道草Web

社会人になって職場で知り合い、以来、山にスキーに、そしてもちろん飲み喰いに、長いつきあいを続けてきた友人が他界した。友人といっても昭和元年生まれだから、ぼくより大分年長で兄貴というよりはオヤジに近い存在だった。

強烈な個性で周囲を巻き込むタイプの人で、当初は避けていたほどだった。しかし、彼が長年山を歩いているときいて、ちょうどこちらは登山に興味をもちはじめていた時期だったので、尾瀬に同行させてもらうことにした。そのとき彼の馴染みの山小屋で過ごした数日は、いま思い出してもとてつもなく新鮮で楽しいものだった。オヤジとさほど歳の違わない人が、これほど自在に日本語を操れることに感嘆したものだ。彼の豊富な経験と巧みな話術がまだ社会人なりたてのぼくの気持ちをガッチリ掴んでしまった。それに、人と人とを紹介してその成りゆきを楽しむようなクセがあって、現在のぼくの交友関係には彼の引き合わせによるものが少なくない。

以来、40年を越えるつきあいだったわけだが、あの大震災の直後に、脳梗塞で倒れ、その予後に、今度は末期の肺癌が見つかり、またたくまに鬼籍に入ってしまった。

彼はオーディオ関係の仕事にしていたので、雑誌の記事用に製作した真空管アンプのお下がりが我が家にある。最近はほとんど使っていなかった。人間の繋がりは例え相手がいなくなっても、即座に断ち切れるものではない。物質同様に精神にも惰性みたいなものがあるのだろう。久しぶりに彼の思い出のある真空管アンプを聴いてみたくて荷物の奥から引っ張り出して配線してみた。

今は亡き友人が設計・製作した真空管アンプ

普段、音楽を聴くときに使っているスピーカーを鳴らすには力不足だから、これもホコリを被っていた紙筒スピーカーを使うことにした。糸井某氏が自分のページで持ち上げていっとき流行ったやつである。用途を限れば素直な音が出るし、紙の質感を生かした作りが心憎い(設計はSonyの元デザイナーとか)。以前はテレビの音声に使っていたが、地デジのテレビにはスピーカー端子がないのでしまい込んであった。

一時流行った紙筒スピーカー

PCのオーディオ・ファイルを音源にしてDACを通してアンプに喰わせ、真空管アンプで紙筒スピーカーをドライブする算段である。長くほったらかしであったが、アンプの電源を入れると、真空管がポッと赤くなって無事に音が出た。しばらくこれで、何となく彼との繋がりが保てているような雰囲気である。

真空管をファンで冷却
ファンの電源は同じPCの12Vを引き出して利用

真空管アンプの音をよく“温かな”などというが、真空管が熱いだけで音質には関係なかろう。少々雑音が乗ってぼやけた音をそう表現できなくもないとは思うが。音に回顧趣味はないが、真空管アンプのもつ雰囲気はなかなか捨てがたい。われわれの年代は、真空管やトランスが立ち並び、フィラメントがポッと点っている風情は、それこそ“温かい”気持ちがわき上がってきて、友を偲ぶに相応しい。

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