道草Web

夏目漱石の『草枕』を読んだ。笑われるかも知れないが、はじめてだ。グレン・グールドの著作について書評を読んでいるうちに、読みたくなった。その経緯。

松岡正剛という知的バケモノがいる。この男、「千夜千冊」という自分のWebページに膨大な量の書評を書いている。名前から分かるように千冊、いやすでにそれを越える書物(全集を含む)についての書評をそのページに載せているのだ。ずいぶん前に、五木寛之といっしょのTVの座談番組ではじめて彼を意識した。やたらに守備範囲が広い。その当時は、まだいまほどインターネットが普及していないころだったので、そのまま忘れていた。その後、あれよあれよといううちにWebが普及して、本屋で背表紙を読むより、Webをあれこれ歩き回るほうが多くなった。そんなとき、彼の「千夜千冊」のサイトを見つけた。最初のころは、まださほどの冊数ではなく、どこまで続くか、まあお手並み拝見だった。その後も、ときどき覗いてみる程度だったが、最近では、シェーラザードを優に越して千数百冊の書評が載っている。新聞の書評と違って制限はないから、文字数も自由自在。あきれるほど長い書評もある。膨大な量である。

とはいっても、ザッと見て“ワォ、スゲー書いたなあ”と驚くだけで、あまり中身を読んだことはなかった。本のように、金を出して買ったわけでもなし、Webでよくあることだ。先日、ひまにあかせて「千夜千冊」を覗いたときに、グレン・グールドの書評が目に入った。強烈な個性のピアニストだが、1982年に50歳の若さで亡くなっている。グールドの日常の変人ぶりは有名だが、演奏家としても相当な変人で、数々の伝説を残している。ぼくは、彼のバッハの演奏が好きで、仕事のBGMでよく流している。このグールド、ピアノを演奏するだけでなく、発言者なのだ。結構な量の本を書き、TVドキュメントを制作したりしている。

例によって、ちらちら落ち着きなく本文を流していると次のフレーズにぶち当たった。

さきほど久々にブラームスの『インテルメッツォ』を聴いた。ここは西麻布の外れた一郭の、木立の中の部屋。すっかり暮れなずんだ都心の空気の中を、朝からの五月雨が降りしきっていて、庭の木々の葉脈に沿って次から次へと流れ落ちている。

くそくそ、こんな気障なことをシャーシャーと書きやがってと、すらすら流せなくなってしまった。先を読んでみる。彼のこの曲に対する印象とぼくのとは大分違う。グールドのこの『インテルメッツォ』は、ぼくにはたまんないのだ。ブラームスという作曲家の気質がこってり濃縮された曲のような気がする。鬱々たる思いを抑えにおさえて、ゆっくりしたテンポで、込めた思いで指先が燃えるような感触で、グールドは鍵盤を弾いている、とすくなくともぼくは思っている。ま、この話はここまで。

で、ついに最後まで読んでしまったのだが、その終わりの部分に、大きな陥穽があった。『「草枕」変奏曲』という本からの引用であるとことわって、グールドが夏目漱石の『草枕』(もちろん英訳)を座右において耽読していたという。ことの意外さに、またその先の引っかかりができてしまった。

だって、漱石なんて、中学に入ったときにお袋が読めといって買ってくれた『吾輩は猫である』くらいしか知らない。もちろん、教科書では部分的に読んでいるだろうが、記憶にない。小学校のころは本の虫で、いつも寝ころんで本を読んでいたので、右と左の視力が違ってしまったくらいだったが、あるときから、ふっつり興味を失って、文字を追うのが苦痛になった。新聞すらまともに読めなかった。

書物に再会したのは、大学の、それももう卒論を書くころになってからだった。あるひとの影響で、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を読んだのがきっかけだった。巻頭にある“しばしまえ、昼に先立つ曙のころ、汝が魂、いまだ身内に眠りいしとき”というダンテの神曲の一節(あとで調べたが、煉獄編の第九曲にある)がいまでも頭にこびりついている。書物に再開眼してからは、洋物の長尺ものを次からつぎへと読み漁った。デュ・ガール、トルストイ、ドストエフスキー、ショロホフ、ジョイス、プルースト、そしてムシル。ムシルの『特性のない男』で挫折して長編熱が醒めた。今思えば西洋かぶれで、日本文学の古典文学をまったく読んでいない。ようするに漱石、鴎外、龍之介などは埒外だった。

長い道草だったが、やっとグールドに戻って、彼と『草枕』の意外性に、むらむらと興味がわいてしまった。こないだは、還暦をすぎたジジイが、リービ英雄にそそのかされて万葉集(の断片)を読んだのだが、また同じような羽目になってしまった。いまさらなにを、とはいうまい、読みたくなったのだから、いたしかたなし。いまでは便利なもので、著作権の切れた作家の主な作品はWeb上で電子書籍化されている。青空文庫という。漱石も鴎外も龍之介も、むろんだ。『草枕』もあった。電子書籍にはいくつかの書式があって、対応する閲覧ソフト(ブラウザ)によって大分読み心地が違う。まあまあのものを探すのに少し手間取ったが、なんとか読みやすいものも見つかった。ただ、古い字体が多いので完全に表示できるものは限られるようだ。

さて本題の『草枕』にはいろう。

主人公は画工だ。画工はもちろん芸術家であるが、芸術家に対する漱石の考えは比較的単純明快だ。小説の冒頭で、こう定義している。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

