道草Web

雨の予報が外れてよかった。今日は、夕方、大阪でとある会がある。仕事がらみで新幹線の切符が配給されたので、少し早めに出て京都の国立博物館で『大レンブラント展』を見ることにした。この美術展は東京へは来ないのだ。京都のあとは、フランクフルトへ行ってしまう。9時頃に家を出て、のぞみで京都へ。切符は新大阪までだが、回数券なので途中下車前途無効である。しゃくに障るがいたしかたなし。

京都駅前からバスで京都国博へ向かう。西宮の仕事をしていた頃に奈良の国博は行ったことがあるが、こちらははじめてだ。時間にして10分とかからなかった。道路を隔てて南側に三十三間堂がある。真新しい入口は、洒落たデザインで東京の国博より洗練された感じがする。あとで気づいたのだが、バス停近くの入口とは別に正 門があった。どうせならそちらからはいるべきだった(ただし、出口専門かもしれない)。

本館と新館(といっても相当古い)があって、大レンブラント展の開かれている本館は明治時代の洋風建築の代表的な様式であるフレンチルネッサンス風で(因みに奈良国博も同様式)、ファサード中央に丸屋根の玄関 があり煉瓦積の壁面の赤茶色が印象的だ。

入場門こそ新しかったが、内装はいかにも古びて、みすぼらしいと言ってしまいたくなるほどだ。しかし、空間がのびやかで静謐な雰囲気がただよっているので、懐かしい風情に思えた。 平日とはいえ観客は東京とは比較にならないくらい少ない。ひとつの絵の前に、せいぜい数人のひとだかりがするくらいで、同じ壁の並びには鑑賞者の誰もいない絵があったりする。絵画の展覧会は、こうありたいなあと思った。 こんなに充実した展覧会を、こんなにゆったりと見られるのは、東京では考えられない。おそらくこのレベルの展覧会だと、東京の場合、上野駅から会場までひっきりなしの人の流れができるに違いない。美術展はまずザーッと全体像を見て、それからまた引き返してめぼしいものをじっくり見るの だが、ここでは3回ほどゆっくりと反芻するように見ることができた。

『大レンブラント展』と称するだけあって、レンブラントの10代から晩年までの作品が年代を追って展示されている。現在の所有者を見ると、世界中の名だたる美術館やコレクションが網羅されている(MOAのあの自画像は含まれていない/そういえば、佐倉の川村記念美術館にも一点自画像がある)。レンブラントといえば、その一点だけあっても美術展の目玉になる。それをレンブラントだけ40点以上が一挙に見られるのだ。これだけのスケールで展示品を収集できるこの美術館の実力はたいしたものだ。もちろんオランダの密接な協力がなければ実現できなかったに違いはないが。東京国博もがんばらなくっちゃね。なにせ独立行政法人なんだから。

話は本題をそれるが、レンブラントにはめずらしい風景画が一点だけあった。その所有者をみると、チャルトレスキ公財団だった。今年の3月に横浜美術館で見た、レオナルドの『白貂を抱く貴婦人の寓意』(ミラノ公 ルドヴィーコ・スフォルツアーの愛妾リチェルカーレ・ガッレラーニの肖像とされる)を所有する財団だった。

余談 ルドヴィーコ・スフォルツアーは、ルドヴィーコ・イル・モロとも呼ばれ、ルネサンス時代の君主の典型だ。つまり、相当の知性(ラテン語の研究者)と審美眼(ダビンチらのパトロン)をもちながら、現実にはすさまじい権勢欲に駆られ、悪逆非道を尽くした。 因みに、映画監督のルキノ・ヴィスコンティもミラノ公の末裔だが、彼の祖先であるヴィスコンティ家の傭兵隊長がイル・モーロの父親フランチェスコ。フランチェスコが女婿に入ってミラノ公を継承し、ミラノの君主がヴィスコンティ家からスフォルツアー家へ変わ る。そして長男から、その長男(イル・モロの甥)へ継承されるところで、イル・モロがミラノを簒奪する。

こうして一生の仕事を通覧してみると、すでに20代前半で技術的にはほとんど完成されているかに見える。貴金属や絹のもつ独特の光沢や、あの時代の正装に多用されるレースの微細な質感の描写といった技術は若い頃にすでに身につけているようだ (もちろんわたしが絵画技術の実際を知っているはずはないが、まあそう思えるのだ)。

 以前新宿の伊勢丹美術館で『横顔のサスキア』を見たときの感想を日記にこう書いている。

1998年10月25日 日曜日
素晴らしい。フェルメールの『青いターバンの女』以来の感動。羽毛、毛皮、ビロードの柔らかさ、手首の真珠や耳飾りの真珠の輝き。胸を覆う絹の艶やかさ。装身具の質感の描写をあそこまで高めていった情熱に感動する。

この画家が成熟を見せるのは、複雑な登場人物を、それぞれの性格を浮き彫りにするように描き分け、あのレンブラント光を駆使してそのコントラスを強調する、その構成力においてではないか。それに関しては、残念ながら今回の展示にはない「夜警」を描いた30代後半で頂点に達するのかもしれない。

晩年になるにつれて細部は大胆に省略される。表面的な細部が消失するのに反比例するかのように、内面の精神的な描写が深みをまして行くようだ。彼は63歳で亡くなっているが、偶然にも、いまの わたしと同じ58歳のときの自画像は、あまりにも老化している(絵が老化しているわけではない)。彼が描き出した数々の名画に、精力を消耗されてしまったかのようだ。

ゆったりとした時間を過ごして、満たされた気分で外へ出る。噴水の前の楓と欅が、一本の木の中で上から下へ、赤、黄、緑と3段染めに紅葉していた。ああ、京都だなあ…………


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