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西蓮寺やまゆりの里・常光院・小高のカヤ 2014年7月22日

恒例の西蓮寺のヤマユリは連休を予定していたが天候不順で、というか、不順だという予報で出そびれているうちに梅雨が明けそうになった。今日行かないと花も終わりそうなので、午後から出かけてみた。

マップ

久しぶりの北浦大橋ハスの畑

西蓮寺のヤマユリ

例によってヤマユリの里へ直行したが、とりあえず山門から。

西蓮寺山門
山門付近からやまゆりの里
大銀杏1号2号
藤棚の木道ノカンゾウ
あとで知ったが梅雨明け
やまゆりの里受付というか接待所というか

受付で管理費300円を払って、冷えた麦茶に茹でたジャガイモの接待を受ける。

  

やはりもう盛りは過ぎていて、やや寂しい感じである。

  
 
  
 
日当たりの悪いところではまだ咲き残っている 

泰英山常光院(曹洞宗)

だいぶ浜風には乗っていなかったので、このままUターンはつまらない。どうせなら小高のカヤに挨拶をして帰ろうと走っていると、もうじき小高のカヤというところで「常光院」(常幸龍ではなく)の案内標識が見えた。ちょっと興味をそそられて、寄り道をしてみた。

常光院山門

常光院は、丘の狭間の畑の傍らにあって、うっかりすると行き過ぎてしまいそうだ。しかし、木立に覆われて目立たない山門を見つけて、近づいて見て驚いた。行方には失礼ながら、これだけの本格的な造りの山門はこの辺りで見かけたことがない。

三門脇に案内板を見て納得した。ここは秋田に転封になるまで佐竹氏の庇護を受けていた寺だったのだ。開基は佐竹義舜(よしきよ)とあった。

常光院山門脇の説明版 

調べてみると義舜は佐竹氏15代当主で中興の祖といわれる人物(生1470ー没1517)。鹿行地方では悪名高い「南方三十三館仕置」は十九代義宣の仕業である。この説明にある秋田転封は義宣のときである。念のためつけ加えておくと、戦国武将あるいは大名としての義宣の評価はきわめて高い。

尾垂木の入った三手先の組み物
  
何気なく立ち寄ったがこれは恐れ入谷

本堂は火災で焼失しているので残念ながら平凡な建物であった。

本堂

小高のカヤ

坂を登りながら見上げた小高のカヤが少し小振りになったような気がした。

以前より枯れ枝が目立つ

やはりそうなのか。以前感じた、旺盛な生命力が感じられなかった。手当が功を奏して勢いの回復することを祈る。

 
 
元気だせよ!!!

梅雨が明けたとはいえ、どんよりと熱気の籠もった天気であまり快適な走りとはいかなかったが、常光院の山門に出会えて仕合わせであった。

本日はこれまで。

  
   
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