道草Web

志賀高原スキー

梓編年

2002年12月27日 金曜日

晴れ

梓スキー行、志賀高原。宿は齋藤君に予約してもらった志賀ハイランドホテル(場所は蓮池だが、奥志賀と熊ノ湯の分岐から100mほど手前の左側にある)。

参加:鈴木、大森、中村、亀村、齋藤、瑞貴、橋元。今年は休みの並びがよく、善さんも27日から参加できる。

予定を少し遅れて6時過ぎに大森車到着。カメちゃんが同乗。 荷物をデリカへ積み替え、カメちゃんの運転で南浦和へ。すでに善さん、チャウ、齋藤父子も到着していた。総員7名、このメンバーは去年末の志賀高原スキーのメンバーにカメちゃんが増えただけだ。南浦和出発は、6時40分頃だったろうか。

道路は空いていて渋滞はまったくない。ひさしぶりに上里サービスエリアに寄ったが、ずいぶんと様変わりしている。プリンスホテルのレストランが出店して、インストアベーカリイがあった。南浦和のセブンイレブンで、夕食がわりに買ったまずいサンドより、よほど旨そうなパンが並んでいた。

今年は雪が早かったが、そういうときに限って12月に入ると、ぱったり降らなくなったりする。しかし、今年はそうではないらしい。信州中野のインターを降りるときに四駆にした。すでに周囲は雪化粧である。さいわい、志賀高原へのジグザグへかかっても、降雪はなく路面の積雪も問題なかった。

カメちゃんは、早ければ10時半には着くだろうといっていたが、ほぼ10時に志賀ハイランドホテルに到着。一貫してカメちゃんの運転だった。さいわい、玄関へのアクセス路の両脇の駐車スペースに空きがあったので、そこへ止める。空きがなければ、大回りして発哺ロープウエイの前の共通駐車場へ駐車しなければならない。フロントはまだ起きていて、われわれが初日の夕食の権利を放棄(それでも料金は安くならないことの間接表現)したので、その代わり本来有料のバスタオルをサービスするという。

恒例により、鳩ヶ谷魚重の魚を大森氏がさばき、チャウが人形町有職で仕入れた寿司などもでて、小宴会が始まる。

開始早々、大森氏から、OJの用意した日本酒二本、ビールロング缶1ケース、ワイン六本は少なすぎると文句が出る。まあ、積算すれば当然不足だが、近頃の梓は予定どおりに酒を消費することは滅多にないので、この程度にしたのだった。去年も同じ量だったが、ビールは別にして、酒は余ったはずだ。しかし、これは嬉しい誤算だった。到着日の宴会だけで、酒 一升、ビール半ケースを消費してしまった。増えたのはカメちゃんだけだが、これはまんざら彼のせいだけではなさそうだ。齋藤、亀村という梓若手?二人の相乗効果だろう。

2002年12月28日 土曜日

雲ひとつない快晴で静穏。文句なしの天気だ。


さすがに深更3時に及ぶ宴会の影響は瑞貴君以外の全員に及んでいる。二日酔いというより、まだ酔いつづけている状態。しかし、この天気ではいやでも滑らざるをえない。“評せんと欲するに、すでにその言を忘れる”という体の悲惨な朝食 (宿泊費からいって内容はやむを得ないところだろうが、もう少しやりようがあるのでは)を済ませ、ホテルから少し下って、丸池を今年初スキーの起点とする。

積雪はそれほど多いとはいえないが、地べたが現れるようなことはない。本格的な滑降を、サンバレー法坂のメインバーンから開始する。雪が真新しいので、スキーのエッジは適度に雪面をとらえてキュッキュト鳴り、滑るには最高の条件だ。今回のスキーでも、この最初の滑りが、一番気持ちがよかったかもしれない。調子はまったく出ていないはずだが、なんとかまともに滑れたのでよけいだった。

本日の最高到達地点寺子屋の斜面の頂上で、山頂の義。餅つきの残りのヘネシーだ。これまで、この儀式には参加しなかった大森氏も今回は積極的に参加。こちらが催促されるほどだ。

初日の昼食は寺子屋のレストランにした。しかし、混んでいたので諦めて場所を変えようとリフトに乗ったが、チャウの姿が見あたらず、捜索のためいったんレストランに戻ると、もうチャウが席を確保して、窓から手を振っていた。混んだのはわずかな時間だったらしい。持参のワイン二本とつまみでプチ宴会。今回のつまみはチャウの担当だったが、サラミソーセージやハム、それに チーズやクラッカー類はどれもなかなか良かった。ワインはほとんど千円前後の安ワインだが、こうした場合はそれで十分だろう。

