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北ア笠岳笠谷遡行

梓編年

1981年9月18(金)〜22(火)

鈴木、大森、橋元

記録


9/18(金) 雨
新宿発アルプス17号 23:45

9/19(土)
松本--−新島々−笠谷 7:40
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取水口上流(車の進入限界)出発 8:00
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左岸より沢(地図で水流のある最初の沢) 10:20〜10:40
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笠谷本流(第二の沢の出合) 11:45〜12:15
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両股 2:50

9/20(月) 曇り
両股 9:00
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洞穴の滝 10:30〜10:55
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広河原 12:50〜1:40
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1800m地点幕営 2:50

9/21(月)
1800m地点 9:00
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三段の滝上部 11:00〜11:30
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南西尾根直前のガレ 12:45〜1:00
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縦走路 1:30〜2:00
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槍見温泉(ペンション前田) 5:30

9/22(火) 晴れ
槍見温泉−平湯−中ノ湯−新島々−松本

思いもかけず笠谷行きが決まった。はじめの予定では、梓のみんなで高天原に行って温泉に入ろうということだった。しかし、9月12、13日の丹沢中川での月見の会で、実際に行けるのは、鈴木、大森、橋元の三人しかいないことがわかった。そうなってみると、高天原はみんなで行くのを楽しみにしているところだし、高天自体は初めてにしても、その前後はどうも魅力に欠ける。メンバーが三人なら小回りもきくから、あらためて行き先を考えようということになった。

大森氏とぼくは会社も近いので、9月16日(水)の昼休みに、昼食をとりながらどこへ行くか相談した。ぼくは何冊かのブルーガイドと、ふと思いついて、何年も前から行きたいと思っていた笠谷の遡行記録(5 年ほど前の山渓特派レポートと飛騨山岳会の記録)を持参した。ビールを飲み、ウナギなどをつつきながら、あれやこれやと話し合ったのだが、結局、梓最強のメンバー(…?)が三人集まることだし、いつでも行ける一般ルートはやめて、いっそ笠谷にしようと大森氏が言い出した。実のところ、笠谷は、彼と二人で行った双六谷以来、温めていた計画だが、実現の可能性があるとはほとんど思っていなかったので、こちらは一瞬考え込んだものである。自信があるわけではないし、資料もずいぶん古いもので、現状はわからない。即答はしないで、なんとなくお茶を濁していたが、ああでもない、こうでもないと言っているうちに、だんだんその気になって、ついに笠谷決行となった。

行程は、夜行で新宿を発ち、松本から新島々まで松本電鉄。そこから、上高地行きのバスで中ノ湯まで。そこから上高地発のバスに乗り換えて平湯へ。さらに、平湯からは神岡行きのバスで笠谷出合近くまで行って、適当なところで降りることにする。降りるバス停の名前は、大時刻表にも載っていない。

9月19日(土)

信濃森上行きのアルプス17号を松本で降り、松本電鉄の2輌編成の電車に乗り換える。久々である。いつもなら、人数をかき集めて松本からタクシーで上高地へ向かってしまうが、中ノ湯から平湯へとなると、その手は効かない。新島々に向かう途中で、大森氏の言い出したのは、ほどほどの値段なら、時間のことを考えるとバスよりタクシーがいいかも知れないということ。バスは乗り換えごとに30分から1時間ほどのロスがある。笠谷の出合は、バス路線が平湯を過ぎて栃尾温泉で国道にぶつかり、蒲田川にそって下流に向かう。新島々からの距離にすると、そこから上流へ向かう新穂高温泉より近いくらいだ。新島々の案内で訊くと、新穂までは1万円くらいという。それで、タクシーに決まった。

安房峠を越える長い道は、ほとんどうたた寝をしているうちに過ぎた。タクシーの運ちゃんが面白い男で、笠谷の出合で降ろされるかと思ったら、そのままスイスイ林道に車を進めてくれた。山側からガレが林道に押しだし、タイヤが路肩ぎりぎりに通るところで、「帰りに車が落ちたらそう言うで、骨でも拾いに来ておくれ」などと、信州弁で冗談を飛ばしながら、たじろぐ様子もない。後日分かったのだが、この運ちゃんは、同じ日の午後に、西穂から下山する沼田、小鍋、河合などのTBS.Bのメンバーを上高地から乗せることになるのだ。この偶然に驚くよりも、何故そんなことがわかったかのほうがよぼど興味深い。実は沼田さんが、しかじかの連中を笠谷まで乗せたひとが、お宅の会社にいないかと帰りのタクシーで訊ねたところ、それが当の運転手だったのだ。いくら我々が日頃、松本観光のタクシーを利用するからといって、あえてそこまで問いただすのがいかにも沼田さんらしくて面白かった。

