道草Web

昨日、平塚沖で、大学同期のIT君の散骨が行われた。

このあいだ中華街で彼を偲んでみなで食事をしたとき、彼が海への散骨を選んだ話がでた。どうしても散骨に立ち会いたく思い、翌日、奥さんに電話をしてお願いし、こころよく許してもらった。

当日、朝10時に馬入川(相模川)の橋の近くにあるホテルのロビーに集合した。参加は、奥さんと岡山から駆けつけたご子息、奥さんのお姉さん、 奥さんと一緒に仕事をしているIT君の親戚の女性、それとぼく。ホテルの車で平塚の港へむかい、12人乗りのモーターボートで出発した。散骨は合同で行われ、もう一家族も同船していた。予報では午後から雷雨とのこと だったが、さいわいお天気はくずれなかった。

同船のよそのご家族は江ノ島沖での散骨を、奥さんは平塚沖の散骨を望まれ、まず江の島へ向かった。温暖な天気のなか穏やかな海をボートはエンジン音をあげて快走し江ノ島沖へつ いたが、停船するととたんに舟は大きく揺れだした。走行中の直進するモーメンタムが失われると、穏やかに見えた海に舟は木の葉のように翻弄された。

なんとか江ノ島沖での散骨をおえ、Uターンして平塚沖へ。船室にあるGPSのナビゲーションシステムで見ていると、ボートは平塚の港の真南5海里の沖で停船した。そこがIT君の散骨場所 だ。さいわい江の島沖より波は静穏だった。船腹に大きな漏斗のようなものを設置し、そこから、奥さんを筆頭に参加者がひとりずつ、まず花を撒き、次ぎに粉になっているお骨を紙の筒に入れて灑 ぐ。最後に、ご子息がワインを、ぼくがウイスキーを海に撒いた。ぼくはウイスキーの最後の一口を相伴した。青い海面に点々と白い花弁が散って、そのなかを彼の遺骨がミルクのような白い塊となって散って いった。

それを見ながら、奥さんが、これでITもやっと自由になれたとつぶやいたのが印象的だった。長い闘病生活の思い出が頭をよぎったのだと思う。彼が散骨を望んだ一番の理由は、墓というあの暗くて狭い場所に納められるのが嫌だったからだという。ボートは弔笛を吹鳴して散骨場所を一巡して港へ戻った。

ごくお身内だけの会に闖入しご迷惑だったろうが、ぼくとしては心につかえていた思いが晴れた。ぼく自身は坊主の孫ながらまったくの無信心ものだが、だれかの歌にあったように
        「あの世など信じてをらぬ吾にして夫の墓石に水かけゐをり」
 という心境だ。


 
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