昼飯中に、どうも両足内側の痛みがおさまらない。いつもなら、スキー靴のバックルをいくらゆるめれば痛みは引くのだが、今日はどうにもだめだ。あまり痛みがしつこいので靴を脱いでみたところ、土踏まずの部分がタラコを貼り付けたように腫れている。どうやらバックルを締めすぎらしい。昼食の間中、足首を回転させたり、マッサージしたりしたが、腫れも痛みも引かない。しかたなく、 みなに先行してもらって、しばらく様子をみることにした。

小一時間ほど待ってなんとか靴を履けるようになったので、みなの後を追いかけた。こうした場合、携帯は便利だ。レストランは圏外だったが、寺子屋ゲレンデ上部からは連絡がつき、西館下部のリフトの終点でみなと合流することができた。しかし、痛みは引かないし、チャウももうそろそろ膝が限界だというので、二人は早めに引き上げることにした。残りのメンバーが、なおも滑りつづけたのはいうまでもない。

夕食の前に、昨夜の魚の残りを大森氏がさばく。鮮度がいいので、まだ十分刺身にたえる。昼のつまみの残りなども出てプレ宴会。しょせん夕食は期待していない。なにやら焼き肉のようだったが印象に残っていない。

最近梓では、夕食が終わるとパタクー状態で、いっこうに盛り上がらないが、今回はなぜか連日の二次会だった。夕食後にTVの年末特番、万才新人コンテストなどを観ながら、うたた寝をした後、さらに二次会が始まったのだ。その結果、ビールも酒も二泊目で払底してしまった。話題はあまりぱっとしない、水虫、イボ、魚の目といったところ。歯と目となんとかでないところが救いか。なのに、なぜか笑いが横溢して、またたくまに時間は過ぎてゆく。

2002年12月29日 日曜日

午前中雪、午後曇りがちながら雪止む。

朝から本格的に雪が降っている。当然、OJはスキー休日を決め込んだが、みなはシャトルバスで奥志賀へ出発した。考えると、昼飯を独りはつまらないので、どこかで落ち合おうと思っていた。携帯をかけようとしたところ、齋藤君からのメッセージが入っていて、善さんがザック(昼のつまみが入っている)を忘れたので、できればどこかへ出てこられないかという。結局、プリンスホテルの西館のレストランで落ち合うことにして、こちらも一応スキーの支度はして1時間ほど後のシャトルバスで出かける。シャトルバスは満員で、通路の最後部で立ったままだ。内外の気温差で曇ったガラス窓からは外が見えない。そんな状態で、山道を進まれると、ガスの中を滑るのとあまり変わらず、気分のよいものではなかった。

西館のレストランは、3階まで吹き抜けにしたような高さがあり、面積も相当広い。おそらく志賀で、というより日本のゲレンデで一番広いのではないか。入口には“飲食物の持ち込みは固くお断りします”となっているが、これだけ広いといちいちチェックはできない。

持参の赤、白のワインと、持参のつまみに、大森氏お気に入りというワカサギの唐揚げ、さらに鶏の唐揚げ、ポテトフライなどを注文する。既述のようにワインはほとんど千円前後のものだったが一本だけ、1500円ほどの赤があった。これはジンファンデルZinfandelというブドウから醸造したワインだ。あまり耳慣れないブドウの種類かもしれないが、カリフォルニアでは広く飲まれている。わが人生の汚点であるアメリカ出張において、フェニックスのマリオットホテルで飲んで旨い ワインだと思って名前を尋ねたので憶えていた。めずらしく鳩ヶ谷のディスカウントショップにそれがあったので買ってみたのだった。カメちゃんがそのワインをグラスに注ぐのを見て失望した。健康なワインの色ではない。透明感のない暗い赤で、明らかに温度管理が悪かったようだ。飲んでみると案の定、濁った味がする。赤にしてはやや甘めで渋みは十分だが酸味はさほどではない。それでも2〜3口飲んでいるうちに、まあなんとか許そうとなった。腐っても鯛というほどの代物ではないにしろ、状態が良ければなあ、と思わせるものがあったからだ。

午前中は相当な降りだったらしいが、食事をしているうちに青空も見えて、雪は小降りになってきた。こういうときは、えてして昼飯の終わる頃にまた激しく降り出したりするのだが、今回はさいわい小康状態が続いたので、昼食後しばらくは みなといっしょに滑ることができた。

