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芸術新潮の10月号で岩佐又兵衛という画家の特集をしていた。江戸初期の画家で浮世絵の祖とも書かれているので知る人ぞ知るなのだろうが、聞き覚えがなかった。でも、一度絵を見ると、その印象は忘れられない。強烈な画風である。とくに絵巻がすごい。乱暴に言うと、地獄草紙の阿鼻叫喚を、源氏物語の極彩色にぶち込んだようだ。だがそれだけではない。静謐な雰囲気に満ちた南宋文人画のような山水もやすやすと描ける。えらく守備範囲の広い画家である。

この画家の展覧会を千葉市美術館でやっているというので出かけた。展覧会とは関係なく、たまたま羽田澄子が又兵衛作の絵巻『山中常磐(やまなかときわ)』を映画化していて、それをこの機会に上映するという。それも見たかった。絵巻を映画にするって、どうやるのかと興味が湧いた。美術館の開場10時前から玄関にならび、美術館が開くと7階のチケット売り場で入場券を求め、つぎに11階の映画会場へゆき、その前でまた10時半の開場を待ち、最前列に陣取った。

定刻11時より少し早く、今回の展示を担当したという知的な美人の学芸員から作品紹介があって映画がはじまった。この絵巻は十二卷からなり、義経の母常磐御前が奥州藤原氏にかくまわれていた義経に会いに京都から旅をする途次、山中宿で盗賊に襲われて惨殺され、後日、義経がその仇を討つという話だ。絵の合間に書かれている詞書きを浄瑠璃仕立てにして、文楽三味線のベテラン鶴澤清治らが節付けして伴奏し、若手の気鋭豊竹呂勢大夫が語る。その義太夫が狂言回しになって、物語がスクリーンにくり拡げられる。

冒頭、川面を映して、方丈記の“流れに浮かぶうたかた”の、あまりに陳腐なナレーションから入ったのには失望した。絵巻の要所要所をアップして、あとは画面一杯に引いて右へパンして時間経過と旅程を表現する。詞章にあう絵がない個所は、現在のそのあたりの風景を映して繋ぐ。絵巻のストーリーの合間に、ときおり又兵衛の生い立ちなども挿入する。それに生の女優を使って又兵衛の母を登場させたりする。映画の手法としては、当たり前すぎて面白みはない。 絵の中の強烈なデフォルメをへた義経の母と、平凡な女優とでは落差がありすぎる。愚直に絵巻と義太夫をあわせて、足りないところを手軽に補って作り上げた印象。しかし、決してつまらなくはない。絵巻自体の内容が劇的で、それを義太夫がたっぷり聞かせてくれるからだ。映画化の手法などに余計な興味をもたなければ、上演時間1時間40分を十分楽しめる。終わったのは1時。昼飯抜きで展示を見るのはきついので、いったん街へ出て食事をしてから、美術館に戻った。

岩佐又兵衛の一生は、数奇な運命を絵に描いたようである。織田信長の家臣荒木村重という大名の子として生まれるが、父、村重が信長に反逆したために母は惨殺される(このあたり山中常磐の義経とダブる)。それなのに、村重は逃亡して生きながらえ、彼は乳母に救われて石山本願寺にかくまわれて育ったという。しかも、成長した彼の才能を見いだして庇護したのは、母親の仇である信長の庶子信雄だった。こ うした二重、三重 の陰影を帯びた生い立ちは、当然、画家の成長期の感性に複雑な痕跡を残したろうし、絵の創作に強い影響を与えたろう。そして、その事情を知った鑑賞者は又兵衛の特異な画風をすんなり受容できる気分になる。だが、又兵衛の人物像はそうやすやすと捕らえられない。

解説を読むと、岩佐又兵衛は、北斎やピカソがそうであったように、絵を描く技法の習得や応用にほとんど苦労をしなかった。国内の諸流派の手法や中国伝来のさまざまな筆法も、何の苦もなく駆使できたようだ。長大な絵巻は、その長さや量(残存する絵巻だけでも長さ1キロ近いという)からして、彼の主宰する工房の作品だとされる。それにしても、合戦絵図や洛中洛外図の、画面を埋め尽くさんばかりのおびただしい人物の数と、その人物達の衣裳の細部に描き込まれた微細な文様は、自在に筆を繰って短時間に対象を描破する技量を必要としたろう し、発注者の要望というより彼自身の嗜好によるのだろう。

予備知識なしに岩佐又兵衛の絵を見ても、人物、とくにその容貌の“豊頬長頤”と呼ばれる独特のデフォルメ、異様に長い女性の黒髪への執着、男女の濡れ場のねっとりとした情趣、殺戮場面の極端な誇張など、普通の絵師には見られない執拗な表現が目につく。これらのエキセントリックな表現を、彼の生い立ちに重ねて納得するのはたやすい。しかし、それだけでないのがこの画家の不思議なところだ。残虐、凄惨を極めた情景を描きながら、どのような阿鼻叫喚の最中にも、状況への諧謔といったらいいのか、画面が一方的な印象に傾くことを拒否する描写が並置される。合戦の最先端で形相すさまじく敵の首をぶち切っている武者の背後では、余所を向いてなんだかニヤニヤ笑っているヤツがいたりするのである。人物描写にもクセがある。三十六歌仙のように、権威ある対象を権威ある風には描かず、その容貌や姿態にあからさまな風刺が込められる。それに禅画のような、軽やかなユーモアを感じさせる神仙画だって、やすやすと描いちゃうのだ。

執念、怨念、フェチへ傾くどろどろした心情と、それらをつっぱなした風刺、諧謔、悟りの画境をこの画家は具有している。過酷な運命の代償として、天性の画才が与えられたと思えば見る方も気が楽になる。まあ、可もなく不可もなくただ消え去ってゆく人間のほうが大多数だろうから、うらやまれていいくらいだ。意のままに筆を繰れることは、若き激情の緩和に役立ったかもしれない。あるいは、描画に没頭することで心の闇や 拘泥を飛越してしまったのか。天賦の画才は、強迫的な想念と戦うための強力な武器となっただろう。ともあれ、彼には非常に幅の広い心の振幅を感じる。

この画家に限ったことではないだろうが、年を取るほど極端な表現が少なくなってゆく。とくに最晩年の自画像から、あの血みどろの絵巻を連想することは難しい。いつだか書いた円山応挙の心象風景が一本の素直に伸びた見通しのよい道だとすれば、岩佐又兵衛のそれは、いかにも紆余曲折、一寸先も見通せぬ険阻な山道のようにみえる。そして、あの自画像は、 困難な道を歩き終わって、安堵とも諦念ともつかぬ思いで来し方をふり返っている人物にふさわしい。


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