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デジタルアンプの音

長年、修理を頼みながら使い続けてきたアンプがそろそろ限界に達した。CD一枚聴くにしても安定に動作するまで数時間余熱し、それでも機嫌の悪いときは鳴らない。新しいアンプを買うか、しつこく修理するか迷っていた。メーカーはとっくにサポートを停止しているが、愛好家を相手の修理屋さんはある。信頼できそうなところに打診してみたが、プリアンプとメインアンプをオーバーホールすると15万円程度は覚悟する必要がある。貧乏人にすんなり出せる額ではない。そんなときに、偶然、臨時収入があって、思いきって新しいアンプを買うことに決めた。落ち着いて考えれば他に実用的な使い道はいくらもあったのだが、タイミングがよすぎた。

 

それにアンプが買いたくなったもうひとつの動機は、例のタイヤ・バースト事故以来、自分の聴覚に自信がなくなったことにもある。日常生活に支障はないものの、あれから音の聞こえ方が変わったままだ。聴覚の周波数特性のどこかにディップがあるような感じがしてならないし、右耳の耳鳴りは明らかに大きくなっている。我が家の地デジのテレビセットの映像に不満はないが、オーディオがあまりにプアーな音なので、なにがまともな音か確認したくもあった。ま、これは自分への言い訳。

 

以前、福岡の吉田苑というオーディオ・ショップでスピーカーやCDプレーヤーを買ったことがある。もちろん通販で、店のサイトの発言や製品のコメントを読むと充分に信頼に足ると思ったのである。今回は吉田苑のサイトを漁って、「Nmode X-PM2F」という1ビットデジタルアンプを頼んだ。もとのアナログアンプは今思えば分不相応な品で、それに比べると相当安いが、デジタル技術の進歩に期待してということがある。それと、アナログとデジタルでは伝送原理が違うから、LPからCDへの変化ほどではないにしても、音にもそれなりの影響があるはずで、その実際を知りたかった。1ビット・デジタル方式のアンプは大手ではシャープが発売して定評があったが、すでに撤退している。Nmodeという製品シリーズは、シャープでデジタルアンプの設計に携わっていたオーディオ技術者が立ち上げた会社のものらしい。Nmode X-PM2Fはデジタルアンプのくせに入力はアナログしかない。DAC(デジタル→アナログ変換。PCのUSB端子や地デジの光端子・同軸端子のデジタル出力をアナログに変換する)部分は独立した製品になっていて、アンプよりむしろ高価である。どうせならPC音源と地デジもソースにしたいのでDACも要るが、こちら予算の制約で大幅に妥協してTEACのUD-H01とした。

 

最近は在庫さえあれば、発注すると翌日に届く。さすがに九州からだと中一日あって品物が届いた。さっそく、旧アンプにおさらばして(といっても、とても捨てる気にはならない。しばらくは室内装飾、あわよくば…………こりずに修理?)デジタルアンプに切り替えて試聴した。こういうときに目安にしているCDが何枚かある。まずカラヤンとウィーンフィルの「カルメン」。それと、マリ・クレール・アランのオルガンで「トッカータとフーガニ短調」。オーディオファイルには、こうした音源は古くさくて問題外だろうが、そのあたりの指向とは一線を画しておきたい。

上からCDプレイヤー、デジタルアンプ、下2台はアナログアンプ
DACCDプレイヤー、デジタルアンプ(下)

カルメンは序曲の冒頭のシンバルの立ち上がりがすんなり出るかどうか。曲の初っ端、無音状態から激しいシンバルの一打が鳴り響く。他人がいれば予告して聴かせないと心臓に悪いくらいインパクトがある。いままでのアンプでは、あきらかに立ち上がりで音がつまずく。まずこれをかけてみた。いままであんなに圧倒的だった音が、まるでレースのカーテンを素通しするように、さらりと鳴ってしまった。なんだかもの足りないくらい。ありゃりゃと拍子抜けしてしまったが、これはよくあること。性能の悪い装置ほど本来の信号以外の音が鳴る。つまり雑音の音圧のほうが本来の音より大きいのだ。その証拠には、いままで一発の衝撃であったシンバルの音が、細やかに打ち震えて微細に響く。分解能があきらかに違う。それに音源の定位と音場の広がり。きゅうに部屋が広くなったようにオペラの登場人物が部屋を歩き回っている。

カルメン、アラン、
グリューミオー、マントヴァーニ

アランのオルガンはアナログ録音時代に音のよさで鳴らした仏エラートの復刻版。このレコードのDレンジはすごい。いままでの装置では、音量を上げるとスピーカーが音圧に耐えられるか心配になるほどだった。これをデジタルでかけてみると、一聴して音の鮮度が違う。オルガンというのはときとして奇妙に肉声的な音を出すが、それがいやらしいほど生々しい。そして低音。オルガンの低音の管は長さがおそらく我が家の高さには収まらないはずだ。その低音が小さな黒いスピーカーのなかから朗朗と吹き出してきて、家が共鳴している。それでいて、音源が定かでないようなぼんやりした音場ではなく、しっかりと締まった手応えのある響きがする。

 

まあ、あれやこれやとっかえひっかえ聴いてみたが、分解能、Dレンジ、音場の定位といったものはデジタル圧勝であった。しかし、「秘するが花」。なんでもかんでもあからさまに見せればいいというものではない。高校生のころから好きだったマントヴァーニー(ウェルナー・ミュラー)の弦が妙に白々しく聞こえたり、グリューミオーのふっくらした音色が痩せて聞こえたり、マイナスの副作用も少なくない。まあ雑音の余録といっては味気ないが。まだ本人は納得していない部分はあるのだが、すぐに慣れるだろう。しかし、アナログアンプのよさはよさで、捨てがたいというのも実感である。

出典 小さなシネマ館より
いま見れば、このノーチラスはチョウザメがモデルか?

 アランのオルガンを聴きながら、ふと子供の頃に見た映画の「海底二万マイル」を思い出した。あのとき潜水艦ノーチラス(いまや原潜の名前にも使われている)の船長が、潜水艦の中でオルガンを弾く。それがトッカータとフーガニ短調だったような気がする。そのころ曲名は知らないから、気がするだけだが。謎めいた船長がジェイムス・メイスンだった。確認のため検索してみると、1954年製作の映画だ。となるとわたし、9歳?。映画は小学校のころから母にせがんでよく連れて行ってもらった。少し早すぎるような気もするが、多分間違いない。最新のデジタル再生技術から、とんだ大昔へさかのぼってしまった。

いやいや、歳じゃ歳じゃ。

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