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| 八甲田山春スキー2015今年は友人の車で、総勢5人(1人は現地集合)の賑やかな春スキーになった。4月24日の夜に東川口を出発して、東北道を徹夜で飛ばす。といっても運転は車のオーナーの友人1人だけ。もうしわけないが、あとは車中でうたた寝である。 早朝の青森駅前の「魚菜センター」で鮮魚や山菜を、24時間営業のMaxValuで雑貨を仕入れる。以前から通い慣れた、湾内産の鮮魚店「田中」やホタテ貝の専門店「工藤」、それにセンター東側の山菜の豊富な八百屋はいまも健在だ。 去年は、友人夫妻の部屋に飛び入りしたので食事付きの宿泊だったが、今回は昨年の宿泊中に、あらかじめ自炊棟を確保しておいた。いったんは中断したものの、自炊の宿泊は20年以上にわたった続けてきた。朝食から弁当や夕食兼宴会もすべて自分たちで賄う。もちろん後片付けも。多少の食品小物は酸ヶ湯の売店で補給できるし、食器、調理具などは無償で借りることはできるが、基本的に重要な食材や調理器具は自分たちで用意する。とくに刺し身用の包丁や大きな支那鍋などは別送あるいは持参する必要がある。 ※ 本文中の写真はかならずしも当日撮影のものではない。全行程のなかから適当に抜粋して配置した。撮影者も明記していない。
今回の行程は、こちらからのアクセスを除くと、次のとおりとなった。 25日 八甲田温泉コース 26日 箒場岱コース 27日 硫黄岳コース 28日 八甲田大岳・高田大岳コース 29日 青森散策 メモ:国土地理院地図(2万5千)でルートを見る Googleマップの地形図は山屋には粗すぎる。国土地理院地図でルートを見てみたい場合は、ここからルートのgeojsonファイルをダウンロードできる。地理院地図の画面を開き、右上のメニューで「機能→ツール→作図・ファイルを開く」からgeojsonファイルを読み込めばルートが表示される。 今回は車があるので自由度は高いが、基本的には酸ヶ湯から送迎バスでロープウェイ山麓駅へ向かい、ロープウェイ山頂公園駅から北八甲田山の稜線を縦走して、目的のコースを目指すことになる。今回、酸ヶ湯から歩き出し酸ヶ湯へ滑って戻ったのは27日の硫黄岳コースだけで、あとはロープウェイを利用した。 八甲田大岳・高田大岳コース書き留めたいことはいくらもあるが、ここでは、今回のハイライト「28日 八甲田大岳・高田大岳コース」について記録しておこう。 朝食と弁当の用意をすませて、8時20分酸ヶ湯発の送迎バスでロープウェイへ向かう。山麓駅は閑散として、切符売り場にも行列はない。連休には待合室を溢れたスキーヤーが延々と行列を作り、3時間待ちなど珍しくなかったころを知っている者にはいささか寂しいくらいだ。
山頂駅から東北東方向に見えるパラボラ・アンテナを目指して雪面を登ると1326mピークへ出る。そこから板を付けて平坦なピークを赤倉岳方面へ進み、ピークの下りにかかったら、わずかながら滑降する。板が滑らなくなったら、ザックに板を着けて歩行開始だ。田茂萢岳の緩い山頂を右手に見て広い雪原を進む。この辺りには酸ヶ湯の設置した竹のポールがあるので視界があれば迷うことはない。
赤倉岳への登りにかかる手前で、八甲田温泉コースと宮様コースの分岐点があり、常設のしっかりした標識が立っている。そこを過ぎると1521mピークへ向けて登りになる。普通なら踏み跡が入り乱れているのだが、今日はトレールがまったくない。一昨日、箒場岱へ向かったときにわれわれが付けたトレールも見あたらない。スキーヤーが少ないうえに連日の高温が続いたせいで消えてしまったようだ。 この登りはトレールがないときは稜線のやや右手にコースをとる。今は雪の下に隠れている夏道にそってオオシラビソの枝に目立たないくらい小さい赤布が付けられている。忠実にこれに従う必要はないが、雪面はやがて途絶えハイマツの樹林帯になる。雪面の消え果てる地点ですんなりと夏道へ出ないと、ひどい藪漕ぎを強いられることになるし、自然破壊にもつながる。したがって、自由に歩ける雪面といえども、おおかた夏道沿いに登るに越したことはない。この時期の北八甲田山域では山頂部はほとんど残雪がないから、自由に歩ける雪面から夏道へ抜ける地点を的確に見つけるのがポイントになる。