瑞貴君は、なかなかの健脚で、急斜面の度胸は立派。スピードも大人にひけをとらないばかりか、しばしば一番早かったりする。 齋藤君は山で鍛えているはずだが、近頃体重オーバーで大分苦労をしている様子(そういえば、最終日にやっと瑞貴君を抜いたと快哉をあげていた)。久しぶりのカメちゃんは、ギックリ腰の後遺症もなく、快適に飛ばしている模様だ。膝の靱帯断裂の経歴をもつチャウも、だましだまし滑っている。大森氏、善さんは、あいかわらずのマイペース。昼食の時間をけずり、帰宿を延長して、滑りを稼いでいる。OJは、去年は、もうスキーをやめようかとまで思ったが、なんとかやる気を取り直した。

夕食のプレ宴会は、すでに酒なし、つまみなし。やむなく、売店で酒、焼酎、ビール(残念ながらアサヒだった)を仕入れ、乾き物などで済ます。夕食は、輸入牛のすき焼きだった。

2002年12月30日 月曜日

快晴

今日も好天に恵まれ、志賀を駆けめぐる。さしたる話題もなくと、済ませたいところだったが、そうではなかった。

もう帰りがけだったろうか。一ノ瀬のゲレンデ左側のクワッドで事件は起きた。

このゲレンデは上部が急斜面、下部は緩斜面で、宿から奥志賀への往復に使うだけ。あまりここを目的に滑りたいような魅力はない。そのクワッドに善さん、チャウなどと乗ってしばらく。ふと去年までなかった小さなボックスが、リフトのフレームに取り付けてあるのが目に付いた。座席中央に座ると丁度頭上にある。説明を読むと、どうやらリフトが停止したときの脱出器具らしい。当然ながら非常時以外は開けてはならないと注意書きがある。しかし、万が一のときに、予備知識なく使うのは不安である、などと勝手な理屈をこねあげて、ストックの先で少しボックス底部の蓋を押してみた。すると、ポロリと細めのオレンジ色の紐と黒い輪ゴムが顔を覗かせた。慌てて止めたが、蓋と本体の間に紐が挟まってもう閉まらない。善さんにも手伝ってもらって、なんとか押し込もうとしたが、手が届かずストックの先で操作しているのでなかなかうまくいかない。それでも無理やり押し込んで、なんとかなったかと思ったとたんに、パックリと完全に蓋が開いた。中に収納されていたものが、スルスルと落下し、延々10メートルもあろうかという縄ばしごとおぼしきものがリフトから垂れ下がってしまった。非常事態である。慌ててたぐり、たぐりしているうちに、高速リフトは終点に到着し、ループにした縄ばしごを握ったままOJは座席から転び落ち、リフトは緊急停止した。

後は、知らない。“済みません”の一言を残し、縄の巻き直しと収納に気を取られている係員を後に、立ち去ったのであった。いや、失礼しました。

さて、夕方。ホテル内にアサヒビールしかないと知ると、プレ宴会のために善さんはビールの買い出しに出るという。ホテルの正面は国道に向いているが、裏側に発哺行きのロープウエイ乗り場への出口がある。そこから、ロープウエイの売り場までビールを買い出しにいったのだ。カメちゃんもザックを担いでこれにしたがう。しばらくして、一番搾りとサッポロが到着した。

プレ宴会が終わって、食事にいったが、なんとしたことか、われわれのテーブルには前日と全く同じすき焼きセットが並んでいる。まさか、あの輸入肉のすき焼きをまた今夜も喰うのか?どうもこのホテルは、一泊目、二泊目と順にメニューを決めているようなのだが、そのカウントを間違えたらしい。憤然と席を立った齋藤君はなにやら厨房に抗議におよんでいる。結局、セットをしつらえ直すので、いったん自室に戻って10分ほどお待ち願いたいということになった。用意ができたら電話をもらうことにして引き上げた。

部屋に戻って、しばらくは、このホテルについて、あるいはサービスについてあれこれあげつらっていたが、いっこうに連絡がない。業を煮やした齋藤君は、フロントに電話をする。当然のことだが、こんなハプニングが子細にフロントに連絡されているわけがない。フロントと掛け合っている 齋藤君は、とうとうと経緯を説明し、いまだ連絡がないのはなにごとか、かような事態の収拾には“適切な誠意を示せ”と言い放つ。

これは相当に効果があったみえ、電話連絡ではなく、フロントが直接来室して、用意ができた旨をつげた。さっそく食堂へ向かってテーブルを見 ると、今度はチゲ鍋が用意されていた。それに、なんと、アサヒが五本並んでいるではないか、つまり、男の人数分ビールをサービスということだ。 これがホテルの見せた“誠意”であるのは明らかだ。さらに、テーブルに着くと、ペンネのクリームシチュウが運ばれてくる。どうやらまかない食らしくたっぷりの量があるが、ペンネがドロドロに煮込まれて、とても旨いとはいい難い。 まあ、女性陣へも配慮したということだろう。


