OJerBlog | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
_ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 妙高山・火打山 2014年9月28-29日一昨年の北ア笠ヶ岳新道以来、久しぶりのまっとうな山へ登ってきた。今回は自炊の小屋泊まりにしたので重量はせいぜい15キロもなさそうだし、北ア有数の笠の登りに比べたら妙高のそれはさしたることはない。それなのに、おおバテした。以前、会社の先輩が、70歳を過ぎると体力は急速に衰えると述懐していたことがあったが、今回はそれをしみじみ追体験した山旅であった。 →マップ 追加2014/11/27 追記:2014/11/27 地理院の地図では作図情報(地図に載せるルートや地点)は30日間しか利用できないことが分かった。つまり下記の説明で「電子国土Web」の地図は表示されるが、ルートや地点情報は作成して30日を過ぎると表示されなくなる。ルート図は「マップ」参照。 今回の地図はGPSのログを国土地理院の「電子国土Web」に載せてみた。カーソルを地図に入れて(1)マウスのホイールでズームが、(2)左ボタンのドラッグで表示範囲の移動が、(3)右クリックでカーソル位置の詳細情報を知ることができる。(4)赤丸をクリックすると地名が表示される。右上の[地図」ボタンで地図の種類を変更できる(肝心の「写真」はこの地域は未対応のようだ)。GoogleMapの影響がなければ、国土地理院はここまでサービスしなかったろうなあ。 27日土曜、午後1時ころに山仲間の車で南浦和駅を出発。車中のラジオで御嶽山の噴火を知るが、あのような大惨事になるとはまったく予想もしていなかった。 日暮れ前に笹ヶ峰のキャンプ場に着いて、車の脇の草地で幕営。前夜祭の一杯を楽しんだことはいうまでもない。 28日、5時起床。簡単な朝食を済ませ出発(5:20)。笹ヶ峰のキャンプ場はまだ紅葉がはじまったばかり。
登山口には立派なゲートがあって、登山届けを出すようになっている。
しばらくは樹林帯を縫う木道の緩やかな登り。はじめは登山者が列をなして、抜くも避けるもできないような混雑。前後でカウベルや鈴が賑やかなこと。やがて、体力と荷重に応じて隊列はばらけて静になり、ほっとする。
黒沢橋(7:05)を渡ると本格的な登りになる。傾斜とともに木立の構成が変わり、赤や黄色の鮮やかな紅葉が始まる。それにオオシラビソの甘い樹脂の香りが漂いだす。この辺りの標高が紅葉の盛りかもしれない。
十二曲りとそれに続く急登が終わると、斜度は緩んでやがて富士見平の分岐に至る(8:49)。われわれは妙高を目指し分岐を右にとる。 富士見平からしばらくトラバース気味に下って、黒沢池の湿原へ降り立つ。
しばらくはミニ尾瀬の散歩気分で木道を行く。
黒沢池を通り過ぎ、少し下るとすぐに角張った天文台のような黒沢ヒュッテの屋根が見えてくる。黒沢ヒュッテ(9:35-9:50)。
ヒュッテの前庭にザックをデポして、サブザックで妙高北峰までピストンした。ここまではとくに疲れるほどではなかったが、これから先、サブザックだけになったというのに、バテバテになった。 ヒュッテから少し登って大倉乗越(10:13)を通過すると、はじめて妙高の姿を目にする。これまでは外輪山の三田原山の稜線に遮られて妙高を見ていない。
ほとんど霜枯れだが、ゴゼンタチバナの赤い実や白花のヤマホタルブクロなどが残っていた。
山道の左下(東側)、紅葉をちりばめた長助池の先には雲海が広がっていた。 長助池への分岐で一服。ここから先が妙高への急登になるが、これが辛かった。赤と黄の紅葉にまだ緑を残す木々のトンネルが続き、体調が良ければ楽しい登りだったろう。
