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吉田兄弟は、津軽三味線のファンをぐーっと若年層へ引き下げたことで、よく知られている。だからというのではなく、津軽三味線が前から聴いてみたかったので飛びついた。

しかし、場所が渋谷文化村オーチャードホールというのがちょっと気になった。大編成のオーケストラならまだしも、いくら音の強い津軽三味線でも、あそこは大きすぎるのではないか。この時点で、気づくべきだったのだ。

入場してまず、しまったと思った。ホール全体に、靄のような霞のようなものがうっすらと漂っている。照明の効果を高めるための煙である。三味線とは似つかわしくない人工的な演出を予感させる。開幕の仕方からして、まるでロックコンサート。 赤や青やのレーザー光が目まぐるしく飛び交い、弾き出した三味線は、PAで大音響に増幅され、バチの音だけが突出して耳に突き刺さる。 背後には、和太鼓、エレキギター、ドラムス、キーボードなどの訳の分からん編成。アンプで増幅されてスピーカーから放射される音は、確かに刺激的ではあるが、生の演奏を聴き慣れている人間に、あの機械的な音は耐えられない。よっぽど途中退出しようかとおもったが、金を払った以上それもしゃくにさわる。結局、最後まで聴いてしまった。

既存の和楽、洋楽をアレンジしたもの、兄弟がそれぞれに作曲したものなどにまざって、津軽ジョンガラなど本来の三味線ものも演奏された。兄弟とはいうものの大分技量が違うようだ。聞き比べると弟は大分劣る。音が薄く、表面的で、気持ちがこもらず、弾き流してしまっている。作曲にしても同様。弟のは、あらためて作曲というほどのアイデアは感じられないが、兄のほうはそれなりに独自の音の世界を作り出している。

そして、何曲が聞いてゆくと、津軽三味線の音型というのか、きまりきったフレーズや展開手法が何度も出てくることに気づく。古典の場合は、何でも同じだが、同じパターンの繰り返しが飽きずに聴けるのは、そこに奏者が表現したい内面があるからだ。残念ながら、この若い兄弟に、まだそこまでの経験やら精神世界 を期待するのは無理なのか。

しかし、最後にPAなしでやった、彼らの出世作という『モダン』という曲はよかった。やはり、生の音でなくては、津軽三味線は生きない。


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