他人の過失にかこつけて申し訳ないが、この対応に気をよくして盛り上がったことはいうまでもない。広い食堂にわれわれだけになるまで、にぎやかな食事が続いた。食品のクレーム処理に経験のあるカメちゃんの言によると、“誠意を示せ”というのは法に触れないギリギリの表現で、これ以上踏み込んで、金品の提供をほのめかすと、こちらが恐喝の罪に問われるという。ここは 齋藤君の“適切な表現力”に敬意を表するしかない。さらに、うがった齋藤君の意見では、この対応は、われわれへの配慮というより、窓口となった旅行社への配慮だろうという。旅行社へ失態を報告されることを恐れてのことだというのだ。なるほど、確かにそれはあるかもしれない。

部屋に帰って、今晩は『釣りばか日記12』を見る。随所、随所に笑いを誘うところはあったが、なんともプロットが中途半端。いくつかの事件が起きて、解決への流れができるのだが、その結果が明示されない。映画が終わっても、大団円という気分にならないのだ。その中途半端さを肴に、また二次会が始まったのは言うまでもない。

2002年12月31日 火曜日

晴れ

今日も晴れて文句なしのスキー日より。またも奥志賀まで足を延ばす。もうこのころになると、滑りにも慣れ、ゲレンデにも慣れて、リフトからリフトへ、みなほとんどノンストップで滑りまくる。瑞貴君は別にしても、平均年齢からして相当ハードな滑りではある。

昼食を予定したサン・クリストフは混んでいて席が取れかったので、やむなくシャモア(後藤さんお気に入りの海老フライのレストラン大洞の後継店)へ転進。こちらも混んではいたが、しばらくすると席が確保でき、齋藤父子がカフェテリアの行列に並んでくれて、摘みもテーブルへ運ばれた。今回、どこでも鶏の唐揚げを頼んだが、ここのものが一番ましだった。小宴会の終わる頃には、行列もなくなっていた。最近は、混んでも一時で、さして長続きしないようだ。

最後は、高天原から下りのリフトで発哺へ下り(相当な急傾斜)、ロープウエイで蓮池へ渡った。無事にすべての滑降を終了して、ホテルに戻る。年末に、OJが一日も欠かさず滑れたのは、あまり記憶にない。荷物を片づけて、デリカに乗り込む頃には、辺りも暗くなり、急にガスが立ちこめてきた。

OJは、デリカの用意はしたものの、この視界では運転は無理そう。そこで、齋藤君がハンドルを握ることになった。下り車線は年内に帰宅する車で長蛇の列。濃いガスと凍結した路面で、時速20キロ程度ののろのろ運転が続く。

やがて、のろのろ運転の一因が判明した。ちょうど、半分くらいも下ったところだったろうか、2台の車がハザードを点滅させて停車している。事故だった。通過しながら観察すると、軽度の追突事故らしい。路面を見ると、鏡のようにテラテラに黒光りして、その上にうっすら汚れた雪が乗っている。これは滑る。最近のように、スパイクがなくなり、チェーン着装車も少なくなって、スタッドレスが大半を占めるようになると、路面の雪はタイヤで圧迫され、氷層がどんどん厚くなる。スリップの危険は、以前より遙かに大きくなっているのだ。

こうした事故を見ると、いやでも運転は慎重にならざるをえず、のろのろはその後も続いた。

さて、もうそろそろ、かつての有料道路も終わると見える頃、対向車線を数メートル先まで上ってきた白の新しいボックス車が、突如車体を振ったかと見ると、あれよあれよ、というまに、こちらの車線へ頭を向けて、突っ込んできた。われわれの一台前の車に衝突する寸前で、こちらの路壁にフロントバンパーをぶつけ、反動で少し戻って道路をふさぐように横様に止まった。さいわい、車を動かすには支障はなかったらしく、こちらの車線を空けるように車の向きを戻すなり、中から男が飛び出し、すぐに携帯でどこかへ連絡をとっている。なるほど携帯は、これほど身体の一部とかしているのか。最近、携帯を使い出したOJなどは、こんな状況で即座に携帯をかけるなど思いつかないだろうと、変な感心をしてしまう。それにしても、下りならともかく、上りの車があれほどオフコンになるのは想像を絶する。多分、四駆ではなく、スタッドレスでもなかったのではないか、としか考えようがなかった。目の前に突っ込まれ、あわや衝突しかけた先行車の運転がますます慎重になったのはやむを得ないところだった。

