道草Web

 リービ英雄という作家をご存じだろうか。アメリカ人だが日本で暮らし日本語で執筆する作家だ。最近、外国人で、日本語で書く作家や詩人が出てきたが、彼はそのはしりである。略歴をここで書いてもしかたがないので、興味があればWebを見てもらいたい。大分、以前だが彼が朝日新聞でエッセイを書いていた(いまも毎月、論評を書いている)。それを読んで文体に惹かれてその名前を覚えた。センテンスが長く、一つの文の中で単語同士が響きあって音楽の和音のような印象を与えるといったらいいだろうか。

そのリービ英雄が岩波新書で『英語でよむ万葉集』を出した。えらく評判がいい。万葉集なんて古文の授業で聞き流して以来あまり興味はなかったが、彼の著作だというので買ってみた。これには背景があり、すでに彼は日本文学の研究者として万葉集の英訳を出版してアメリカで高い評価を得ている。その流れからいえば、当然の本なのだ。初版が翌月に増刷しているのだからよほど売れているのだろう。

『英語でよむ万葉集』の構成はシンプルだ。4ページで一つの歌を取りあげる。最初のページに万葉集原文、次のページにその英訳。つづく2ページで原歌を味わいながら、なぜそう英訳するに至ったかの解説がある。テーマを10に絞り、テーマごとに章を分けている。例えば、 御製つまり天皇の歌について、日本語の想像力について、イメージの喚起について、あるいは、枕詞の翻訳について、“恋”の表現力について、柿本人麻呂について、山上憶良について、…………。

こちらは素養がないから万葉集をただ読み下してみても、その意味はぼんやりとしかわからない。英語のほうは吟味された平易な単語を使って書かれているので、かえってわかりやすいくらいだ。その両方を比べて読むと、俄然歌の意味が立ち現れてくる。日本語でも英語でも単語の意味はひとつではない。それを原詩と訳詩のコンテクストに置いて対比させるとそれぞれの意味がいわば論理積となって明確化される。2つの単語の微妙に異なる内包が同時に示されることでピシッと焦点が合ってくる。

万葉集の意味だけを理解したのでは散文と変わりない。歌集として味わうには、そこに表出されている情感を肌身に感じ韻文としてのリズムが楽しめなくてはならないだろう。これまで、万葉の詩歌をまじめに読もうとしたことはないが、片眼でちらっとでも眺めただけで、だらだらといつ切れるかわからない文章がうねるように続いているといった印象だった。この本で、はじめて内容にまで踏み込んだ説明を受けてみて、その“だらだら”がゆったりとした時間の流れの表出であり、“うねうね”が畳みかけるような言葉の響き合いであったことを知ったのだ。いまの自分の時間軸をリセットして、その流れに意識をゆだねれば、そのとたんに情感が、情景が鮮やかな装いで立ち現れてくるのである。

彼は古代日本語の革新的な力をさまざまな角度から説明している。そのなかで、とくに面白いと思ったのは、日本語の表現力の進化についての言及である。万葉集は約4500首、その収集する期間は、中国から漢字が伝来した時代にはじまり、それから約350年を経た奈良時代末までにおよぶ。漢字を利用して日本語に書き言葉が生まれたとき、それまでの話し言葉とは違った表現形式が生まれたはずだ。また、それなりに未熟なものだったろう。それから約350年で、どれだけ日本語の表現力が深まったかを、彼は個々の歌に即して繰り返し指摘している。たとえば、聖徳太子と柿本人麻呂はその生きた時代に100年ほどの開きがあるが、同じテーマで歌を詠んだときに、どれだけ日本語の表現に違いが生じるのか。

次の二首は、詞書きに、いずれも路傍に死んだ旅人を見かけたときの悲傷の歌だとある。

●家ならば 妹が手巻かむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ
  いえならば いもがてまかむ たびまくら たびにこやせる このたびとあわれ

If he were home
he would be pillowed
in his wife’s arms,
but here on a journey
he lies with grass for pillow-----
travelers, alas!

聖徳太子
 

●草枕 旅の宿りに 誰が夫か 国忘れたる 家待たまくに
 くさまくら たびのやどりに たがつまか くにわすれたる いえまたまくに

Whose husband here
sought shelter on his journey,
            grass for pillow,
his homeland forgotten,
though his family waits there?

柿本人麻呂

この二首はだれが読んでも同じテーマを取り上げている。ここでリービ英雄は、前者の直接的で強い表現によって「旅先での死を悼む」というイメージの原型がはじめて提示されたととらえる。つまり、この歌で、歌による客死の追悼という伝統が生まれたとする。それに対して、後者の「誰が 夫か」と「国忘れたる」が、その原型に質素なディテールを付け加えたという。ディテールの付加とは言語表現の深化であると。

たしかに、前者では旅人が家を出て旅先で倒れるまで、時間がそのままストレートに流れている。が、後者では旅先の死が先にあって、それに付加するディテールによって時間が遡行し、失われたものの意味を深く照射する。ここに表現としての一層のソフィスティケーションを見る、ということなのだろう。ここまで読めれば万葉集もなかなか面白い、と今頃にして思う。

   …………………

リービ英雄は、自身が“あの頃ははずかしいほど「外人」だった”という19歳の秋に、万葉集をリュックに入れて奈良や京都を彷徨し、よく分からない膨大なテキストを何とか読もうとしたと 書いている。彼の言語に関する感性が抜きんでて鋭敏であることは疑いようもない。還暦を過ぎた駄馬は、今頃になって「外人」に万葉集の味わい方に気づかせてもらった。これは、はたして仕合わせか。人麻呂の挽歌の嘆きのように、後悔の念がうねりとなって押し寄せてくる。


現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system