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八甲田山春スキー 2014年4月26-29日

5月の連休を八甲田山の春スキーで過ごす習慣を長年続けていたが、それができなくなってから8年が過ぎた。

八甲田山の春スキーの楽しさを教えてくれたのは、昔勤めていた会社の同じ年の友人だった。彼の奥さんもともに、あるときは互いの友人も参加して、連休の八甲田山春スキーを楽しんできた。八甲田大岳山麓の酸ヶ湯温泉に宿を取り、青森で仕入れた魚菜で自炊をする生活を毎年飽きもせずに繰り返した。しかし、友人は自ら立ち上げた事業が多忙で参加できなくなり、やがてはぼくも八甲田詣でをする余裕がなくなって、四半世紀以上の長きに亘って続けてきたわれらが八甲田山春スキーは途絶えた。

その友人から久々に電話があった。この連休をご夫妻で過ごすべく酸ヶ湯温泉の旅館部に宿を取ったという。しばらく会わないまに彼は重篤な病を得て大手術から生還していたのだった。彼は言う。つらつら人生を振り返ってみると、八甲田の広大な斜面を自在にスキーで滑り巡り、宿に戻って自分たちで調理した青森湾産の鮮魚や近隣の山菜で一杯やりつつ語り合ったあの日々以上に楽しかった記憶は思い浮かばないと。ついては、残る体力でもう一度チャレンジしてみたいので、往時のルート図があれば送って欲しいとのこと。手元にある国土地理院の2万5千の地図を集成した南北八甲田全域の地図には、通常のツアースキーのコースにはないバリエーション・ルートがいろいろ書き込んである。

三浦敬三さんのこと

その手書きのルートのいくつかは、今は亡き三浦敬三さんが自ら書き込んだものだ。今思えば敬三さんとは、ちょうど今のわれわれと同じ70歳ころに酸ヶ湯温泉でお目に掛かった。敬三さんは奥さん同道で「しころ(錣)」の間で連休を過ごされるのが常だった。ときには知人を伴って、ときには子息の雄一郎さんの主宰するスキースクールの顧問として八甲田の山々を滑られていた。当時はまだ我々も(湯治部ではなく)旅館部に泊まり、大広間でお仕着せの食事を摂り、宿のガイドが先導するツアーに参加していた。友人の奥さんが敬三さんに気に入られたせいもあって、いつしか敬三さんのスキーに我々がお供をするようになった。

当時、敬三さんは脚を怪我なさってその傷が癒えていなかった。お孫さんといっしょに乗っていたリフトで、お孫さんが座席から滑り落ちそうになったのを支えようとしてともに転落したそうだ。その後遺症であのスキーの名人でもパラレルターンでは脚が揃わなかった。しかし、その揃わない脚の開きが実に優雅なシュテムとなっていたのが鮮やかな映像として脳裏に刻まれている。

三浦敬三さん 100歳 酸ヶ湯温泉の廊下のミニギャラリーに掲示されていた写真

われわれは畏れおおくも三浦敬三さんをガイドに八甲田の山々を駆け巡るという掛け替えのない経験ができたのだ。怪我の影響もあって赤倉、大岳、小岳、高田大岳のような代表的な急斜面のルートは避けられたが、そのおかげで、トレールのまったくない雪面をステップを切って登るようなルートを毎日のように経験することができた。もっとも八甲田山全域のスキールート自体、敬三さんが自ら設定して定着したものだと伺った。

たとえば、赤倉大斜面から箒場岱への通常のコースは途中から大きく雛岳の裾野を巻くが、じつは真っ直ぐ滑り降りたほうが長距離の滑降を楽しめる。ただ、調子に乗って滑りすぎると大きな沢に出て、積雪状態によっては対岸へ渡ることができなくなる。それに、長吉岱へ逃げようとすると山菜採りや自衛隊員の死者を出したガス穴も待ち受けている。通常の箒場岱ルートを雛岳寄りに大回りするように設定したのはそれが理由だとのこと。敬三さんは先刻ご承知だから、そうした危険を回避しつつ長い滑りを楽しむことができた。