さて、問題は夕食である。大晦日のこの時分は、ファミレスやチェーン店以外に、まともな店はなかなか開いていない。毎年それで苦労するのだ。去年は、長野まで一般道を行って好いそば屋を見つけたが、今年はそこまで行かずともなんとか店はないか。いろいろ漁ってみたが、結果は同じだった。毎年テナントが変わる、信州中野入口手前のそば屋は、去年と同 じだった。つまり、ほとんど駅の構内食堂なみということだ。一縷の望みをかけた小布施のハイウエイオアシスも、ゲレンデの食堂のほうがましな程度。結局、高速で長野まで行って、店を探すことにした。

大森氏の提案で、長野東インターで高速を降りて、店を漁りながら一般道を進むが、なかなかめぼしい店はない。結局、長野駅前まで行き着いてしまった。これでは去年の店を探すしかないとなって、市内彷徨がはじまる。30分ほどもうろうろしたろうか。途中、バーミヤンでもいいかと、くじけそうになりながらも、最後に、暗い道路の脇に、去年のそば屋の明かりを見つけ、車内に活気が満ちた。『飯縄』という店だ。後で調べると、この店は国道19号(昭和通り)の長野市役所のはす向かいにあり、きわめて見つけやすい場所なのだが、そのときはゴビ砂漠で、コンタクトレンズの一片を見つけ出したかのごとき達成感であった。

店へ入って挨拶をすると、どうやら奥さんひとりで、てんてこ舞いの様子。それでも、われわれが去年来たことを憶えていたらしく、非常に愛想は好い。御主人が、飯縄にある本店から買い物をしながら戻って来るはずだが、まだ帰らないという。年越しソバは、本店で打って、こちらへ持ち込むらしい。

全員、やれやれと腰を下ろし、まずはビール(この際、アサヒだが構わない)で乾杯し、昨年と同じ蕗のとうとキノコの煮付け、ウズラ豆の煮物などのつまみ(いずれも佳品)を頼んで、ホット安堵の胸をなでおろす。ところで、そろそろ酒にするかとなったときに、またも予想外の事態が発生。なんと、酒がないという。ええっと、絶句。ここは鹿児島空港ではない。そば屋に酒がないとは、フランス料理店にワインがないに等しい。想像を絶する状況である。

奥さんしきりにあやまっていうには、飯縄から帰ってくるはずの御主人が、酒も仕入れてくる手はずだという。が、いつ到着するかわからないらしい。しばし、なすところを知らず、お互いに空しく視線を交錯させる。この事態を解決するには、持ち込みしかないと、善さんが外へ出て、ざっと周囲の町並みを探ったが、酒屋はなさそうだという。しばし、真っ白な時間が流れた。

このままではどうにもならないので、窮状を訴えるべく奥さんに“まことに失礼だが、酒を買ってきて持ち込みとしたいが、許してくださるか”と訊ねた。奥さん、それはいっこうに構わないと快諾。すでに事態を察して、息子さんを呼び、買いにやるところだったらしい。それは申し訳ないので、こちらで買いに行くからと酒屋の場所を教えてもらった。近所にセブンイレブンが二軒あり、どちらにも酒が置いてあるという。

店を出がけに、四合ビンではどうかとみなに問うと、大森氏から足るわけがないとの即応。されば、四合ビン二本にするかと出かけたが、結局、真澄の一升ビンをかって戻った。この騒動、瑞貴君の目にはどう写ったことか。

一升瓶をでんとテーブルに置く。次々と客が来るなか、お燗を頼むのはさすがに気が引ける。各自安堵のコップ酒とする。後半の運転をかって出てくれた善さんに謝しつつ乾杯。やがて酒買いに出ている間に、摘みに頼んでおいた天ザル3つができあがる(多忙時、天ザルの抜きはない)。ここのソバは大森氏のお墨付きだが、天ぷらがまたいける。衣は薄目でパリッと揚がっている。あの奥さんの揚げの腕はなかなかだ。酒は満ち足り、摘みも旨い。今年の最後を飾るに相応しい宴会が始まった。あっというまに、テーブルには空の一升瓶が残された。スキーの最後の宴会で、このペースも記録物かもしれない。あとは銘々、好みのソバを注文し、締めくくりの宴会は、目出度く打ち上げとなった。

高速は空いていて渋滞はまったくない。善さんの運転で、とどこおりなく帰宅したのはいうまでもない。いやあ、近来希なほど、あれこれ出来事の多いスキー山行でした。


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