この運ちゃんのおかげで、林道を車の入れるところまで入れた。昼頃に行動開始の予定が、午前8時に早まった。これは非常な正解で、おかげで沢内3泊の予定が、2泊で抜けることができた。

初日の前半は終始薮こぎである。2.5万図にある右岸の林道は、下車地点から先は廃道になっていて、雑草や低木が道を覆っている。林道をトレースするか、沢へ降りるかしばし迷った。地元山岳会の記録は林道を、特派レポートは沢をコースに取っているが、後者は大分上手で対岸から山越えをしているので、林道を行くことにした。

はじめの1キロほどは林道はほぼ沢に沿っている。降ったり止んだりの雨の中の薮こぎだから、下半身は渡渉したのとあまり変わらないほど濡れている。トゲの生えた枯れ枝やススキで腕も傷だらけだ。例によって善さんは、身体の小さい分抵抗もないかのように、すぐ薮の中に消えてしまう。この辺りはアキグミが多く、鈴なりに実を付けているので、口に含んでみたが渋みが強すぎてダメだった。

やがて林道はじょじょに標高を上げ、沢音もまったく聞こえない山中を蛇行するようになる。おいおい薮も密になり、踏み跡を見失うこともしばしばである。こんなところを真夏に通ったらと思うとぞっとする。雨でも気温が低い方がまだましだ。2時間ほどで地図で水流の表示されている最初の枝沢に達する。地図に記載はないが、林道がこの沢を横切る個所は木造の橋になっている。雑草や低木ではじめは分からなかったが、歩いているうちに川が真下を流れる具合になったので、橋と気付いた。構造物として残っているのが不思議なくらいだから、安心して歩いているわけにもいかず、急いで通り過ぎる。多分、木造の橋に砂利を敷いたものだろうか。そこへ草木が生え、すでに4〜5mに達するものもあるから、荒廃の年月を思うに十分である。

林道をそのまま辿ると本流を離れて、第二の大きな枝沢の方へ誘い込まれてしまう。しかし、本流への降り口が見つからないまま、林道を終点まで詰めてしまった。飛騨山岳会の記録もこの辺りの記述が不明確で、林道が終わるとすぐに笠谷両股へ達するように書いてあるのだが、どう考えても第二の枝沢の出合から両股まで内容が欠落してる。彼らの誤記というより、雑誌編集上の手抜きかと思われる。

それはとにかく、この沢を下降して笠谷本流にへ向かう。林道終点から本流まで標高差は120mほどあり、途中に2,3の滝を懸けている。特に本流への出合の滝は30mほどあって見事だ。この滝は右岸を巻いて、本流の河原に立つことができた。この辺りは二股(両股はさらに上流)というらしい。これで4時間に及ぶ薮こぎから解放される。ほっとして昼食にする。

腹ごしらえがすむと、いよいよ笠谷の遡行開始だ。二股から両股の間は、小さな滝と美しいトロが交互に現れるが、渓相としては比較的平凡である。ただ一個所、1129m標高地点の上流で川筋がほぼ直角に左折する辺りに、15mほどの滝がある。この滝の手前は狭いゴルジュで、両手を拡げる岩壁に手が届くほどに川幅が狭まる。しかも、手前に深い瀞があって滝の下までたどり着けない。また、行けたとしても直登は無理だ。左の岩壁にバンドが走っていたので、瀞の手前からそれへ取り付いた。バンドは、濡れた草付きで、しかも外傾していつ崩れるとも知れず、すこぶる不安だった。それでもなんとかトラバースして滝の落ち口へ達することができたが、ここでザイルを出さないのは、リーダーの怠慢であると、あとで大森氏から叱られた

この滝を過ぎると、谷はやや開けて大きな石の多い河原となって両股へ達する。両股はちょっとした奇観である。両股を分けるのは雷鳥尾根の末端だが、この末端が、両側を剃刀で切り落としたような縦長の岩で、丁度ステゴザウルスの背ビレのように盛り上がって、その頂きに木立を戴いている。左股を少し登った右岸に両股の小屋跡があり、石積の跡もはっきりしていて、キャンプサイトには最適である。ここで本日の行動を終わりとする。