少し脱線する。 26日に箒場岱コースを滑るためこのルートを登ったとき、ほとんどの登山者が、われわれが前日の25日につけた踏み跡を追従していた。25日にわれわれが1521mピークへの稜線をつめたのは、通常の八甲田温泉コースの長い歩行部分を避けるためだ。標高1450mくらいまで登って稜線左手の広い斜面を滑って八甲田温泉コースへ合流したのだ。登りは増えるが、このほうがはるかに楽しい。ただし、斜面下部に大きな崩落地形があるので注意が必要だ。雪の崖になっているが、底部は剥き出しになっているので滑落すれば地べたに叩きつけられる。
じつは、25日のわれわれのトレールはそのまま登りつづけると夏道からどんどん離れて、雪面が途絶えたあたりでハイマツに行く手を阻まれる。そこからは、右へトラバースして相当距離をハイマツの藪漕ぎをしないと夏道へ出られない。25日のわれわれのトレールを追ったスキーヤーはおおかた藪漕ぎをせざるをえなかったろう。八甲田に慣れないころにぼくも2度ほどここの轍を踏んでいる。 話を戻そう。 夏道は1521mピークへ向かってハイマツ帯を直線的に登る。いままでのオオシラビソ林から樹高が低くなった分、強風がもろに吹き付けてくる。1521mピークで稜線に出ると風はいや増す。ここから赤倉岳を乗越して井戸岳とのコル(大井戸沢源頭)までは、歩くよりは風との格闘に体力を消耗する。ザックに板を付けている分、風圧は強い。西風に対抗して右に荷重しながら歩くが、たまに風の息継ぎがあって風圧が弱まるとコケそうになる。
オオシラビソを避けつつ、なるべく高度を下げないようにぎりぎりに滑って大岳の避難小屋の下部へ出る。1521mピークからわれわれと前後して行動していた、韓国の登山者集団もほとんど同じころに避難小屋へ入ったようだ。ここで、高田へ直行するか、大岳を登って眼前の大斜面を滑ってから高田へ向かうか、悩ましいところである。いずれにしても小岳の北麓と大岳のプラトーを分ける小岳沢へ滑り込むことになる。おそらく今日が今回の八甲田山のハイライトになるだろうと思ったので、大岳の大斜面も楽しむことにした。 地図にある東側の崩落地(雪に覆われているが雪面が地形を反映している)を避けるようにして大岳上部に頭部だけ姿を見せているオオシラビソを目標に登る。十分高度を稼いだところから南へトラバースして、小岳沢が直下に見える位置へ移動する。ここで板を着ける。見下ろすと、大岳の大斜面の下部に小岳沢へ向かって流れ込むような雪面のヒダが見える。
以前、われわれのグループでは赤倉、小岳、高田の3大斜面を一日の行程で滑ることを「フルコース」と呼んでいた。大半が70歳代に突入したわれわれにもうその体力はないが、今日、大岳と高田の大斜面を2つ滑ればセミフルコースくらいにはなろうか。 大岳の大斜面は標高差250mほどか、あまり状態が良かったおぼえはないが、今回はまあまあの雪面だった。なによりも、先行パーティーがいないので、シュプールのない雪面を思う存分滑れるのが楽しい。以前は、ガイド付きのツアーが必ず先行していて、きれいな斜面を滑れたことはない。 小岳沢に滑り込んでも風は弱まらなかった。なんとか風を避けられそうな木陰を探し、オオシラビソの根元にできた雪の穴を広げて4人分のスペースを作る。八甲田の昼の定番は、昨日のおかずの残りを炒飯にした握り飯を海苔で巻いたものだ。5月といえども、普通の握り飯ではぼそぼそになってしまうが、炒飯にすると炒めた油のせいかそうはならない。まずはビールとワインで乾杯。つまみにブリーチーズまで出てきた。メインは炒飯お握りに味噌汁。味噌汁は周囲の雪を溶かして湯を沸かす。大病後、酒はたしなまない友人もポリフェノールと称して美味そうにすすっている。
