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両国江戸博の『大江戸八百八町展』を覗いてきた(丁度、同日の朝日の夕刊に高階秀爾がコメントをよせていた)。江戸開都以来、幕末にいたるまでの盛衰を多角的な資料により展示している。  

平日の午後だし、それほど人の集まるテーマとも思えなかったが、予想外の混雑だった。その理由は、会場をしばらくまわって合点がいった。この展覧会は、展示品を見るより、解説文を読むほうに意味があるのだ。展示物 もみごたえがあるのだが、それより文書資料の類が多く、その中身が面白い。江戸時代の資料とはいえ、達筆の墨痕を判読する能力は当方持ち合わせないが、添えられた解説文で 内容は理解できる。この解説が普通の展覧会よりはるかに多く、しかも中身が濃い。だから、立ち止まる時間が長くなり、滞留するのだ。おそらくこの博物館の学芸員や、さまざまな分野の研究者たちの最近の成果がたっぷり盛り込まれているのだろう。 気軽にでかけたが、膨大な展示であって、そう簡単に消化しきれる情報量ではなかった。いくつか印象に残ったことを書いてみよう。

目玉は、『熈代勝覧(きだいしょうらん)』という、無名の画家(達?)による長大な巻物だ。江戸の日本橋界隈(今の三越のあたり)の街角の模様が克明に描写されている。路上や店舗内に細密に描き込まれた人物が生き生きしていて、物売りの呼び声が聞こえてきそうだ。見ていてなぜか心がなごむ。

単に、歴史的な視点からの資料だけでなく、長谷川平蔵の業績、遠山金四郎の出自や痔を理由とした(馬でなく)籠での登城願い、大岡越前守の禄高上昇の軌跡(2000石程度から出発し、最終的には1万石の大名へ)など、身近な話題にしやすい展示もある。 あの時代、江戸は世界最大の都市であり、その初期で人口100万人、中期以降は250万を超えていたという。それだけの人口が一都市へ集中するためには、政治、行政、経済、都市基盤などが相当整備されていなければならない。そのすべての面で、実に細密なデータ、つまり、帳簿が残っているのである。ある大店の帳簿などは、厚さで60センチくらいあるだろうか、その各葉に細い毛筆でこまごまと記帳されている。

この国のひとびとは、様々な面で組織的な構成力をもっていた。だから、江戸という世界規模の大都市の出現が可能だったのだろう。しかし、弊害もあった。例えば、火の見櫓のエピソードだ。江戸時代には、武家と町民で、それぞれ独自の消防組織(武家は定火消し、町方は町火消し)をもっていた。町火消し は、例の、い組、め組というやつで、いくつかの町のグループごとに組織化されていたのは周知だろう。ここで驚くべきは、火の見櫓の役割だ。現代なら当然、最初に火事を発見した櫓が半鐘を鳴らすと思いきや、例え最初の発見者でも、町火消しの櫓は、定火消しの櫓より先に鐘を鳴らすことは禁じられていたという。もちろん、士農工商の身分制度を維持するための仕組みといってしまえば、そうだろうが、本質的な 機能より、面子が重んじられたということだ。

江戸をひとつの有機的なシステムの消長としてみれば、混沌とした活気が生き物のように働いて、世界最大の都市を作り上げ、それを維持するための組織化の努力が見事に成功するが、それと並行して、硬直化や腐敗が始まり、その果てに、幕末の外圧による外科手術へと至る、ということなのだろう。 これは、なんだがいまの金融業界をめぐる騒動に似ている。調和を維持するための巧妙な仲良しクラブのシステムが、逆に足かせとなって内部の腐敗と競争力の低下を招き、自分たちだけではどうにもならなくなって、外圧頼み の外科手術にたよらざるをえなくなった。 いまの日本は、国力の好不調の波の、不調の底にいることは間違いないだろう。しかし、歴史的に見て、波の底はごく浅い。いくら景気がわるくても、それで自殺者はでても(これは大半心理的なもの)、餓死者がでる(これは生存条件の不備)ことはないのだ。

おもえば、日本のような小国が、世界で第二位の経済大国などというのが、おかしい。客観的に見てこの国の組織的な能力(とくに工業生産のそれ)は優れているとおもう。それは、この展覧会に示された、世界に突出した江戸の繁栄によって実証されている。 しかし、戦後からバブルへといたる勤労者の姿勢は、あまりに盲目的であった。個人生活の充実を犠牲にしつつ、犠牲にしたとも思わなかった。その果ての、経済繁栄だったのだ。そんなに背伸びをしなくてもいい。アジアの大国など、中国にまかせておけばいいのだ。日本の社会は、頑張りすぎて、手を広げすぎてしまったつけを、いま償っている ように、ぼくには見える。もっと地道でまっとうな国の姿へ回帰する(願望!)ための苦しみのなかにいまいる。

大江戸の世界規模の繁栄、明治維新の急速な西欧化、戦後の目覚ましい経済復興、どれをとっても、歴史的に見ればほんの短いスパンで、社会的な目標を達成する能力が日本にはある(例え、きっかけが外的であったとしても)ことを示している。展覧会の印象から、すこし風呂敷が広がりすぎたが、この国はいま、いたずらに自信をなくしすぎているような気がしてしかたがない。


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