道草Web

鳩ヶ谷パソコン研究会」の会員ホームページ「人生は、楽しくチャレンジ」でイチリンソウの自生地の記事を読み、出かけてみた (例によってこのWeb ページに写真はないので、映像はぜひこのHPをご覧ください)。そこで紹介されているコースを参考にしながら周辺の寺社・史跡を回った。昼食後に家を出て、まず峰ヶ岡八幡を目指す。通称峰八幡は、源経基の建立だそうだ。経基は、AC900年ころの武蔵介、つまり武蔵の国の副知事といったところで、平将門や藤原純友の平定に参加した武将。広々として境内、正殿右脇の樹齢600年のイチョウは風格がある。

次は、峰八幡から峰八幡通り沿いにほど遠くないところにある密蔵院。ここは花盛りのときに「ハナモクレンと安行桜」でレポートした。安行桜は、はや新緑である。密蔵院の墓園を北側から迂回して赤堀用水沿いの道へ出る。じきに「一輪草自生地入り口」の看板があり幟も多数立っているのですぐにわかる。赤堀用水を渡って細い道を入るといやでも自生地に突き当たる。あとでわかったが、自生地は崖線の北東斜面に添って3つのブロックに別れている。入口から入ったところが、ちょうど安行中学の崖下にあたる最初のブロックである。その斜面林のなかの開けた草地にお目当てのイチリンソウが咲いていた。

山歩きをするので、ニリンソウ、アズマイチゲ、ヒメイチゲなど同じ仲間(アネモネ属)は見慣れているが、イチリンソウは あまり見ていない。それらと比べるとだいぶ大輪の印象(少しオーバーだが)。標識によると学名がAnemone nikoensis Maximだから基準標本が日光で採集されマキシモビッチ(明治以前の1860年に来日したロシアの植物学者)が命名しアネモネの仲間ということだ。イチリンソウは別名ウラベニイチゲともいう。裏紅一華である。その名のとおり、花弁の裏側に紫がかった赤みがさしている。案内の男性の話を立ち聞きしたが、今年はとくに裏の紫色が濃いという。

そのほかにも、ホウチャクソウ(清楚だが毒草)の群落やジロボウエンコグサ、ムラサキケマン、ヤブジラミ、イカリソウ、シュンラン、ニリンソウ、フタリシズカ(蕾)、ウラシマソウ、シャガ、ツボスミレ、タチツボスミレなどが咲いていた。

斜面からの湧水があり、流れたさきが池になっているが、なぜか流れの中にミズバショウが生えていた。自生するわけがないので、どこかから移植したものだろう。あま、愛嬌か。

斜面の下の小径にそって次のブロックを訪ねる。途中に、「蛍のせせらぎ」という湧水があって、ここで蛍を育成しているという。次のブロックが、この自生地の白眉である。さきほどのブロックより緩やかな、そしてさらに広い斜面にイチリンソウの群落が展開している。これほどの群落はそうはないだろう。 しかも、まさに満開。“散りもせず、咲きも残らぬ”の状態である。係りの方に話しをきくと、自生が発見されたのが11年ほど前。放置され荒れ果てていた林を手入れし、枯れ枝や枯れ葉を取り除いて徐々に株数が増えていったという。さまざまな山で高山植物の御花畑には馴染んでいる目から見ても、なかなか見応えのある群落である。このブロックの先には、何種類かのユリの苗を数百株植えたブロックがあるといたので、いってみたがまだ花期には早く、その辺りにはイチリンソウもなかった。

このあと、金剛寺(お灸で有名)を訪ね、赤山城址まで足を延ばした。いずれも初見参。曹洞宗の金剛寺は、広大な寺域をもち茅葺きのかわいい三門のある好ましいお寺であった。 三門の脇に手入れのよい伽羅(イチイ)の古木がある。安行の植木産業の祖である吉田権之丞の墓がある。高い寺格の寺だったというが、現在は、お灸で知られている。

赤山城址(関東郡代伊奈氏陣屋跡)は、何度か行こうと思っていつも途中で諦めていたのだが、今回は訪問することができた。空堀の遺構が主体だが、陣屋の跡も わずかに出土している。空堀を回って公園のように整備されていた。陣屋を囲む壕は総延長3キロに及ぶとあり、その壕は自然の湿地帯を利用したもので、さらに土塁を築くことで標高差10メートル 以上を確保したらしい。通常は空堀だが、有事には水を流し込むこともできたらしい。

最後に、いまや城址を分断する外郭環状線をくぐって西福寺とその三重の塔(木造建築では関東平野一の高さとあった)を訪ね、今回のツアーの終わりとした。 帰宅したのは5時を回っていた。


現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system