道草Web

梅雨の百花園もよかろうと向島へ行ったときに、ついでに白髭神社に参った。その鳥居に、植物で編んだ大きな輪が括り付けてあり、鳥居を潜ると、自然にその輪を潜るようになっていた。その傍の説明で、これが茅の輪 (ちのわ)であり、この輪をくぐることで、“夏の祓え”ができるということを、はじめて知ったのだった。さらに、境内の看板に厄年の表があり、60歳(数えで61歳)は大厄とあった。へえ、還暦は同時に大厄なのかと、これも始めての知見だった。あとで調べると厄年というのはやたらにあって、本厄が3回もある。そのうち20代と40代の本厄は、意識もせずに過ぎたが、まだ残っていたんだの思いがした(いまさら何をいっていると、笑われるかもしれないが、そのあたりとんと疎い)。

そのときは、それで終わったが、その後、続々と厄年現象が起きた。

まず、糠味噌を腐らせてしまった。今年は、30年来使ってきた樽のタガが朽ちてしまったので、餅つきで開けた酒樽を糠味噌に転用した。多少手抜きしたせいもあったが、だんだん臭いが悪くなって、ついに諦めざるをえなくなって、仕込み直した。糠味噌を腐らせたのは二回目だ。

つぎに、ラッキョがふやけてしまった。例年、砂付きのまま2週間ほど荒漬けにして、それから形を整えて本漬けにするのだが、荒漬けの段階でクラゲのようになってしまった。梅雨の晴れ間に、少し気温が高めに推移したことがあった。荒漬けの頃は、その時期と一致する。ラッキョの暑気中りか。ラッキョの失敗ははじめてだ。10キロのラッキョをダメにすると、あとの始末も大変だし、悔しくてなかなか棄てる気にならない。しかも、今年はラッキョが高くていつもの倍もした んだ。

さらに、日除けに毎年植えるニガウリがうどん粉病になってしまった。ニガウリは丈夫な植物で、例年だと、苗の頃、虫にやられないように注意すると、あとは勝手にすくすくと育って、食べきれないほどの実を着ける。それが、今年の長梅雨で、日照不足のわりには成長したが、うどん粉病に罹ってしまった。日がカッと差せば直るだろうと高を括っていたら、あっというまに全体に広がってしまった。ニガウリの病気もはじめて。

そういえば、茅の輪は何回か潜る作法があるのに、通過しただけだったと思い出しつつ、ついに決心して表でラッキョの始末をしていたら、病院の庭師のオジイサンが通りかかった。顔を会わせれば一言二言話すのがつねである。どうも今年は付いていない、ラッキョはダメにするは、糠味噌は腐らせるは、ニガウリは病気になるは………還暦で大厄だからかなあ、といったら、オジイサンは、俺よりも20年以上若いのかとケラケラ笑った。これには驚いた、とてもそんな歳には見えない。庭師をしているのだから身体は動くし、いつも快活で話は機知に富んでいる。このひとを見ていると、「鼓腹撃壌して曰く。日出て作し、日暮れて休む。井を穿ちて飲み、田を耕して喰らう。帝力何ぞ我において有らんや」という堯帝の逸話の老人を思い出してしまう(高校の漢文で習ったよね)。この話自体は皇帝の行政のあり方を論じているのだが、それより市井の老人の生活が彷彿として好ましい。60歳というのは、なにかと鬱陶しいこともあるが、庭師のオジイサンを見ていると、ま、いっかと思うのだった。

…………などと仲間内の掲示に書いていたら、午後になって、メインのTake2パソコンが起動できなくなる。RAIDがらみだとは思ったが、最初からデータを壊したくなかったので、故障原因の特定を試みる。 あれこれ思い当たる原因を潰していって、最終的には、Take2を分解し、たまたま予備のあったマザーボードも交換した。結局、最悪の事態だった。つまり、先月 、念のためにと新品に交換したばかりのRAIDのハードディスクの一台がいかれていた。 故障対策に先手を打ったつもりが、その手が逆に故障を招いてしまった。データはすべておシャカである。システムもデータもバックアップしてあるから復旧はできるが、考えるだけでしんどい作業だ。

やはり還暦は厄年である。


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