現在では、あまりにシンプルな定義にすぎるだろうが、とにかく、これが草枕を創作する漱石の立脚点であることは間違いない。

主人公の画工は、俳句や漢詩をよくし、古今東西の文芸、美術に通じている。絵が描けないときは、俳句を捻り、漢詩を賦す。まあ、これは漱石自身の分身だろう。この主人公が旅に出でる。旅の目的は、人情の世界に飽き飽きして、“非人情”の世界に身を置くことだ。非人情というと、いまどき、ハードボイルドかと早とちりしてしまうが、そうではない。べたべたした人情のしがらみを脱却した世界ということらしい。その例として、次の引用にあるように、陶淵明(採菊東籬下…)と王維(独坐幽篁裏…)の詩を挙げ、反例として西欧の詩や、日本の金色夜叉、不如帰を挙げている。ということは、この『草枕』という小説が非人情の世界を描いたものになると、宣言していることにひとしい。

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山(きくをとるとうりのもと /ゆうぜんとしてなんざんをみる)。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照(ひとりゆうこうのうちにざし /きんをだんじてまたちょうしょうす/しんりんひとしらず/めいげつきたりてあいてらす)。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。

粗筋は、主人公が旅先で長逗留した温泉宿に、那美という美しい出戻り娘?がいて、その女性と主人公の心理のやり取りを軸に話が展開する。だが非人情の世界であるから、決して惚れたはれたとはならない。ちょっとミステリー仕立てあり、ちょっと艶っぽい情景ありのエンタメ小説といえばいいか。そんな気分が横溢している。画工としての彼は、ミレーの『オフィーリア』がとても気になっている。この絵は、ぼくも最初に雑誌か何かで見たときは驚いた。強烈な印象が残っている (美女とはいえ土左衛門の川流れが画題になるなんて)。ことの成り行きとして、この那美をオフィーリアに擬して、自分がミレーの絵に抱く違和感を払拭した絵を描きたいのだが、那美には絵に描くべきなにかが足りない。那美は美しく利発だが、表向きは情が強い。いろいろな状況で、さまざまな構図を練るのだが、なかなか描けない。

この小説の最後は、その彼女が、落ちぶれた元亭が満州へ落ちてゆくところを、停車場で偶然に見かけ(渡航の金は那美がこっそり渡している)、那美の心底が浮上する刹那である。

茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。

「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

この「憐れ」が、欠けていた画竜の点睛であることを書いて、小説は終わる。つまり、非人情の小説の完結。あとは、読者がどう判断するかが残される。

ただ、時代が違うというのか、こっちに素養がないというのか、エンタメといっても、そうすらすら読めるものではない。とくに山場の描写は一筋縄ではいかない。那美さんの入浴シーンの描写は、こんな具合だ。

頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。

あまり古典(漱石、鴎外はもう古典だよね)を読み慣れていないものには、難解というより難読で、すらすら情景が頭に浮かばない。かとおもうと、突如、歌舞伎や文楽のクドキのような文体に崩れ落ちるところもある。が、筋の運びの行間は、細密な情景描写で埋め立てられた教養小説であり、文芸評論であり、美術評論でもあり、文明評論ですらある。つぎに、その面を覗いてみる。

漱石が英国留学で、西欧に対して鬱屈した思いを抱いたというのは、周知である。たかが菓子だが、こんな風に書いている。

…………菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。

しかし、日本の旧弊に対しても容赦ない。

茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如として、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣な規則のうちに雅味があるなら、麻布の聯隊のなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休以後の規則を鵜呑みにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。

雪舟、蕪村もあっさり片づける。

…………ある点までこの流派に指を染め得たるものを挙ぐれば、文与可の竹である。雲谷門下の山水である。下って大雅堂の景色である。蕪村の人物である。泰西の画家に至っては、多く眼を具象世界に馳せて、神往の気韻に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外の神韻を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。

惜しい事に雪舟、蕪村らの力めて描出した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。  

運慶も北斎もかたなし。

…………希臘の彫刻の理想は、端粛の二字に帰するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬところに余韻が縹緲と存するから含蓄の趣を百世の後に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁には、泥帯水(たでいたいすい)の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。この故に動と名のつくものは必ず卑しい。運慶の仁王も、北斎の漫画も全くこの動の一字で失敗している。

西も東もご同様。

…………印度の更紗とか、ペルシャの壁掛とか号するものが、ちょっと間が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊とい。日本は巾着切りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細かくて、そうしてどこまでも娑婆気がとれない。

こうした正論、卓見、独断、偏見が、いたるところにちりばめられているから、それだけ読んでいても面白い。なんだか草枕の拾い読みみたいになってしまったが、なにごともカット&ペーストでできてしまうので、ついついこんなことになってしまう。これが手書きなら、とてもできない。

小説『草枕』は、日本と西欧の芸術を比較評論していると同時に、芸術の一ジャンルである小説において、洋の東西の、いずれの通弊からも独立した新しい様式を提示することにあった、とぼくは考えた。漱石が冒頭で断ったように、読者が草枕を読んで心豊かになれればいいのだけれどね。

結構、面白かったけど、結局、グールドは草枕の何にそんなに引かれたのか。

次は『「草枕」変奏曲』…………?


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