つれづれ
いまの時代、調べものは誰がやってもインターネットで同じことでしょうが、面白そうなので調べてみました。
黄色については、キバナノアツモリソウがありますが、これはくどい斑紋があってあまり好きにはなれません。
http://riken.web.infoseek.co.jp/2005/kibananoatumorisou.htm
それと、突然変異でアツモリソウが白になることがあるそうです。
http://www.fujigoko.tv/plant/phpt/kind/atumori/
名前については、手元の書籍では『牧野 新日本植物圖鑑』にクマガイソウに“熊谷直実の背負った母衣(ホロ)にたとえた”の記載があり、アツモリソウでは“熊谷草に対立させた”とあります。以降の図鑑は、おおむねこの受け売りと思われ、インターネットの解説も同断でしょう。
そこでもう少し遡ってみました。日本最古の植物図鑑といわれる岩崎灌園『本草図譜』が東大のデジタルミュジアムでPDF化されています。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm3/Database/honzo.html
これをチェックしたところ、第4冊のbQ6に“獨脚仙”(ホテイサウ クマカヘサウ)の記載があり、拡大図を見ると今でいうクマガイソウでした。説明には道灌山から早稲田辺りの竹林に生えているとあります。
また中村学園大学というところの図書館で、貝原益軒の『大和本草』をPDF化しています。そのなかに「大和本草諸品図上」21ページには“敦盛”の項がありますが、図をみるとこれはクマガイソウです。
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/yama/pdf/y19.pdf
年代的には、貝原益軒(1630- 1714)、岩崎灌園(1786- 1842)ですから、大和本草のほうが大分古い文献になります。
推察
両種ともに生育地は昔の里山ですし、開花時期もずれながらも重なっているので、前後して見かける可能性は大だった。江戸時代には、平家物語は庶民にも知悉されていたので、袋形の唇弁→母衣の連想はごく自然。そこへ歌舞伎や文楽で人気の敦盛や熊谷の名前が使われることは想像しやすい。多分、そのころ、一般には厳密に両者を区別する意識も必要もなかった。明治以降の西欧の影響を受けた分類学の成立期に、形姿の対比を反映して標準和名が記載された。
以上、日曜の午後のひまつぶしでした。
なおアツモリソウだったかクマガイソウだったか今となっては定かではありませんが、丹沢の沢で一度だけ見た記憶があります。 いつかみんなで散策した見沼田んぼの周辺にもクマガイソウの群生地があります。