当然、焚き火を囲んで、ということになるが、この頃には、雨も相当強くなってきたので、焚き火はやめにしてテント内での宴会に切り替える。3時前に到着しているので、時間はたっぷりある。予定では谷中で3泊で、1泊につきウイスキー1本にして軽量化を目指したが、何故かそこには、さらに酒5合と缶ビール4本があった。個人装備の酒肴もたっぷりある。しかし、いかんせん最近の寝不足と夜行がたたって、話をしているうちに寝込んでしまったらしい。一方、いかなる体調においてもアルコールが体内に入るや活気づく大森氏は、夜になって雨が止んだのを幸い、表へ出て焚き火に挑戦したらしいのだ。さすがに火付け盗賊の末裔と自称するだけのことはある。ぼくも目を覚まして、手伝ったらしいのだが、まったく憶えていなかった。

それから、今日のことで書き忘れたことがある。イワナだ。ひとがほとんど入っていないし、まして釣り師は入ってこないだろうから、魚影はきわめて濃い。途中、善さんと大森氏が釣ってはみたのだが、だめだった。雨が強くて釣りははなから無理だったかもしれないが、途中の15mの滝が魚止めになっていた可能性もある。下流で時間をかければ、釣果があることはほぼ確実と思う。

9月20日(日)

今日は、この沢の核心部を通過する。テントサイトを立つに当たって、ほどほどの不安と緊張がある。夜中に雨は止みガスが低く立ちこめているが視界は問題ない。両股からしばらくは深く暗い谷間を行く。この辺りの両岸の地形が変わっていて、普通の谷のように平面的に切れているのではなく、複雑に入り組んだ襞のようになっているので、見飽きない。

約20分で行く手に15mほどの滝があり、その先にガレた急斜面が明るく見える。しかし、その奥の左側から白く輝く水煙がもうもうと噴きだして、傲然たる落水の音が遙かわれわれのところまで聞こえてくる。谷がほとんど直角に左折してるので、姿は見えないが、この小さな滝はほんの前衛で、その先に手強い大滝のひそんでいることが察せられる。

さだかならぬ幻の滝に気を取られていたが、我に返れば、前衛の滝も相当に手強そうである。落差こそないものの、手前の滝壺は広く深く、両岸は濡れた苔でびっしり覆われている。右手の壁にわずかにトレールがあり、大分上部にバンドが走っていたので、そこを登ることにした。しかし、悪い。外傾、草付き、苔と、三拍子そろっているのは、昨日の15mの滝も同じだが、高度感が遙かにあって距離も長い。バンドをそのままトラバースすると、滝の落口より先へ行ってしまう。岩壁から生えている木を支点に落ち口にアプザイレンできなくはなかったが、何とかなりそうなのでそのままトラバースを続けた。

トラバースの終点は、もうすでに次の大滝の滝壺である。落差はゆうに60mもあるだろうか。落ち口の左右から幾筋も吐き出される水流が、瀑心で一つの水柱となって落下し、途中に突出する岩で二分され、その下でまた合体して滝壺に叩きつけられている。落下する水の勢いで、滝壺からはすさまじい水音とともに、膨大な水煙と強風が吐き出され周囲の岩壁に吹き付けている。

地形は、丁度すり鉢を半分に断ち割ったようなようなもので、その中央に大滝がでんと構えている。一見、直登はおろか、巻き道の見当すらつかない。まことに心許なく、手掛かりのない深い穴蔵から、空を見上げているような心境だ。滝の右手の壁にバンドがあって途中から落ち口に向かうクラックが走っているので、あるいは直登もできるかもしれないが、難しそうだった。われわれは瀑風に追い立てられるようにして、すり鉢状の急なガレ場を這い上がって行った。急な斜面ではあったが、幸いなことに途中からシカ道が現れ、これを辿ると、予想外に楽に落ち口に出ることができた。そこから先は、滑らかな岩に柔らかな苔の載った明るい渓流となっていた。やっとの思いで、薄暗い滝壺から這い上がってきたわれわれの目には、その際だった対比に感動を覚えたほどである。

笠谷は凄い沢だ。60mの滝でさえ圧倒的だったのに、それからわずかでまた次の大滝が現れた。今度のは40mほどだろうか。しかし、水量といい、周囲の岩壁の様子といい、これは奇観である。滝の奥が広大な洞窟になっていて、幅の広い落ち口から噴きだした水流はベールになって中空を落下している。赤谷川に裏越しのセンというのがあったが、あれに似て滝の水流の裏側を通ることができる。これが飛騨山岳会が“洞窟の滝”と名付けた滝であることは疑の余地がない。

