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Sidewalk投稿 → GPS三代 (01/11)

阿字ヶ浦ジオ散歩 2013年12月15日

ネットで「阿字ヶ浦ジオ散歩」をいう催し物が15日にあることを知り参加することにした。この辺りは、浜風で2010年12月11日2012年5月20日 に訪ねている。

追記 2013/12/25

当日、ジオ散歩に茨城ネットTVの同行取材が入った。その速報??がYoutubeに投稿された。

茨城なるべく速報「茨城県北ジオパーク・阿字ケ浦ジオ散歩」

マップ

追記

マップ(by Google Maps Engine Lite

今年の3月から無償で使えるようになったGoogle Maps Engine Liteを試してみた。このアプリはGoogleマップの発展形ともいえるもので、レイヤの概念があって最大3枚のレイヤを設定して、基本地図上にいわば重ね書きができる。この機能を使って、ルート検索で予定したルートと実際に走ったルートの違い(往路の相違部分のみ)を比較する地図を作った。残念ながらルートの色が変えられないので重なるとわかりにくいが、レイヤのオン/オフで表示/非表示を切り替えて区別できるだろう。マップの左側にレイヤの名前がリストされるから、各レイヤの右のボックスをチェックするとそのレイヤーが表示され、チェックを外すと非表示になる。拡大して詳細に見ると、寄り道や間違えて行きつ戻りつしたところがよくわかる。

なお将来はGoogleマップのマイマップはGoogle Maps Engine Liteに統合されるということだ。

主宰は茨城県北ジオパーク事務局。ユネスコの支援する世界ジオパークネットワーク(GGN)という団体があり、茨城県北ジオパークはその加盟団体ということらしい。用語の説明はジオパーク(→以下ジオサイト、ジオポイントなど)を参照。今回の散歩コースは「平磯海岸ジオサイト」の最北部。

集合はひたちなか海浜鉄道の終点である阿字ヶ浦駅に1時。9時過ぎに家を出て浜風で北上する。天気は快晴。微北風が常時、胸を押す。何度か通っているルートだから、以前に迷ったカ所、調べてみたかった道などを確認しながら走る。11時半頃に那珂湊駅前の食堂で昼食。最短コースからすると寄り道になるが、鉄道の社長がブログに何度も書いている食堂で興味もあったので立ち寄った。時分にはすこし早かったせいもあり店内に客の姿はない。たしかトンカツがおすすめとブログにあったような憶えがあり、こちらも好物だからその定食を頼んだ。持参したGoogleマップのコピーを取り出して、那珂湊の周辺を眺めてみると駅前周辺の釈迦町をはじめ面白い地名が多い。語源を調べて資料を作っている好き者がかならずいるはずだ。

十三奉行、四十発句、和尚塚、狢谷津、道メキ、沢メキ

そうこうしているうちに客がつぎつぎと入ってくる。女主人とのやりときを聞くからに撮り鉄らしき常連が多い。しかし、どの客も注文するのはラーメン。これは頼むソバから出てくるが、とんかつはトンと出てくる気配がない。余裕のあるはずだった時間配分が少し心配になる。このあたりで注文が失敗だったことは予測できる。この店の昼のルティーンにトンカツは入っていないのだ。これ以上書くのはやめておこう。

那珂湊駅から先は初めてのルートだったので少し焦ったが、畑の中の一本道だったので余裕をもって阿字ヶ浦駅に着くことができた。改札口の前にテーブルが置かれ、主催者や参加者の姿もちらほら見える。ネットで予約済みなので名前を伝えて参加料500円(保険料含む)を払い、資料と参加証を受け取る。愛想のいい受付の女性は今回の散歩のリーダーでもあるインタープリーター(ジオパークのガイドの呼称。4年ごとに更新を要するライセンス制とのこと)だ。1時過ぎに到着したディーゼルで参加者全員がそろった。主催者側を除いて参加は16名。仲間内の気心の知れた集まりという雰囲気で、当方のような遠方からの参加者はいないようだ。インタープリーター嬢は本名を名乗ったあと、自らを「ジオ子」と呼んでくれととのこと。インタープリーターは会のマーク入りの黄色いチョッキを着用している。

ジオ散歩の受付 参加者は出発までに総勢16名になる

堀出八幡神社

まず駅の正面に見える堀出(ほりで)神社へむかう。詳細は由緒を参照してほしいが、この辺りの村と村との境界争いがつづき、境界を検分したところ偶然に古墳が発掘された。その跡に建てられた祠がこの神社の起源というところが面白い。神社→古墳→ジオへの連係から、今回の散歩のテーマになったようだ。

八幡神社だから応神天皇が祭神は当然として、境内にオモダル、カシコネ両神の祠があるのが珍しい(あとで神社のページで知ったが、次回拝見)。これらの神は「古事記」冒頭の神世七代の六代目(夫婦神)に現れる神で、身体や意識の発生の神格化(岩波文庫p18)とされている。当方、寡聞にしてこれらの神を祭神とする神社があるとは知らなかった。インタープリーターの男性は、創建は水戸光圀が関わったと説明していたので、光圀の古事記に関する知識がこのような社を建てさせたのか。もっとも発掘がらみということならウヒジニ、スヒジニ(土と砂の神)ということも光圀の想念にあったかも知れない。

堀出神社 鳥居同左拝殿

川子塚古墳

道路脇の空き地(個人所有)の奥にあり、林に被われているのでうっかり通り過ぎそうである。去年末に虎塚古墳(7世紀前半)を尋ねたが、この古墳(5世紀後半)のほうが年代的に古いらしい。インタープリーターはここで埴輪が出土したといい、埴輪が虎塚古墳の頃には廃れていたことを挙げていた。

