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辰之助が四代目松緑を継いだ。いわゆる、当代の三之助(新之助、菊之助、辰之助)のなかでは初襲名だ。歌舞伎界は世襲制だから、幼少の頃から英才教育をうけ、名門になるほど、年を追って継いでいく名前が決まっている。こないだ話にでたヨコワみたいなものだ。先代三之助として、それぞれの実の父になるのは、現在の団十郎、菊五郎、それにいまは亡き先代辰之助(贈り名三世 松緑)だ。さらに現団十郎の父は長らく海老様で親しまれたが、団十郎を継いですぐに亡くなってしまった。菊五郎の父は梅幸で、本来は菊五郎を継ぐべき所を養子ということで自分は継がずに現在の菊五郎に七代目を継がせた。早世した先代辰之助の父が、われわれの世代がよく知る 松緑だ。それほど歌舞伎ファンでもないし、実演を見てもいないのに、どうも戦後の歌舞伎を代表する役者というと、先代の団十郎や幸四郎よりも、松緑の名前が浮かんでくる(この三人は、実の兄弟になる)。

三之助とはいっても、三拍子そろっている新、菊とはちがい、辰は少々見劣りがする。背は高いが、ぎょろ目の丸顔、歌舞伎の立ち役よりむしろ喜劇役者が向く風貌。それに声も悪いし、発音は舌足らずである。梨園名門の御曹司でなければ、端役数十年で終わりといったところだろう。

この襲名、孝夫の仁左衛門や、八十助の三津五郎の襲名が機熟して、というのとはちょっと趣を異にする。いってみれば、松竹の襲名披露戦略(襲名公演はだいたい連日満員となる)の一環で、このあとに続く新之助の海老蔵、鴈治郎の藤十郎、勘九郎の勘三郎、それぞれ襲名への露払いといったところか。他の襲名が順当な成り行きであるのに比して、いまの辰之助の実力が 松緑の名に相応しいとはおもえない。

四代目松緑の襲名披露は五月、六月と歌舞伎座で行われている。今月のそれの夜の部を見に行った。新之助、菊之助の踊りがあって、襲名披露の口上がある。なぜか引き回し役の雀右衛門がしどろもどろで、高齢とはいえ百戦錬磨の国宝役者らしくもない。もう夜と昼とで一月半もやっているのに、なんでこんなにとちるのだろうか。座が白けてしまいそうになるが、なんとか威勢のいい“京屋!”の掛け声で盛り返している。口上というのは、当代の人気役者が勢揃いし、襲名する役者との間柄やエピソードを語ったりして、華やかなものだ。主だったところでは、父親代わりの菊 五郎は当然として、団十郎、芝翫、鴈治郎、吉右衛門、最近国宝になったばかりの田之助などが顔を揃えている。

夜の部は『船弁慶』がメイン。船弁慶は同名の能を下敷きにした芝居で、松緑が前場では静御前を、後場では平知盛を演じる。どちらも舞が見せ場だ。知盛は、能で言う早舞で、恐ろしげな隈取りで、甲冑 もどきの銀色つくしの衣装に身をつつみ、薙刀を振り回す勇壮な舞だから、若さの勢いでなんとかなる。しかし、静御前の舞となると、もう見てはいられない。 能の舞を踏まえて、型はきっちりなぞっているのだろうけど、間延びして退屈。松緑は、藤間流の家元である。いくら世襲制とはいえ、こんな舞で日本全国の門人がなっとくするのだろうか。 一月半ほどを、昼夜主役で出ずっぱりだし、とくに今月の昼の部の『蘭平物狂』は、アクロバットさながらの殺陣があるので、蓄積した疲れは相当なものだろうけど、それを差し引いても、いかにも動きに切れがない。

祖父の松緑が富士山頂とすると、現松緑は美保の松原を、足もとおぼつかなく歩き出したといったところか。現団十郎も早くに先代を亡くして、若くして大名跡を継いだ。当時も、襲名が妥当かどうか議論かまびすしかった。実際に、失礼ながら、とてもとてもの役者だったが、いまでは団十郎の名に恥じない大看板になっている。よい鑑が眼前にある。世襲制の英才教育という、歌舞伎の育成システムが、 ここでも機能するのか、今後が見物だ。


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