:10鹿島大野発、10:36筑波山神社入口着。

身繕いをして神社方面へ向かう。途中に大御堂西入口とあったので、たぶんこちらが近道だろうと入ってみた。車道から脇道へ入ったとたんにスダジイの古木に出会った。人家の庭には見なれない小粒のミカンも生っている。あとで調べると筑波山麓特産の福来(ふくれ)ミカンというそうだ。見かけによらず味は濃厚だという。因みに筑波山はミカン栽培の北限。これは知らなかった。

大御堂と神社の関係を調べてみると、大御堂(おおみどう)は真言宗の寺で、東京の護国寺の別院だそうだ。筑波山の信仰自体が神仏混淆だったものを明治時代に強制的に分離されてできた寺だという。適当に歩いているうちに大御堂の上に出たようで、結局、見ずじまいだった。辿った道は予想通り社殿と楼門の中間へ出て登山道への最短経路であった。

福来ミカンマテバシイ

筑波登山はこれで3回目だが、もう見なれたような気のする登山道である。いつきても子供が多い。バスで見かけた連中と前後して登る。気温は暑くなく寒くなく登山には絶好。ただ、この時期は花が少ない。その分、立ち止まらないので時間が掛からないが。最後の急登で少し行列ができかけたが、さほどの渋滞もなく双耳峰の中間の広場(御幸ヶ原)へ抜ける。快晴無風だが惜しいかな靄っていて視程はあまりよくない。予想通りの混雑で、数人の神職らしき男達が団体を案内している。下の神社にビラの貼ってあった「神主さんと歩く、筑波山の小さな旅」という催しらしい。このあと、いたるところでこのグループと出会った。1グループに2〜3人の神職が付いているので、筑波山神社にはこんなに神職がいるのかと不思議だったが、どうやら茨城県の若手神主集団が主催している催事らしい。どうりで多いわけだ。

御幸ヶ原と女峰神主さんと歩く、筑波山の小さな旅
御幸ヶ原から北方

広場に並んでいる土産物屋を軒並み探して、キリンの一番搾りを見つけて仕入れた。前回確認してあるが、ここもほとんどがアサヒである。男峰へのコースへ入ると登山客の数がどっと増える。下からの登山者はさほどの人数ではないが、ケーブルやロープウェイで来た人たちが合流するので列をなしての登りになる。運悪くクマ除けの鈴を着けたオバサンの後に付いてしまった。耳障りでかなわないので横をすり抜ける。この雑踏でわが愛用の昼場が占領されていないか心配だったが、さいわい3カ所ある昼場(場合によって宴会場)に先客はなかった。上から2番目がいいのだが、わずかに風が抜けていたので、3番目の登山道に一番近いところにした。

男峰の昼場より女峰を望むつくばねCC方向

頭が見えるほどの直下をひっきりなしに登山客が通り、ときにはすれ違いで渋滞が生じているというのに、少し木陰になるこの昼場に気付く人はまったくいない。見下ろせば学園都市方向の関東平野が一望である。汗を拭いつつ軽く泡を一杯。アルゼンチン産カベルネ・ソーヴィニヨン(good!)に、ポテサラにサンドがメイン。食後は自作のココア・ブラウニーとペストリーを少々。それに、沼田でバス待ちの間に買った、地場の美味そうなカキ。期待していたのだが、すかすかのスカでがっかり。どうしたらこんな不味いカキになるのか。子供の頃、近所でカキは取り放題だったけど、こんなに不味いのはなかったが。

男峰神社 ここにも神主ガイド若者も敬虔に

ほろ酔いの帰りは男体山の神社から自然観察路へ降りようと思っていたのだが、社殿を一巡して元の登山道へ戻ってしまったので、そのまま御幸ヶ原へ下った。少し人数の減った御幸ヶ原を通過して、女体山の登りへかかる。午前中は軽荷でたった2時間ほどの登りだったが、大腿上部に疲労が来ているのがわかる。女体山の神社の周囲はまだ大勢の人であふれていた。ここは、男体山より見晴がいいので、それだけ滞留時間が長くなる。

女峰神社女峰はまだ大賑わい
女峰から北方

女体山の神社の裏からつつじヶ丘方面への登山道へ抜ける。最初は岩をつたっての急降下だがすぐになだらかな道が続くようになる。このコースは奇岩がつぎつぎと顔をだし、それぞれに特徴を表す名前が付いている。なかでも「出船入船」は見ものだった。組み合わさった岩の中央に細長い隙間ができている。そこへ折からの斜光が差し込んで、すこし靄った空気を貫く光の束が浮き上がる。昔の人はこういう情景を見て、“神々の降臨”として拝んだのかもしれない。

出船入船  神々の降臨?
アオハダ
弁慶の七戻り  上の岩が落ちそうで怖いって?

もう少しで弁慶茶屋跡というところで、大きな杉の木が倒れて、残った部分が無惨な姿をさらしていた。まだ破断面も新しく木の香もただよっているので台風15号が列島を縦断したときの被害だろう。倒れた木の断面の年輪をざっと数えてみたが、樹齢300年には達しているようだった。年輪が不均一で、とくに中央に明確な違いがある。これはなぜ?

台風の被害か樹齢300年?

このコースの終盤はつつじヶ丘の広い駐車場を見ながら下ることになる。ロープ始発駅の前にバスが待っているのが見えたが、ちょうど道路まで降りきったところで出てしまった。バスはこちらへ向かってくるので、頼めば乗せてくれるかも知れないが、まあそれほど急いて帰る必要もない。シャトルバスは30分おきに出ている。いま出ていったのがちょうど4時のバスで、ケーブル駅のテラスで時間をつぶして4時30分発のバスに乗った。

つづじヶ丘から乗る客はそう多くない。しかし、筑波山神社入口で満員になり立ち席になった。前回もそうだった。沼田で降りたのはぼく独り。もう土浦―筑波山口―筑波山を結ぶルートは登山客のアクセスとしては完全に廃れたのだ。筑波山口と沼田の乗り換えは登山客・観光客を想定してわかりやすい案内があるだろうと思っていたが、そんなものは皆無。くるときは、降りがけに運転手さんに尋ねなければ、うろうろするところだった。またバスに乗ってトコトコと、今度は真っ暗になった街道を土浦へ戻る。

急に思いついた筑波登山だったが、首尾は上々であった。次回は、出発を早めて、一般登山客の少ないバリエーション・ルートを探ることにしよう。本日は、これまで。

  
   
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