川子塚古墳
左前方部、右後円部

比観亭跡

酒列磯崎神社の鳥居の北側に、海岸道路を隔ててある高台。現在は森に被われて建物は何もない。太平洋と北方の海岸が一望にできることから、六代水戸藩主治保(はるもり)が神主の屋敷内に建てさせた四阿があったという。いまは周囲の薮がうるさいが、たしかにこの周辺でこれ以上の眺望の得られる土地はほかになさそうだ。眼下に磯崎港、湾を挟んで向こうに茨城港(日立港区)、その奥に阿武隈山地の南端が望める。

参加者のひとりに「井戸屋」を自称し、実際に井戸を掘る会社に関係している人がいた。この方が職業柄、茨城の地理情報に詳しい。当方、うっかり海の向こうに見える山地を八溝山と勘違いしていたが、彼の話では八溝山はさらに西方(ここから見えない)で山系が異なるとのこと。八溝山地は八溝山を北端とし、筑波・加波山を南端とすることを教わった。

比観亭跡から北方を望む 手前磯崎港、奥は茨城港(日立港区)と阿武隈山地南端

酒列磯前神社

この散歩のハイライトは酒列磯前(さかつらいそざき)神社となるか。「ジオ散歩」のハイライトが神社か? と思うが、ジオはGeologyのジオではあるよりギリシャ神話の昔に遡って大地(ゲオ、ガイア)に関連したあらゆる事象とすれば納得できる。それにこの神社の社叢、とくに参道のタブノキの巨木は一見に値する。

参道の土塁という特殊な生育条件があるのかもしれないが、ここに群生するタブノキとヤブツバキの樹形は特別である。

他に類を見ない参道の光景
参道で最大のタブノキ
拝殿

あらかじめ手配してあったのだろうが、神職から神社についての説明があった。興味深かったのは大洗の磯崎神社とここは社伝がほとんど同内容なそうだ。かなたオオナムチ、こなたスクナヒコナを祭神とする。これら両神は国造りを担った。我が家近くの鹿島神宮のタケミカヅチと香取神宮のフツヌシ(タケミカヅチの佩刀の神格化)のペアは国譲りに関係する。言ってみれば、オオナムチ、スクナヒコナの造った国をタケミカヅチ、フツヌシが奪ったことになる。おそらく神話の起源からみても、オオナムチ、スクナヒコナのほうが古いであろう。

酒列磯崎神社神職の説明を受ける

神職の話しでは、向拝の唐破風の懸魚の部分にある彫刻は左甚五郎が日光東照宮の仕事を終えて帰りにここに立ち寄ったときの作という。「甚五郎作」の裏書きでもあればただちに国宝になるというが、これを取り外ずすまでして確証を得ようとする宮司はかつていなかったそうだ。

向拝の唐破風の懸魚 リスとブドウ 伝左甚五郎作

この神社の本殿の前に陶製の唐獅子がある。前回訪ねたときに不思議な印象を受けたことを書き留めてあったが、やはり地元のひとびとのあいだでも話題になっているらしい。インタープリーターは蒙古製かなどと説明していたが、どうみても唐三彩だ。この獅子の由来も興味がある。

本殿前の唐三彩の唐獅子 垣根の隙間から撮影

本殿の裏側は自然林が残されているという。それら木々の根元の凹凸はすべて古墳だそうだ。

本殿裏の社叢手つかずの自然林という

以前から気になっていたが酒列磯前神社の「酒列(さかつら)」の由来についてインタープリーターの男性から面白い話しを聞いた。酒列はじつは「逆面」から来ているという。神社の背後の海岸に露出する白亜紀の地層はほとんど北側を表に海中から突き出しているが、そのなかに一部分だけ南を表にしているカ所があり、地元では逆面と呼んでいた。これに因んで、大洗の神社と区別するためこちらには「さかつら」を頭に付けることにした。だが逆面ではイメージが悪いので、祭神のスクナヒコナが酒の神でもあることと、地層が列をなしていることから「酒列」を当てたという。この話しにはおもわず、微笑んでしまった。

白亜紀露岩遠望

神社のやや東南にひたちなか市営のホテル「ニュー白亜紀」がある。名前の由来は言うまでもない。条件が良いと海岸まで降りてまぢかに白亜紀の地層を見るのだそうだが、今回は潮位が高くて大部分が水面下にあり風も強いというので、ホテルの敷地から見下ろすことになった。

眼下の海面から露出する白亜紀の地層についてジオ子さんの説明

井戸屋さんにここに露出する白亜紀地層の成因を説明してもらった。筑波山一帯は白亜紀にはまだ海面下にあったが、その造山運動に伴う土石流が大陸棚を流下して堆積した。その地層がその後に隆起し、いま海中から露出しているのが、眼下に見る帯状の岩だという。

ここで見学予定のジオスポットは終わった。あとは磯崎駅まで戻って解散するというので、当方はここで失礼して、海岸通りを帰途につくことにした。

畑の中の農道より

地質学的なスポットより神社がらみの内容が色濃い散歩ではあったが、1時間半ほどの時間を楽しく過ごした。2時間半ほどで帰れると思ったが実際には3時間を要してとっぷり日が暮れてしまった。長距離を漕ぐこと自体はさほど負担は感じないが、真っ暗闇の農道を夜間走行する緊張は老眼に応えた。

本日はこれまで。

  
   
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