食後はさらに小岳沢に沿って、高度をなるべく落とさないように滑り、高田へ向かう。思いきって滑り降りた方が楽だが、小岳沢は積雪によっては滝がでることがあるので、要注意だ。小岳と高田を結ぶ稜線の北側をトラバースして、高田の斜面にできるだけ近づくようにする。 トラバース終了点から高田への登りは八甲田でも屈指の急斜面で、相当のアルバイトを強いられる。だいたい高田の登りは午後早々となるから、ほろ酔いで急な雪面をステップ切っての登高となる。毎度のことだが、このときばかりは楽しい昼食に後悔の念が走る。 この登りでも、問題は雪面歩行から夏道への移行である。小岳と高田を結ぶ夏道は稜線通しにほとんど直線的に通っている。小岳沢側からアクセスする場合は、右上へ斜行することになるが、振り返ると稜線上に見える1322mピークを目安にすると夏道の位置を想定できる。ある程度斜行して、ほぼ夏道の位置に達したら、木立の間に開ける歩きやすい雪面を直登する。開けた雪面が終わって樹林帯に達すると、あとは木立を縫っての登りとなる。
斜度があるので這うような登りであり、低く垂れ下がった枝に背負ったスキーを取られやすい。樹冠の下は積雪が少ないので雪面を踏み抜きやすい。いったん雪面を踏み抜けば腰まで雪に埋もれてしまうことも珍しくない。難行苦行である。ここでのポイントは歩きやすい雪面を選びつつも徐々に左へ寄ることである。夏道を目安に下から開けた雪面を直登すると、通常、夏山の右手を登っていることになる。植生と地形の影響された積雪状態によるのだろうが、これまでの経験では例外なくそうだった。ここで夏道を見つけそこなうと、上り急斜面のハイマツ帯の藪漕ぎとなるので、ほぼ絶望的だ。現在ではGPSもあり大きな間違いは起きないだろうが、おおよその位置は分かっても、GPSの誤差範囲でさえハイマツの藪漕ぎは容易ではない。 今回もGPSと上記のような見当で、無事に夏道を見つけることができた。ただ、不思議に思ったのは、登山道の両側の枯草が倒れて路面を覆っていて、登山者の歩いた痕跡がないことだ。はじめは雪解け直後だからかと考えたが、この状況は山頂まで変わらなかった。連休だというのに、このコースに登山者もスキーヤーも、さらにはガイド付きのツアーもほとんど入っていないことになる。この登りも風には苦しめられた。独立峰だからなおさら風当たりが強い。斜度にあえぎつ、風になぶられつの登高である。
高田の山頂には祠がある。ここまで来ると、ほろ酔い気分はとうに吹っ飛んでいる。山頂では気流が乗っ越すので、下手に回ると風速も弱まる。汗を拭って一服する。高田山頂からは南八甲田も含め、八甲田山全域のパノラマが楽しめる。
高田の大斜面(2万5千図で見ると登山道と市境に挟まれた斜面)は谷地温泉方面へ下る山道の左(東)側に位置するが、登山道からはハイマツ帯に遮られて雪面を見ることはできない。大斜面は滑降のスタート地点を頂点に三角形をなして下方に広がっている。頂点の標高はその年々の積雪状況で上下する。これまでの例では、登山道を下りながら左手へ分かれる踏み跡を探すのだが、今回は踏み跡がまったくない。しかも、少し下ると登山道さえハイマツの中に消えてしまった。しかし、よくみると膝ほどの高さもないハイマツの枝に小さな赤布が付いていた。さらに目をこらすと、そのハイマツの下にかろうじて踏み跡があった。昔は探す必要もないほどはっきりした登山道だった。毎年、連休の八甲田詣でをしていたのは2006年までだから、9年ほどでこうまでも変わるものか。 あとで友人が酸ヶ湯のガイドに聞いたところでは、ちょうど大岳→小岳→高田の稜線から北側は青森市、南側は十和田市だが、十和田市側は自然保護のため登山道は整備しない方針だという。そのため登山者も極端に少なくなって、自然状態に戻りつるあるのかも知れない。ただ、御嶽山噴火の影響で、八甲田の噴火対策が見直され、避難路を確保するために、登山道整備が再開されるかもしれないとのことだった。 そんな状況だから、ある程度下っても左へ入る踏み跡はなかった。