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『百名山の人 深田久弥伝』 田澤拓也 著

KNさんに頂戴したおかげで、久しぶりに本を読んだ。

恥ずかしながら深田久弥が小説家だったとは知らなかった。もちろん『日本百名山』は読んでいるので、山屋にしてはずいぶん文章が旨いなあ、くらいに思っていた。

前半はやや抵抗があった。なにせ、女房に小説を書かせて、自分の名前で出していたなんて、そんなうじゃうじゃした男の話を読むのも鬱陶しいなあと。しかし、あの頃の山登りや、文学者仲間の交際がいろいろわかって面白い。あの赫奕たる小林秀雄と、かくも親しい仲であったのか。あの中島敦を世に出したのが、このひとだったのかと。山月記や李陵の、漢文調の流麗な文体が原稿用紙が真っ黒になるほど推敲に推敲を重ねた結果だったとは。半ば週刊誌的な興味で読み続けた。

救われるのは、この男、言い訳をしない。相当な誹謗中傷(ではなく真相の指摘か?)があったが、一切説明しない。少なくも、この田澤という著者の取材範囲ではね(何かの目的で文章を書いた経験があると、すぐに勘ぐってしまうが、意図的にある面を強調したか、あるいは、別の面を無視したか)。

そして、自分の意見が時代に流されない。さらに、自分の嗜好に極めて忠実。要するに、わがまま、といえば、確かにそうだ。が、それだけではない魅力がある。読み進むうちに、だんだん惹かれてくる。まあ、こん な人間がたまには居てもいいのではないか。ただし、二番目の聡明な奥さんがいないと、鬱屈した人生で終わったのではないかとも思うが。

多少異論もある。帯の説明にあったように、“山を歩きまわらずにはいられなかった背後にある日常生活はどうだったのか”という問いは、見当違いな気がする 。境遇が幸せだろうが、不幸だろうが、家庭が居心地がよかろが、火宅だろうが、このひとは山へでかけたろう。それは深田久弥自身の文章(p-15)に引用されている高村光太郎の歌に言い尽くされている。それにしても、この歌はいいね“みしみし歩き、水飲んでくる”だって(最近の我らは、Znさんは別として、“よたよた歩き。酒飲んでくる”かな)。マロリーの“山がそこにあるからだ”はカッコいいけど、こっちのほうが、山好きにはじわーっと気持ちに浸みてくる。もっとも、これで片づけては本が一冊できないけどね。

というわけで、結構楽しく読ませてもらいました。KNさんに感謝。


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