へろへろで山頂到着。仲間をだいぶ待たせてしまった。わたしがビールを背負っていたので、先行した仲間には間延びしてしまったろうが、乾杯は忘れなかった。
明日、目指す火打山方面(西側)はときおり雲のあいだから姿を見せたが、あとは一面の雲海だった。
戻り道は下りだというのにけっこう苦しかった。持ち主を真似たか、携帯も電池切れで、本日の撮影はこれまで。 高谷池ヒュッテ着(16:27)。すでにほとんどの客が到着していて、騒然としている。今日は満員だそうだ(定員74名)。これだけ登山客がいても自炊客はわれわれだけ。食堂の奥に自炊部屋があり、水道やガスなどの設備は揃っている。しかし、水は飲料にしか使えず、食器の洗浄は100mほど離れた戸外の洗い場でする。なんともリアリティのない使い勝手を無視した規制である。今日のような混雑時は、自炊場も食堂の延長として使われる。しかも、自炊部屋は別棟のトイレへの通路でもある。 久々の山小屋泊まりに大いなる疎外感を抱きながら、われわれは料理にかかった。 まず枝豆を煮る。こちらも各自一品持参のつまみで、わたしはオクラを焼く。庭先で採れたシマオクラをコンロで焙ってから刻み、オカカを掛けるだけだ。枝豆ができて持参のビールで乾杯。この小屋は350mlの缶ビールが520円で、しかも空き缶は持ち帰りだ。担ぎ上げた酒はロングのビール2本と昨日の残りの酒4合ほど、それにモンダビの赤が1本ある。夕食の時間になると、食事を受け取る待ち行列の末尾が自炊部屋まで伸びて、室内を半周する。まさに、われわれは衆人環視の中で宴会をする羽目になった。小屋のメニューはカレーかハヤシライスの選択肢しかない。こちらは、枝豆、焼きオクラ、塩レモン漬けのステーキにアスパラ添え、最後はキノコたっぷりの鍋である。こっちのメニューがレトルトのカレーなんてことだと、ちょっと惨めだったろうが、ははは。 この小屋は完全予約制と称して、1人布団一枚分のスペースは確保されている。それにわれわれの位置が部屋の一番奥で比較的ゆったり就寝できたことは仕合わせであった。 29日。5時に起床。今日は火打山を目指す。長蛇の列が自炊部屋を侵す前に昨日のキノコ鍋の残りを温めて朝食を済ます。ザックは小屋の外の物置にデポして、高谷池ヒュッテを出発(5:50)。昨日の続きでバテてはいるが、なんとか仲間に遅れないくらいに体力は回復していた。 やや風があって寒いが、空にはまったく雲がない。
高谷池の湿原から低い稜線を越えると天狗の庭だ。写真はひどい写りだが、青空を背景に全山が紅葉して素晴らしい。もっとも、この高度ではすでに紅葉の最盛期は過ぎているが、遠景としては真っ盛りといってもよかろう。
天狗の庭を過ぎて、火打への稜線へでると、日陰にはすでに霜柱が立っていた。
稜線へ出てから風が冷たいかと予想していたが、まだこの時期ではさほどでなかった。途中、風を避けて一服したが、それからわずかに登っただけであっけなく頂上に着いてしまった(7:33)。昨日の妙高の苦闘を思えば、楽ちんちんであった。
火打山頂からは360度、周囲の頸城山塊、やや離れて後立から槍穂方面、遠方の富士山や南アが望まれた。この山並のなかに噴火した御嶽山も含まれているはずだが、噴煙を認めることはななかった。
風が冷たいので山頂から少し戻って一服する。そのうちに団体がぞろぞろと登って来たので、これに巻き込まれてはならじと退散した。
高谷池ヒュッテ(9:12-9:28)でザックを担ぎ、あとはひたすら錦繍の秋山を下った。
途中、下りで最高の景観の得られる場所で1回だけ休んで(10:27-10:59)、笹ヶ峰キャンプ場着(12:18)。 ひごろの運動不足を、山にこってり絞られたが、秋山としては最高の紅葉と気候に恵まれ、満足した。 本日はこれまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||