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昨日(4/23)、鳩ヶ谷市民ホールで木乃下真市(木下伸市)のコンサートがあったので、仲間を誘って出かけた。

収容 120人程度のホールだから、舞台が間近である。木乃下真市の演奏をこうした親密な空間であじわえるのは、めったにないのではないか。彼自身、これほど客を間近に見るホールではあまりやったことがないと言っていたが、彼の誠実な人柄がいかにも似つかわしい場に思えた。

演奏会は彼の三味線に、生い立ちや雑談風のおしゃべりをまじえて進行する。ソロコンサートのはずだったが、付き人で来ていた真市の奥さんが飛び入りで弾いた。彼女も10才のころから弾いていて、津軽の全国大会で優勝、準優勝の経験があるという。若くてはつらつとした容姿だが、強烈なパワーでジョンガラ新旧節を弾ききっ た。会場はやんやと盛り上がった。“わたしより受けているじゃないですか”と、真市が苦笑い。とはいえ、三味線演奏の表現の深さに格段の差があることは、素人にもわかる。 飛び入りついでに、この公演をサポートしている津軽三味線の会の、これも若い女性が謡ったが、これはまあご愛嬌。マイクが飽和してしまい 、声の伸びを出し切れないのが気の毒だった。

おしゃべりもなかなか面白かった。津軽三味線のバチ捌きの特徴として、駒寄りで弾くか棹寄りで弾くかによってアクセントを付けるという。 バチが駒に寄るほど音が強く切迫する。なるほど、そういわれてから観るとバチの前後の動きが津軽三味線独特のうねるような雰囲気をかもし出すことがわかる。津軽三味線に対して秋田三味線というのもあるそうで、秋田荷方節が演奏された。バチをつねに棹寄りで回転させるように弾くことで秋田節のコロコロと流れるような繊細な風情が生まれる。

こんな話もあった。津軽三味線の奏法には、叩き三味線と弾き三味線があるという。あるところで、木田林松栄が“津軽三味線は叩くもんだ”と言ったのに対し、高橋竹山が“津軽三味線は弾くもんだ”と応じたというのが、名称のいわれだそうだ 。その対話を真市が物まねで再現して笑わせた。 松栄というひとは知らないが、竹山はよく知っているから、あの風貌が彷彿する。ま、田中角栄にも似ていたが。真市の言葉に寄れば、彼は叩きの系統なのだそうだが、こちらには両刀遣いに聞こえる。

自作の「灼熱」は、津軽三味線の風土のなかに西欧音楽のイデオムが顔を覗かせる。彼は自分のホームページで「僕には洋楽も邦楽も関係ない。ジャンルもいらない。ただただパッションを感じたい。」と書いている。表現者として、こういう曲を作る気持はわかるが、無責任な鑑賞者の意見をいわせてもらうとあまり好みではない。十三の砂山のしっとりした曲趣もすてがたいが、圧巻はアンコールの津軽三下りだった。彼自身、好きな曲だといっていたが、柔らかな トレモロ(「かき回し」といのだそうです。あとでTVで知りました)から衝撃的な叩きまで、津軽三味線のあらゆる技巧を要求するような曲だ。彼の演奏には、熱狂的な情感の嵐の背後にも、つねに冷静な抑制を感じる。 それが好ましい。

とにかく、こうした質の高い演奏を、近所のちっぽけなホールで、しかも手頃な値段であじわえることは幸せだ。演奏が終わって、いっしょにいった仲間と一杯やりながら、演奏の余韻にひたったのは言うまでもない。


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