道草Web

うちのミミズ

朝の散歩を終わって、気が向いたときは周囲の道路を掃除する(ああ、ジジくさ)。家の玄関は私道に面していて向かいは病院のツツジを植え込んだ丈の低い塀だ。掃除をするときは、掃き寄せたゴミを自宅側にそのまま積んでおく。ゴミといっても枯れ枝や落ち葉だけだから不衛生なことはない。そうする目的は、この堆積が泥になり、そこに雑草を生やすことだ。町会の口の悪い仲間は、面倒くさいからだろうと揶揄するが、断固そうではない!と明言している。放置したままに次々と生えてくる雑草の遷移を見ているのが面白いからだ。枯れ葉はそのまま放置しても簡単に土に帰るわけではない。枯れ葉が堆積して層を成したままにすると、水分を含んで酸欠層ができる。まあ、ごく局所的スーパーアノキシアになるわけだ。この状態では植物の生育に適した環境とはいえない。そこで、ときどき天地返しをしてやる。早い話が堆肥の作り方と同じ。

先日、うちの塀の脇の、枯れ葉を貯めて泥にしようと試みている所を、ホウキで掃き上げたら、ミミズがうようよ出てきた。枯れ葉の山にミミズが出たということは、土壌化が成功していることを意味する。よくみると端のほうから葉っぱの形がなくなって、まあるい小さな球の様な泥の塊が沢山できている。じつは、これはミミズのウンチなのだ。ミミズは枯れ葉を餌として処理してくれて、ウンチとして泥を作ってくれる。カニは自分の甲羅に似せて穴を掘るとか。ミミズは自分の…のサイズに見合ったウンチをする。直径1〜2ミリの小さな塊だから、間に空気が一杯あって、いわゆる膨軟な土ができる。ミミズのこの働きを発見したのは誰だとおもう。

チャールズ・ダーウイン「ミミズの作用による肥沃土の形成およびミミズの習性の観察」1881年『The Formation of Vegetable Mould Through the Action of Worms, With Observations on Their Habits』 by Charles Darwin

これはダーウインの最後の著作らしい。実はこの話、いまは亡き博学の友人の受け売りで、この本を読んだわけではいが、はじめて聞いたときは、へえそうだったのかと驚きをもって受け止めた。もう30年以上前のことだが、その後、TVのクイズになったり、ミミズ栽培の詐欺商法が流行ったりしたので、いまでは驚くほどの話題でもなかろう。でもこうして自分の身の回りで実際にミミズ君の活動を見ると、ダーウインというひとはどんなささいなことでも子細に観察して、推察を積み上げ、なんらかの結論を導出 してしまうのだと、驚嘆する。これはもう、ほとんど性癖に近いものがあったようだ。

『ビーグル号航海記』は岩波文庫上下二冊を退屈しながらも読んだ。凡人にとっては、あの時代にあって、未知の経験の嵐とでもいうべきあのような多様な情報の奔流にさらされれば、あれよあれよといううちに時間は過ぎて、終わってみれば印象的な景観と出来事が脳裏に点々とシミのように残るだけだろうと思うのだが、彼はそこから進化論を頂点とするいくつかの理論を導いている。そのなかで、凡庸な頭脳にも、わずかに印象に残っているのが、珊瑚礁の成因を解析した個所だ(「第20章 キーリング島--さんご礁」。内容をよく覚えてもいない『ビーグル号航海記』を読んだといえるのは、この章がほとんど最後の方にあるからだが)。サンゴ虫という小さな虫の生態から徐々に視線をあげて、ついには島嶼(珊瑚礁)という地理学的なスケールの地物を構成する過程を推論してゆく。読んでいて大半は眠かったが、この推論の鮮やかさはいまでも忘れられない。彼は、それと同じ眼で、自宅の庭のミミズの活動を観たわけだね。同じ自宅のミミズを見たわたしは、まあ、こうした雑然とした想念が脳裏をかすめたと書きとめるだけなのだけど。

メモ: A・R・ウォレス

ダーウインより14年ほどあとに生まれた探検家(=動植物の標本収集家)にA・R・ウォレスがいる。彼は『ビーグル号航海記』に刺激されて探検に出たのだが、進化論のアイデアは彼の方が早く思いついたとか、あるいは、彼 がダーウィンに出した手紙の内容に刺激されて、それまで宗教的な理由で出し渋っていた進化論をダーウインがいそいで発表したとか、読んだことがある。その出版物とは、『マレー諸島』(宮田 彬訳  新思索社)だが、読み物としては絶対にこちらのほうが面白いよ。

現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system