また、笠松峠から城ヶ倉渓谷を下り、支流のバッカイ沢に登路を取って櫛ヶ岳へでたこともあった。長距離の登りになるとわれわれはスキーをザックに着けて、友人と交互にステップを切るのだが、敬三さんはつねにスキーを肩に担いで後方からルートの指示を出される。ザックは軽いが首には重いニコンの一眼レフが下がっていた。そのときは、ちょうど昼時に櫛ヶ岳の下部に着いた。敬三さんは、われわれのようにムスビだ味噌汁だと騒ぐことはないし、酒は嗜まれないのでわれわれもビールやワインは遠慮した。座ることもなく数枚の鹿煎餅を取り出してポリポリと齧るのが敬三さんの昼食だった。この帰途は笠松峠の西側へ出て国道沿いに滑って酸ヶ湯へ戻った。

あるいは、八甲田大岳・小岳を周回して硫黄岳と石倉岳のコルから酸ヶ湯へ戻ったこともあった。このコースは酸ヶ湯から湯坂あるいは地獄沢を登ればバスやロープウェイの時刻を気にする必要のない自由な行動が可能である。また、ロープウェイを使って田茂萢岳、赤倉岳を縱走すれば、高田大岳を除く北八甲田の主要なピークを網羅できる。かつてはぼくの一番気に入りのコースだった。

北八甲田岳スキールート図

南北八甲田のさまざまなルート

三浦敬三さんとのこうした体験がわれわれの八甲田山春スキーに決定的な影響を与えた。沢筋とガス穴を除けば八甲田には危険な場所はさほどない。北八甲田は道路に取り囲まれているので、いくら迷ってもたかが知れている(南八甲田は別だが)。それからは地図と首っ引きで面白そうなコースを自分たちで設定してはさまざまな行程を楽しんだ。なかでも笠松峠から櫛ヶ岳を大回りして蔦温泉へ下りたのが最長距離だろう(いまでは論外だが)。それに蔦温泉ルートは何度か失敗している。一度は、迷走しながら十和田温泉まで下ってしまったことさえある。あれはどう考えても遭難一歩手前だった。

あるときは櫛ヶ岳からさらに西北へ脚を伸ばし、城ヶ倉大橋まで下ったこともある。このコースは滑るというより歩行が長いが、途中でふと気づくと前方の稜線にずらりとスノーモービルが並んでわれわれを見下ろしていた。まるで往時の西部劇で、知らぬまにインディアンに取り囲まれた白人の気分だ。実はこの辺りまでくると黒石市側はスノーモービルの通行が許可されていたらしい。八甲田ではスキーヤーの領分にスノーモービルは入らないように規制されているが、このときは、われわれが向こうの領分へ侵入したのである。別にインディアンと白人ではないので戦いになることはなかったが、首領とおぼしきライダーが稜線から降りてきて言葉を交わした憶えがある。相手にしてみればスキーヤーが迷い込んだと思ったのかもしれない。このときは城ヶ倉大橋から酸ヶ湯までスキー靴で歩いて戻った。ははは、元気であった。

思いがけない友人の電話で、こうした思い出が一気に吹き出してきてとめどもなくなってしまった。諦めたつもりでいた八甲田山の春スキーへ気持ちがぐらりと傾いた一時だった。友人が八甲田行を思いついたのは連休も間際で、宿の確保にはだいぶ苦労をしたようだ。最初は断られたが敬三さんと昵懇であった話などを持ち出してなんとか7泊ほどを確保できたという。酸ヶ湯では三浦敬三さんは「敬三先生」と呼ばれるのが常であり、この名前を出せば大方の問題がすんなり解決する。もちろんご当人は謙虚な方だったから、けっして自分から威勢を示すようなことはなさらなかった。あとで聞くと今回も、友人がロープウェイでレンタルのスキーセットを借りるときに敬三さんのことが話題にのぼると対応が一変したと聞いた。

さっそく地図など資料を発送し、しばし考え込んだ。しかし、傾きかけた心の斜度は戻らなかった。数日後、友人に3泊だけ同宿させてほしいとメールし、快諾を得たのだった。

 

長々と思い出話になってしまった。この連休前半に行動したルートをざっと紹介しておく。

八甲田温泉ルート

初日は昼前に酸ヶ湯に着き、慌ただしく12時半の送迎バスでロープウェイへ。昔なら3時半にシャトルバスが出る箒場岱まで飛ばすところだが、ここはぐっと我慢して八甲田温泉コースにしておいた。このコースはあまり面白い斜面はなく木立が密で滑りにくいところが多い。八甲田温泉入口のバス停に降りてもシャトルバスの最終便まで1時間以上があったので、八甲田温泉までビールの買い出しにいって時間を潰した。

