道草Web

梓公式散歩「横浜」

梓編年

2004年4月24日 土曜日

昨日寒冷前線が通過し、急激に気温が下がった。散歩には快適だが、冷気団が上空に残っているせいか天気は不安定な様子。

JR鶴見駅西口に10時集合。ぼくが着いたときには、すでに冨山さんと善さんがいた。後藤、高橋、中村、田中、八重樫と到着。金谷氏は参加予定だがインドからまだ帰っていない様子。まずは、曹洞宗大本山総持寺へ向かう。歩き出してまもなく後藤さんの携帯が鳴る。金谷氏だった。いま、成田に着いたところだという。これから行けば昼には間に合うというが、昼は総持寺の精進料理を予約済みで、飛び入りはできない。食後に、また連絡をしてどこかで落ち会うことにする。

総持寺は以前から訪ねてみたかった寺であった。勘違いして、池上本門寺へ行ってしまったことがあったっけ。どういうものか、信心皆無のくせに寺社を見るのが好きなのだ。これまで、寺社の境内を散策はするが参拝はしなかった。だが最近、歳のせいか寺社を見て参拝をしないというのは不自然かなあの思いが募る。いままでは多少突っ張っていたのか。寺社でも商売見え見えのところではそんな気になれないが、寺では仏像には手を合わせ、社では神前に柏手を打つ。まあ、自然な習俗ではないかと。

曹洞宗大本山総持寺の参道は、JR沿いの車道からやや斜めに分かれるようにはじまっていた。入口の両脇に大きな常夜灯がある。参道の両側が自然木の並木になっていて、「千年の森」の立て札がある。どうやら、これが大森氏が掲示に書いていた人工的に天然に近い植生の再生を試みた結果なのか。並木の幅は数メートルほどでその外はビルや道路。大きな森を期待していたのでやや失望。結局、境内全体の植生をそのような意図で設計したのであって、とくに大規模な森を作ろうとしたわけではないようだ。こちらの早とちりだった。ただ、普通の境内に比べて樹種の多いことはわかる。

参道の両側に鶴見大学がある。これは総持寺の経営する学園ですかと後藤さんにたずねると、昔は鶴見女子大学といって、ここの学生に蓮華温泉で後藤さんが話しかけたことが、プーチンのあだ名のついた由来であると説明された。これで、長い円環が閉じたわけだ。それにしても、妻帯を禁ずる禅寺が女学校の経営とはうさんくさいが、これはげすの勘ぐりか。

後藤さんが受付で拝観を申込み、若い修行僧の案内で寺内を一巡する。このお坊さん、まだ入山したばかりとのことで、印象は悪くないのだが仏の修行をするまえに日本語の修行が必要では、とはチャウの感想である。流石に大本山総持寺、諸堂を拝観しながら一巡するだけで小一時間を要した。

拝観後の昼食は精進料理。迷路のような廊下を案内されて窓もない一室へ。広さは十分あるが閉塞感がある。せっかくの後藤さんの手配だが、どうも休日の昼食だというのにビールもなく動物性蛋白質もない食事は食指が動かない。これも中華街での夕食を盛り上げるための趣向と思い定める。

お坊さんによる案内はもっぱら建築物の内部だったから、食後は庭園や墓所を一巡する。雑司ヶ谷にしろ谷中にしろ古くからの墓地は有名人の墓にことかかないが、ここの目玉は石原裕次郎のそれである。ぼくはあまり興味はないが母がファンだったことを思い出しながら、周囲の墓に比してまだ新しくひとだかりのしている裕次郎の墓の前を通過した。

鶴見駅で金谷氏と再会。一度家へ戻って荷物を置いて来たという。次は三渓園。JR京浜東北線で山手駅へ向かう。この駅は山手の谷のどん底にあるようで、トンネルを出ると駅で、駅を出るとまたトンネルへ入る。JRの線路を潜ってすぐに急坂を登る。人がやっとすれ違えるくらいの狭い歩道だ。その坂を抜けると稜線をなぞった車道へ出る。道路の脇には真新しい小住宅が櫛比し、家の合間から本牧の海が見える。南西の方は黒い雲塊が立ち上がり、ひょっとすると一雨きそうだ。高台の道をのんびり散歩といきたいところだが、歩道のない狭い道を車の通りが多すぎて落ち着かない。今日の中華街は、関根さんが最初に紹介してくれた大新園だというので、歩きながら携帯で電話をしてみる。丁度、横浜へでる用があったとか。それではのちほど合流ということになった。高台をしばらく歩いて海側へ下る。坂の脇の住宅の庭にオオヤマレンゲらしきは花が咲いていたが少し黄色みが強く花弁が厚い。家で調べると同じモクレン科だがカラタネオガタマ(トウオガタマ)という木だった。さらに、あとで気付くと、家の近くの見沼用水の歩道にも1本植わっていた。

三渓園へは海側から回り込んで、正門とは反対側の南門を目指す。南門の外苑は中国風の庭園になっていて、橋を渡って南門へ。有料施設は却下ではあるが、ここは大眼目なので例外とする。各自歳相応の額を払って入園。ゆるやかに迂曲する歩道を歩いてゆくと庭園中央の大池へ至るが、その手前で左にそれて内苑へ入る。内苑には臨春閣を筆頭として、原三渓が絹貿易で得た資金にあかせて京都や鎌倉から収集した古建築が周囲の丘陵に配置されている。今日は諸流合同の茶会らしく、ここは表、あそこは裏、むこうで武者小路、そちらで遠州と、普段は中へは入れない参堂や楼閣でお茶席が開かれていた。それぞれの席の間を、華やかな衣裳で中身の衰弱を被うがごときオバサン連が行き交っている。三重の塔の下の茶屋で軽く喉を潤して三渓園をあとにする。

正門より出て本牧通りへ。この道路は、コの字型に和田山(本牧山頂公園)を迂回している。そのコの縦棒辺りがマイカル本牧だ。山手署で本牧通りから右折して海岸方面へ。海へは出ずに途中から左折して山手丘陵へ登ると住宅街になり、また本牧の海が見え出す。ここは、先ほどの山手駅近くの住宅街より歴史があるらしく、大きな屋敷や広い公共施設が多い。近代文学館の脇から車道を離れて港の見える丘公園へ。そのころから少しぱらつき出したが、たいした降りではない。この公園から、外人墓地、ベーリックホール、元町公園などを巡覧する。少し先のフェリス女学院は祖母の母校なので、ちょっと眺めてみたかったが、それより中華の誘惑が強かった。元町の繁華街をクランク状に抜けて中華街は大新園を目指す。予約の四時半より数分の遅れで到着。関根さんはとうに到着していた。

これで本日の梓公式散歩「横浜」はおしまい。大新園のあと、恒例で、球場近くの外人墓地ならぬ外人バーで軽く一杯。近場の利を発揮してまだ飲むという、冨山、金谷、関根三名を残して、遠距離組は先に引き上げた。本来なら絶対残るはずの後藤さんは風邪で絶不調。病身には過酷な行程にもかかわらず先達、ありがとうございました。


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