あまり下りすぎると雪面へ出るための藪漕ぎが長くなるばかりだ。以前の記憶から、もうこれ以上は下るとまずいと思ったので、ハイマツのあいだに点々と落葉樹の島が見られる場所を選んで、藪漕ぎを開始した。下りながらのハイマツ漕ぎだからなんとか進めるが、足は地に着いていない。バウンドするハイマツの幹を不安定なスキー靴で踏みしめ、手近な枝を掴んで進むのだ。幹を踏み外すと宙ぶらりんの股割きとなる。そこから体勢を立て直すのは一苦労だ。50mほどの藪漕ぎに20分くらいもかかって、やっと雪面へ飛び出した。雪面の頂点から20mほど下ったところだったので、まあまあの見当だったろう。しかし、スキー靴のビンディングが一つなくなり、ニッカーボッカーだったせいで、靴下に穴が開いていた。仲間から、また力ずくで無理矢理漕いだなと笑われてしまった。
これから滑る広大な斜面を見下ろしながらすこし休憩する。下から上がってきた登山靴の踏み跡が雪面に残されている。これからさき、どんなにひどい藪漕ぎをして山頂へ抜け出ただろうか、苦労が偲ばれる。足跡はあっても雪面にシュプールはない。連休に通い詰めていたころは毎年、何度か高田を滑っているが、ここにシュプールがないのははじめてだ。滑り出しの雪面は狭いから、以前はへたをすればコブができるくらい人が入っているのが普通だった。しみじみと時の経過を思う。ここからは谷地温泉へ降りるのが最短だが、酸ヶ湯のフロントで訊ねたところ、この時期営業はしていないとのこと。それに高田の斜面の下部は木立が密で滑りにくいし、小屋からバス停まではしばらく歩きになる。斜面の途中から猿倉に向かって滑り降りて、猿倉のバス停へ滑り込むことにする。
最後の滑りだからのんびり休んでいたいところだが、もう15時半。JRバスの最終は16時18分。すんなりいけば30分でお釣りが来るが、ルートを間違えたり何かあったりするとアウトだ。名残惜しいが出発することにする。大岳の大斜面につづき、ここもまっさらな斜面を気分良く滑る。なるべく右へ寄って、樹林帯間に雪面の開けたところでトラバースを開始する。しかし、ちょっと心配。今回はどこでも残雪の量が少なかったが、ここも例外ではない。あまり気持ち良く滑りすぎると下の方で雪が消えている恐れがある。
この心配は的中し、いつもなら問題なく滑れるところが、もう雪解けで笹が出ている。何度か登り返して残りわずかな雪面を縫うように進んだ。やっとのことで、小岳から猿倉へ下る沢筋へ抜け出す。この辺りに沢は何本かあるが、どれも最終的に合流して猿倉のバス停の下部で国道の下を流れる涸沢に流れ込んでいる(もちろん今は雪面下に埋もれているが)。さいわい小岳方面から下ってきたらしいシュプールがあったので、それを辿った。十分時間をとったつもりだったが、登り返しなどがあって、途中で16時を過ぎてしまい、けっこう焦った。木立の密なうるさい樹林帯をかいくぐって、やっとのことで涸沢の橋のところで国道へ飛び出す。バスの時刻の数分前にバス停にたどり着いた。時刻表を見ると、このあともう1本下りのバスがあって、慌てることもなかったのだが、まあ、よく頑張ったと自分らを褒めておくことにしよう。しかも、バスは20分近く遅れてきたのであった。
今日の行程はアラセブ(around seventy)?にはこたえるアルバイトであった。翌、最終日は、スキーは止めにして酸ヶ湯のバスで青森市内へ繰り出した。三内丸山の遺跡見物や青森県立美術館の散策で時間をつぶし、国道NTT近くの「鮨処はせ川」で一杯。青森駅前の老舗「一八」の職人長谷川君が独立して開いた店だ。
彼が独りで切り盛りしているので、ネタの数では一八にはかなわないが、よく吟味された粒ぞろいのネタに、それぞれ丁寧な仕事がしてあって、青森ならではの海産物を堪能できる。今回の八甲田春スキーの打上に相応しい大宴会となった。 本日は、これまで。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||