道草Web

都電荒川線沿線探訪

梓編年

2003年6月14日 土曜日

曇り。湿度高く、ひどく蒸す。

今日は、待望の都電荒川線沿線探訪。

JR高田馬場ホームに、10時集合。

冨山、後藤、高橋、中村、亀村、橋元。金谷氏は自転車なので成り行きで、合流。

高田馬場駅の戸山側の出口を出て探訪を開始する。住民の体操スペースと、ホームレスのホームとの軋轢で新聞記事になった戸山公園を通り抜け、理工学部の前で明治通りを渡り、大きな駐車場 ビル(この駐車場のなかに学生のころによく昼食をとったレストランがあったが、今は見あたらない)の手前の道を下り箱根山を目指す。箱根山周辺は、鬱蒼とした森林になっていて、昔の面影はない。学生のころの記憶では、住宅街のなかに、 突如飛び出した裸の丘だったような記憶がある。コンクリートの側壁があり、そこがアップザイレンの練習場になっていた。このへんの記憶は、戸山に親戚がいたという尚やんの記憶とも一致する。カメちゃんの資料では、箱根山が山手線内の最高峰とあったが、山頂の標識では44.6m。愛宕山のほうが高いのではと議論になる。しかし、こちらは山手の高台なのでベースがそもそも高いのではないか。あとで調べると、愛宕山は25.64mで、遙かにこちらが高かった。看板の解説によるともともとこの丘は、大名屋敷の築山だったそうだ。つまり、人工の山だったわけだ。箱根山から箱根山通りを下り、文学部→正門→大隈公像→演劇博物館と巡って早稲田から荒川線へ乗車。一日券は売り切れで、次に乗る電車で買うことになる(実はこれを数回繰り返し、全員の切符が揃うのは大分後になる)。

面影橋下車。水稲荷。なぜか、門前に徳川家所有の敷地と茶席がある。流鏑馬が恒例とか。これもあとで調べると、この辺りが徳川御三卿清水家の下屋敷跡だったという。また、なぜ“水”稲荷かは、近くを流れる神田川の鎮守かなどと適当な推測をしていたが、これは境内に水量豊富な湧き水があったためという。

鬼子母神下車。鬼子母神ははじめてである。参道の突き当たりは、普通のビルが建っていて、そこを左折すると、やっと神社本体が見える。ここで自転車の金谷氏と合流。境内に大きなギンナンとボダイジュがあ り、結構にぎわっている。時分だったので昼食の店を探したがなかなか適当なところがなく、諦めるかっこうで、都電鬼子母神駅横の寿司屋へ入り、全員チラシ。われわれが口開けで、空調を入れてくれたのはいいが、黒い煤がテーブルに降ってきて閉口した。今年はじめてクーラーを点けたのではないか。ここで、金谷氏より、杓子山の怪我でおりた保険金の余録3万円なりの寄付がある。

雑司ヶ谷墓地。カメちゃんが管理事務所で案内図を入手し、江戸屋猫八、夏目漱石、六代目菊五郎、小泉八雲、永井荷風などの墓を見る。金谷氏は、寿司ではもの足りないとひとり先行し、墓地周辺のトンカツ屋へ駆け込んだ模様。健啖、恐るべし。 まして、この旅の最後がウナギやであることを熟知せる痛風持ちとあっては…………、われ弁ぜんと欲するに、すでにその言を忘ずるの態。

飛鳥山。まず音無親水公園を目指す。飛鳥山の駅からそのまま明治通り沿いに下ればよかったものを、正確な位置がわからず、横断橋を渡って飛鳥山公園へ入ってしまったので、王子の駅まで大回りする羽目になった(あの辺りの明治通りは横断できない)。石神井川の地下トンネル化で残った河川敷を親水公園としたものだそうだ。河川敷といっても、相当深くえぐれているので、巨大な塹壕のように見える。親水公園の名にふさわしく、親子連れが水遊びをしていた。こんなところに、こんな公園があったとは、何度となく近くを通っていて気付かなかった。後藤さんによると、都市公園100選に選ばれているという。親水公園から都電飛鳥山駅へ戻る途中で、明治通りを疾駆する金谷氏と邂逅。

栄町。東京書籍の東書文庫を訪ねたが、土日は休館。このまま三ノ輪橋までいっては早すぎるので、飛鳥山の3つの博物館へ引き返すことになる。都電栄町駅の近くでJRを越えて、明治通りと反対側から飛鳥山へ登る。結構な標高差である。しかし、博物館はすべて有料だというので却下。公開されている渋沢栄一の旧居の一部を見物。公園からは飛鳥山北東面の散策路を王子駅方面へ下り、都電の栄町へ戻る。

あとは一路、三ノ輪橋へ。携帯の連絡では、金谷氏はすでに到着している模様。

三ノ輪橋から、永井荷風の歌碑と花魁の投げ込み寺、浄閑寺。ここで金谷氏に合流。小塚原回向院。吉展ちゃん地藏、鼠小僧次郎吉の墓。小塚原刑場跡と首切り地藏などをみて、尾花へ。

久しぶりだったが、尾花二代目三姉妹は、白髪は大分増えたが健在のようだった(ひとり見えなかったような気もするが)。ウナギ自体の質はいうまでもないが、タレのほどよさ、焼きの冴え、やはり尾花のウナギは旨い。ウナギと寿司は、誰が何といっても東京に限る。

南千住の駅を越え、泪橋交差点を渡って、山谷の喫茶店バッハ。ここは尾花の帰りに何度か寄ったことがある。 往時の山谷は、立ち入るのに勇気が要ったが、いまはその面影もない。コーヒーは許せるが、女店員がうるさい。昔はこんなのは居なかった。金谷氏が少し大きな声を出すと頭ごなしに注意された。 静かな店で、声が響いたのは確かだが、ものには言いようがある。

バッハを出て そのまま浅草まで歩く。南千住の駅から、山谷の通りをまっすぐ行って、どんと突き当たると言問橋だ。最後の〆に神谷バーへ行ったが満員。OJの提案で松風へ (この店は、まったく酒が飲めなかったころから知っていた有名な店だが)。これが大失敗。いちいち客の様子を見ながら、酒を出すの出さないの、ビールは何本まで のと、ろくなつまみもないくせに、つべこべやかましいことおびただしい。せっかく、上野からタクシーを飛ばしてきた大森氏が合流したというのに、あまりの小うるささに辟易して店を出て、そのまま解散となった。大森氏には気の毒なことだった。

バッハといい松風といい、下町の気さくな人情が、今となっては余計なお節介に堕しているのが残念。その点、尾花のさり気ない客あしらいは、救いではあったが。


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