マップ

酸ヶ湯温泉 背後は湯坂玄関
ロープウェイ終点
田茂萢岳より 赤倉岳 井戸岳 八甲田大岳
八甲田温泉方面

田茂萢岳→赤倉岳→小岳→硫黄岳・石倉岳コル→酸ヶ湯

2日目は晴れて静穏。友人夫妻と田茂萢岳から赤倉岳まで縱走し大斜面から箒場岱へ滑るつもりだったが、大手術後の体力回復がままならず友人は途中から八甲田温泉コースへ別れることになった。雪上の昼食がともにできないとなると箒場岱コースをおとなしく滑ってもつまらない。赤倉大斜面をトラバース気味に滑って小岳の麓へ、小岳を登り返して頂上から大斜面を硫黄岳の裾野へ、硫黄岳・石倉岳コルへさらに登り返し、硫黄岳の麓を巻いて酸ヶ湯まで滑り下った。すでに書いたように、このコースは天候、体力、雪面の状態などに応じて、長短いくらでも滑降距離を調節できる。八甲田の春スキーで3泊というのはまともに滑るチャンスがあるかどうか保障の限りではない。10日近く逗留しても全日悪天でまともに山へ出られないこともあった。今回は、このコースを滑れただけで大満足である。

マップ

赤倉岳への登り
赤倉岳斜面より 高田大岳 小岳 八甲田大岳
 昼場 大岳下部プラトー雪上の昼食
小岳山頂より 八甲田大岳同 高田大岳
南八甲田方面 赤倉岳(南にもある) 猿倉岳 駒ヶ峯 櫛ヶ岳   

仙人岱ヒュッテ→硫黄岳→酸ヶ湯

3日目、午前中は風雨に見舞われた。下界は晴れているらしいが八甲田を覆う雲は取れなかった。食事付きの旅館部に泊まってはいるが、昼食の八甲田特製おニギリ(残ったご飯とおかずを醤油と七味の味付けて炒め、海苔で巻く)は用意してある。昔取った杵柄で、フロントのT女史に頼んで調理器具を借り、湯治部の炊事場で前夜のうちに作ったのだ。午前中は諦めて早めの昼食を特製ニギリで済ませているうちに雨はやんだ。今日は高田大岳の大斜面を滑るつもりだったが、午後からでは時間が足りない。昨日、トラバースした硫黄岳の斜面がよさそうだったので、今日は硫黄岳の頂上からその斜面を滑ることにした。山頂部のガスは取れなかったが3時以降に晴れの予報だったので、強風のなかを出発した。友人夫妻はスキーの練習と称して、ロープウェイ脇のゲレンデで滑りに磨きを掛けるという。

酸ヶ湯を出て地獄沢(敬三さんによると昔は「地獄湯の川」と呼んだそうだ)を横断し仙人岱ヒュッテへ向かう。しばらく小屋で時間を潰したが天候は回復しなかった。諦めて帰ろうと外へ出て、スキーを履こうとして空を見上げると急速に青空が広がっている。これは予定のコースを滑らずばなるまい。板をザックに付け直し、横殴りの寒風を押して硫黄岳の稜線を登る。予報は的中したようで山頂に至ると風はぴたりとやんだ。滑降開始地点で板を付け、眼下の大斜面を一気に滑降する。あっというまに、昨日トラバースした地点まで滑り降りた。

コースとしては昨日で満足、滑降の快適さでは今日が満足。たった3泊でこれだけ堪能できるのは幸運というしかない。

マップ

仙人岱ヒュッテ 八甲田大岳は雲の中
ヒュッテから硫黄岳へ 滑るのはこの反対側の斜面
硫黄岳の斜面を一気に滑る 八甲田スキーの醍醐味

弘前城趾花見

最終日は快晴。箒場岱コースに再挑戦するという友人夫妻を見送る。今日は、今後10年近く解体修理で姿が見られなくなるという弘前城の満開のサクラを楽しむことにした。フロントで清算を済ませ、来年の予約(もちろん自炊で)をしたのは言うまでもない。

また来年!
弘前城
石垣や天守閣をこれから10年かけて分解・修理するそうだ
西壕から岩木山あと10年後に???

本日はこれまで。

  
   
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