しかし、この滝は滝壺の周囲が広々としていて、すぐに右手奥のガレたルンゼが登れそうだったので心理的な圧迫感はなかった。軽い食事をしたり、落下する水流の裏手へ回り込んで写真を撮ったりして、楽しい時間を過ごした。孫悟空の花果山水簾洞とはこんな處だろうか。思えば、朝方テントを出てからほんの数時間のうちに、何と様々な心の旅をあじわったことか。未知の不安、それを目の当たりにしたときの緊張、間断なく要求される決断、難関を克服したときの安堵と解放、自然への感嘆と賛美。都会の日常では決して起きることのない、こうした純粋な心の躍動が、ほんの数時間のうちに、いくつもわれわれを押し包んでは、通り過ぎてゆく。アカにまみれた都会の心は、山へ来て清冽なシャワーを浴びる。だから、また山へくる。

さすがの笠谷も、この二つの大滝を越えると、あとは単調な河原歩きとなる。朝から頭上を覆っていたガスも、高度を上げるにしたがって空の高みに去り、周囲の山肌や、まれには、遙か彼方の稜線までも見渡せるようになる。緑の樹林帯を抜けた沢筋は、両岸がわずかに色づいた広いカール状の地形に向かって消えて、さらにその奥の両翼には木立を戴いた岩峰が屹立している。

われわれは広河原を越えて、小さな滝が連続する急勾配の沢筋をしばらく登った河原に今日のテントを張った。テント一張りで一杯になりそうな河原だが、高度感があって見晴らしがとてもいい。西に開けた谷を見下ろすと、今日一日辿った行程をその下に隠した樹海が広がっている。その上に立ちこめる明るい霧は、さだかには見えない夕日によってしばらく茜色に染まっていたが、やがて灰色に転調した。

ここでおとなしく寝て、明日の精気を養うのであれば、まことに規範にするに足る山男たちなのだが、当然、そうはいかない。流木を集めて山と積み、焚き火を囲んで延々と宴会が続く。今日、ここまで登っておけば、明日は下山できる。ただでさえ多い酒が、一泊余分なのだから豊かな気分である。時間もたっぷりある。焚き木もたっぷりある。昨日は、たっぷり寝ている。何よりも今日の行程は素晴らしかった。これだけそろって、話の弾まないわけはない。歌のでないわけはない。頭上を仰げば、霧は晴れて星が一杯だ。その中を、ときどき人工衛星が明るく輝いて通り過ぎる。

Viva Montagna!

9月21日(月)

さすがに前夜飲み過ぎで、身体も頭も重い。今日は、難しいところはなさそうだが、高度差だけは十分ある。昨夜の元気はどこへやら、うろんな体でノソノソと岩を這い登る。ルートがつまらないわけではない。三段70mほどの美しい滝や、岩峰のてっぺんからクランク状に曲がりくねって生えているダケカンバ(まるで根性「岳樺」みたい!)など、結構楽しみは多い。悪いのはわれらが体調だけである。それでも途中でザイルをだして、1ピッチほどやさしいカンテを登ってみたりした。南西尾根に出る前の2時間は、相当の斜度の登りで、先行するひとの靴の裏が、眼前にあるほどだった。ハイマツとガレ場が交互に現れる。

最後の岩稜を登り終わると、そこが南西尾根だった。尾根の反対側には、双六谷の支流である小倉谷がおおらかに広がっていた。岩肌には、双六へ下る古い山道のペンキマークがあって、踏み跡もかすかに残っていた。すぐ近くに縦走路も走っている。そして、ガスを透かして笠の鋭鋒が見え隠れしている。これで、笠谷は終わった。

下山路をどうするかで迷った。これ以上の登りは体力的にも時間的にもきついので、笠の登頂は諦め、クリヤの頭からクリヤ谷を下り、槍見温泉にでることにした。われわれ三人のほかには、遙かな縦走路に登山者が一人いるだけで、山はひっそりと静かだった。

これで念願をひとつ果たした。しかし、いざ登ってしまうと不思議なもので、大事にしまっておいたものが無くなったような気がする。まだ、いくつか行きたい山や沢はあるが、こんなに素晴らしいところにまた巡り会えるだろうか。そんな矛盾した思いに駆られながら、迫ってくる夕闇に追い立てられるように山道を下っていった。

以上

後記

黒部の上廊下や赤石沢など大きな沢、美しい沢をいくつか経験している。残念ながら今後、そうしたスケールの大きな沢を訪れることはないと思う。だから、自分なりのまとめとして言う。笠谷が一番だ。

 

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